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手と足  作者: 仁崎 真昼
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第二十話

 ある日、僕は狩猟をしていた。

「あー、駄目だ。今日は狩れない。なんか森がざわついてるし」

 いつものように魔術を使用しての狩猟なのだが、手頃な獲物が見つからない。罠にかかるのはかかるのだけど、まだ成熟していない個体だったり、少し手を出しづらい大型の個体だったり、食べる部位の少ない老いた固体ばかりだ。食料に困っていたり、僕一人だったらあまり気にしないけど、しばらくは余裕のある生活はできるし、ベルンには美味しいものを食べてほしい。だから、もう少しいい獲物を狙いたい。

 しかし、そうして半ば向きになって森を歩き回って随分と時間が経ってしまった。これ以上続けても状況が変わらない気がするから、今日の狩猟は切り上げても良いかもしれない。

 太陽が上昇から下降に切り替わる頃、僕は自分の家へと帰ることにした。

「ただいまー」

 声をかけながら扉を開けるが返事がない。誰もいなかった。

 どこかに出掛けたのだろうか、と思って家の中に踏み込み、そこで異常に気づいた。

 ベルンがいない。しかし、いつも乗っている移動椅子が残っている。移動椅子に予備などないのだから、腕だけで這って家から出たか、もしくは誰かに連れていかれたということ。どちらにしても、ただ事ではない。

 家を飛び出そうと振り返ると、目の前に見しらぬ黒髪の男が立っていた。いや、目の前で男が剣を僕に向かって斬りつけてきていた。

 反射的に全力で魔術を放とうとするが、間に合わない。間合いは剣士のもの。しかも相手は既に攻撃体勢。魔力を練り上げながら、後方へ飛び退くのがせいぜいだった。

 腹部に激痛が走り、背後の壁に叩きつけられた。痛い。何が起こったんだろうか。そんな間抜けな思考がぐるぐる回る。

「あ……ぐぁ……」

 力の入らない手で腹をなぞってみる。鈍痛と共にべったりと赤い血が手を濡らす。

 やばい、これは、死ぬ、傷だ。

 壁にもたれつつ、ずるずると座り込んだ。目の前にいるのが敵だということは分かるし、そんな時に座り込むだなんてやってはいけないことだとわかってるけど、足に力が入らない。ムツがこの場に居たら怒られるんだろう。そんなことをぼんやりと思う。

「悪いな、恨みはねえ。運が悪かったと思ってくれ」

 目の前の男が何か言った気がする。ざあざあと大雨が降っているような音がして、まともに音が聞き取れない。おまけに視界も貧血の時のように霞み、相手の姿が二重三重にぶれて見える。あまり歳はいってないようだが、それ以上のことは分からない。

 なんとか聞き取れた言葉が少し遅れて脳に届いた。しかし、呼吸をするのさえ辛く、会話ができる気がしない。

「うんが、うらみ……?」

「おいおい、まだ生きてんのかよ。タフだな。腹をばっくり裂いてやったのに。ま、すぐ楽になる」

 痛い。おなかが痛い。まるで焼けた鉄の棒が押し付けられているみたいだ。

 少しでも状況を把握しようとして、激しく咳き込んでしまった。声を出そうとしたら喉に何かが絡まって声が出なかった。口から飛んだものを確認すると、それは唾ではなく血だった。

 体の感覚が消えて行く。

 男は刀の血を軽くぬぐい、腰に差している鞘に納める。片刃の曲剣だ。銀色の輝きからして鉄製だろうか。違う、そんなことどうでもいい。男が懐から何か出した。液体だ。水? 喉乾いた。さらに、なんだ。箱。石。火だ。

 僕は座っているのさえ辛くて、体を横たえてしまう。お腹から溢れる血液が、さらに勢いを増す。

「あ、しまった。死体が一つじゃ怪しまれるか」

 したい?

 一つ?

 そうだ、ベルンは。ベルンは大丈夫なのだろうか。ベルンは殺されてしまったのだろうか。いや、そんなことはない、ベルンは僕みたいに油断なんてしない。足がなくても無抵抗はない。きっと。血がなかった。争った跡もない。きっと無事だ。

 ぱちぱちと何かがはじけるような音がして視界が明るくなる。なぜだろう。ああ、火だ。燃えている。濡れた床から火が立ち上り、男と僕を隔てている。その火は壁に燃え移り、静かに滑らかに天井に向かう。壁の火は横にも広がり、箪笥を、机を、椅子を、寝台を、次々とその身に取り込んでいく。赤々と、明々と。

僕たちの家が燃えている。

 何かを言おうとするけど、ひゅーと空気が抜けて行く音しか出ない。肺は動いてくれるけど、動かすためにいろんなところが痛む。男はそんな僕に、既になんの興味も抱いていないようだった。

 魔術。集中しろ。火だ。火をどうする? 消すんだ。僕たちの家を。

「まあ、いっか。村の方も焼いときゃ細けーこた気になんねぇだろ。じゃな」

 男が遠ざかって行く気配がする。止めようとするけど、体が動かない。体を起こすことも、手を伸ばすことも、声を出すことさえできない。

 何か、酷く嫌なことを言われた気がする。

 とてもとても不味いこと。

 諦めるな。

 左手をあげる。全力で、持ち上げる。指先が何かに引っ掛かった。離すな、それを。支えろ。体を持ち上げろ。

 ばちん、という音と共に指先が外れた。駄目だ。もう一度。今度は右手も使え。

 このままじゃ死ぬぞ。火に包まれて。血を垂れ流して。

 死ぬ。

 死ぬ?

