26:凍える(ギルバート視点)
悲劇というのは前触れもなく起こるものだ。
目の前に座る二人の表情が一気に警戒を強めたものになって数瞬後、強烈な睡眠薬でも飲まされたかのように二人は同時に眠り始めた。身体から力が抜けてソファーを滑り落ちる前に、私とエリナ殿の護衛騎士がそれぞれの身体を支える。
「っ! ツバキ!!しっかりしろ!!」
「エリナ様!! エリナ様……!! くっ、一体何が…………!?」
「総員警戒!!! ”影”は宰相に一報!!」
それまで部屋の外に居た騎士たちが、団長の声を皮切りに突入してくる。
敵襲はない。毒の匂いもしない。魔法でもない……?
一瞬の事だ。たった数秒で、二人の身体に異変が起きた。それまで何も前兆らしきものはなかったはずだ。……否、あるとするならば、二人の意識が途切れる間際の微かな防御反応だろうか。
何かを警戒するように身を固くした二人だったが、ほんの一瞬、ツバキはエリナ殿を守るような反応を見せていた。エリナ殿を守らなければならないと判断するような何かが、あの瞬間に起こっていたのだ。
そこまで考えても、何が原因なのか知るすべは持ち合わせていない。
「クソッ………」
受け止めた体からは完全に力が抜けていて、その姿はただ眠っているように見える。瞳を固く閉じたまま、すぅすぅと規則正しい呼吸を繰り返すのは、平時のものとなんら変わりない。
呼吸は安定している。心臓の音もちゃんと聞こえる。顔色も変わらない。
それなのに……ツバキの魂だけが、遠い。
手を伸ばしても捕まえられないほど遠くに行ってしまったのだと、その光景を見たわけでもないのに何故か分かった。
「なぜだ……ツバキ、……ッ何処へ行った!!」
吐く息が白く染まる。私の触れたところからパキ、と硬質な音が広がっていった。一瞬にして薄い氷の膜が形成され、辺り一面を冷たく、白く、染め上げていく。
ツバキを失うと考えただけで、凍えて死んでしまいそうだった。
「おい!!ギルバート!!」
「副団長……!」
「ッく、離せ…………!!!」
両隣から伸びた腕が私とツバキを引き離そうとする。何故? どうして私からツバキを奪おうとする?
私はもう、彼女無しでは生きていけないというのに。
「ギルバート、一旦落ち着け。ツバキもろとも凍らせたいのか」
「凍、らせ……?」
頬を鷲掴みにしたアレックス団長が、視線を合わせるようにしゃがみ込み私の瞳を射抜く。大声を張ったわけでもないのに、その一喝は自然と耳に入ってきた。
浴びせられた魔力に頭が冷えていく。
荒い呼吸音が耳の中で反響し、酷い馬車酔いを起こしたように頭が揺れた。
「おう、落ち着いたか? ったく、こんな所で魔力暴走は勘弁してくれ」
苦笑しながらそう言った団長は、私の顔から手を放して辺りの氷を溶かしていった。私の腕をつかんでいた他の騎士たちも拘束を解いていく。
魔力暴走。それは、魔術師の命を削る、危険な行為だった。
言われて初めて自身が魔力暴走しかけているのだと気が付いた。
意識して深呼吸を繰り返し、魔力を鎮める。腹の中で暴れまわっていた魔力が少しずつ落ち着いていき、肌を突き刺すような寒さが鳴りを潜めていった。ふっ、と息を吐き切り残っていた魔力残滓も吹き飛ばすと、荒れに荒れまくった室内が視界一杯に広がっている。
体内の魔力はおおよそ3分の1程度が無くなっていて、むしろこの量でこの程度の被害なら軽いものだと思った。これが本当に魔力暴走を起こしていたのだとしたら、きっとこの部屋は既に吹き飛んでいるか完全に氷漬けにされているだろう。
不完全なうちに止めてくれた団長には感謝している。
「すぅ、すぅ……」
腕の中のツバキは、変わらずただ眠っている様に見える。
室内に詰めかけた騎士たちは既に部屋の外の警戒に戻っていて、部屋の中には私と団長、エリナ殿と護衛である近衛騎士が残っていた。
「で、何が起こった」
「分かりません……」
「こちらも同じく。少なくとも毒や薬の類ではありません」
そう答えながら眠っているツバキをエリナ殿と同様に空いているソファーに横たえようと思ったが、無理だった。自分から手を離すことなど出来そうにない。
アレックス団長曰く、影からの報告でもやはり敵襲や毒の可能性はないらしく、ただ、微かに魔力のような反応が見られたとのことだった。
影、というのは王家に仕える諜報機関のことだ。大抵の国家はこういった機関や暗部の者を抱えている。国家の要人に護衛や監視目的で付けられることもあるが、やはりエリナ殿にも付いていたか。これほどの人数を付けているのは流石に予想外だったが。
「……ぅ」
「…ツバキ」
小さな呻き声が聞こえ、腕の中を見つめる。ぱちり、と音が鳴りそうな勢いで目を開いたツバキは、緩慢な動きで瞳を動かし、何度か瞬きをした。
焦点が定まらないようで、ツバキは一度強く瞳を閉じると今度はゆっくりと目を開ける。
眩しいものを見るように目を細めた彼女に、再度声をかけた。
「ツバキ」
「はい、っ………ギルバート様?」
きつく、きつく抱きしめる。密着していないところが無いように隙間なく彼女を抱きしめれば、背中に回された手が宥めるように私の背を摩っていく。
腕の中にすっぽりと覆い隠せてしまうほど彼女は細く小さい。これで異世界の人間の標準だというのだから驚きだ。
「ギルバート様、ただいま戻りました」
「あぁ……」
私の腕の中で、私の為すがままに抱きしめられているツバキは、穏やかな口調で帰還の言葉を口にした。
そうだ。彼女はちゃんと戻って来てくれた。
「…心配した」
「はい、すみません」
苦笑しながらそう答えるツバキに、冷え固まっていた心臓がゆっくりほどけていくような温かい気持ちが溢れてくる。これがどれほど得難く幸福なものなのか、知らなかった頃には戻れないだろう。
「おかえり、ツバキ」
この世界で唯一人、私の心臓を握っているのはツバキなのだと。そう思いながらツバキに微笑みかけた。
名残惜しいが何が起きたのか話を聞かなければならない。しぶしぶツバキを抱きしめていた腕を緩めると、彼女は私の服の袖をつかみ、引き留めた。
「……なんかギルバート様冷たくないですか。物理的に」
私の服をぺたぺたと触りながら訝し気な表情でそう尋ねてくるツバキに、今度はこちらが苦笑しながら答える。
「あぁ、少し……魔法が暴走してしまったんだ」
何と未熟なんだろうか。ツバキに魔力暴走の危険性を説いておいてこの様とは。アレックス団長が止めてくれていなければ今頃は大惨事だ。そしてツバキの身体も、私の魔法で凍り付いてしまっていただろう。今頃ゾッとする。
「それは、……大丈夫なんですか、ギルバート様」
「あぁ、すぐに治まったしここには団長も居るからな」
私の魔力がふんだんに使われた氷だ。薄氷と言えど並みの魔法使いでは溶かせまい。少なくともアレックス団長クラスの者でなければ。……本当に、今日ほど団長に感謝した日はないのではないだろうか。
「それで、一体何が起こったんだ?」
そう尋ねれば、微妙な表情をしたツバキが耳元で囁いた。
「えっと…、女神様が話をしたくて私達を気絶させたみたいで………」
「……何だと?」
確かに、これは大声で話せない内容だ。急いで団長に確認を取り、防音結界を展開させた。初めて見せるその魔法にツバキの目が輝いているが……あとでいくらでも見せてやるから、先に話を聞かせてくれ。
「まず、大前提として。絵里奈が聖女なのは確かです」
「あぁ」
「ただ……そもそも絵里奈が聖女になったのはちょっとしたトラブルがあったからで、本来なら私が聖女になる予定だった、らしいです」
「…………そうか」
どんなトラブルがあれば間違えて聖女になる、なんてことが起きるのだろうか。溜息を飲み込み、話の続きを促した。必要であればツバキが話すだろう、そう判断して。
エリナ殿も無事に目覚めていた様で、この場に居る全員がツバキの説明に耳を傾けている。
「それでここからが問題なんですが、どうやら結界を修復させるのはほぼ不可能みたいで……最初から張り直さなければならないそうです。そして、張り直す儀式を行うのに、絵里奈では身体が耐えられないとの事でした」
「まじか………」
「「まじです」」
ツバキとエリナ殿が揃ってそう答える。アレックス団長は片手で顔を覆って天井を見上げた。そうなるのも当然だろう。語られたのは初めて知る事実ばかりだったのだから。
聖なる力と魔力の違いに始まり、女神の加護を与えられたら聖なる力を保有する「聖女」になること。それに伴って魔法が使えるようになること。
ツバキの魔力の器は女神様が言うにはかなりの大きさらしく、結界を張りなおす儀式はツバキが請け負った方がいいということ。
「あーーーー……どうすっかなぁ、これ」
「とりあえず、宰相様に相談しましょ?」
「私もそれが良いと思います」
相談は早い方がいい。ということで、すぐさま宰相の執務室に移動することになったのは良いのだが。
小さく吐いた溜息は誰にも知られずに流れていった。