 死ぬ。

 シヌ。

「ぅぅぅぅぅぅ!」

 指先が何かに触れた。離すな離すな離すな! それを、意識を、命を。

 絶対に。

 酷く空気が熱い。まるで炎天下の砂漠で焼かれているかのようだ。なんでだ。熱い。けれど、寒い。熱いのに寒い。指が冷たい。頭の奥で轟音が割れるように響く。

 上から何かが降ってきた。光。熱。

 体を引き上げた。と思ったら顎を地面に打ち付けていた。指にかかっていた圧力が消え、さらに体に何かがのし掛かってきた。固くて重いものが、僕を押し潰そうとのし掛かってきた。

 ガチャン。

 何か割れた気がする。頬に液体が飛び散った。

 甘い。

 舌を伸ばして唇をなめる。

 やはり、甘い。なんだろう。とても甘い。

 これが必要だ。

 もぞもぞともがくが、体がうまく動かない。しかたないから、舌を伸ばす。口元の何か苦いものを舐める。不味いが、それさえも必要だと感じる。

 じゃり、じゃり、と一心不乱に舐める。苦さの奥に微かな甘味がある。時折舌に痛みが走るが、そんなこと気にしてる暇はない。何か滑らかで冷たいものも舐める。それには大量の甘いものが付着している。それが僕に力をくれる。力だけじゃない。それはあやふやだけど、僕にとって必要だと感じるもので、そう、それは命だ。

 顔を動かすと、棚が僕にのし掛かっていた。僅かに戻ってきた視力によって、それを認識する。先程は支えにしようとして倒してしまったらしい。

 目だけを動かして周囲を確認すると、火は既に家中に広がっていた。さっきの男は火をつけていったようだ。ご丁寧に油まで撒いて。

 と、ここで思考が随分とまともなことに気づいた。

 思考が戻っている。不規則に痙攣するだけだった肺も、落ち着いた呼吸をさせてくれている。

「なにが、なにを……? ぺっ」

 口に入っている異物を吐き出す。それは床の土と硝子片だった。

 腕も動かせる。お腹に触れてみると、傷が塞がりかけている。

 もう一度地面に目を向けると、目の前には硝子の小瓶の残骸があった。中には液体が入っていたらしい。僕に見覚えがないあたり、ベルンが用意したのだろうか。

 甘い、液体。まるで果物の果汁のような――。

 脳内に衝撃が走った。そして、その考えに確証を感じながら、床の液体が染み込んだ部分を舌で救いとる。

 一舐めする度に痛みが遠退き、一舐めする度に力が漲る。それは不思議な感覚だったが、僕はこれが母木の果汁だと理解していた。ベルンが少しだけ残していてくれたのだろう。気休め程度かもしれないけど、いつか役に立つかもしれないと、そう思って。この命の水を。

 両手を地面につきたてる。力を込めて体を起こし、倒れてきている棚を押し退け、立ち上がる。できる。僕にはできる。僕はしなきゃいけない。

 立ち上がり、右手を軽く振る。

 家を燃やしていた火は全て僕の手に集まった。

 大きく息を吸って、吐く。右手の火を握りつぶして、思考をまとめる。

 ベルンがいない。あいつがきっと何かした。黒髪の剣士。南方の人だろうか。じゃあベルンの知り合い? それより、そうだ。あいつ! 村を焼くって!

 僕は走り出そうとして、前につんのめった。足ががくがくいっていて、思うように動かない。見ると、腹部より下や胸元、腕なんかは血で赤く染まっている。どう見ても血を流しすぎだ。

 でも、進まなきゃ。

 這いずるようにして家を出ると、遠くに煙が上がっているのが見える。村の方角だ。汚ならしい黒の煙が、すさまじい量で空を汚している。

 あそこに行かなきゃ。早く行かなきゃ。

 焦る心とは裏腹に、僕の進む速度は脚のもがれた虫のようだ。遅い。遅い。遅い。

 今が、こんなときこそ、僕の能力を活かせるときなのに!

 そして、僕は気の遠くなるような時間をかけて村にたどり着いた。

 大勢の村の人が一ヶ所に集まっていた。皆煤や煙で衣服や肌を汚している。その中心には悠然とムツが立っていて、ちびどもが泣きながらすがり付いている。

 僕は少しだけ安堵した。火は既に消えていた。

 兄やルナカがこっちに駆け寄ってくる。血相を変えている。一体なぜだろう。

 立ち尽くしたままぼんやりと人数を数える。一人足りない。ベルンがいない。

 僕は怪我人がいなさそうなことに安堵しながらも、ベルンがいないことにくらくらして、前のめりに地面に倒れこんだ。

「……ベルン」



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