第十八話
ベルンはまるで今まで動けず溜め込んでいた鬱憤を吐き出しているかのように、精力的に動き回っている。移動椅子を駆使して自由に移動し、掃除、洗濯、料理に裁縫と家事をこなし、チビどもの相手をし、本を読み、彫刻をし、魔術を鍛え、さらには剣まで振っている。一月前のベルンからは想像もできないほどの活動量だ。
村の人への紹介も既に済ませた。皆、すぐに受け入れてくれたし、出会ったら親切にしてくれてるらしい。というか、村のおっさんどもからはお姫様のように扱われているし、村のおばさん方からは娘のように扱われているし、少し複雑な気分だ。ルナカとはぎこちないらしいが、まあその内慣れるだろう。
因みに、厠は改装したのでもう手伝いは必要ない。水浴びも女性陣と一緒に行っているので、こちらも必要ない。基本的な身の回りの世話は必要ないのだ。それ自体は確実に良いことなのだが、なぜか少しだけ寂しい気がする。
そう、少し寂しい。これが子離れした親の気分だろうか。
一応寝台は一緒だから夜は一緒に寝ている。しかし、前みたいに迂闊に抱き締めたりなんてするとすぐに反撃が来るので、スキンシップはほぼなくなったといってもいい。手を握るどころか髪を触ることすら許してくれなくて、もし無遠慮に触れようものなら僕は一回転して地に転がっている。
まあ、たまに許してくれることもあるんだけどね。たまに。
ぐぬぬ。
あ、この汁物おいしい。
「ふふふ、どうだ」
「すごくおいしい。これ何で作ったの?」
「大したことはしていない。重石羊と東貝から出汁を取って、塩と胡椒で味を整えた。具は兎肉の破片とできるだけ苦味のない野菜。ああ、茸も入っているが毒がないことは確認しているから大丈夫だ」
「はー。手が込んでるなー」
「味見もしない旦那様とは違うのさ。あと旦那様は刃物の扱いもなってない。得意なのは火加減ぐらいって、それでよく私に料理を教えようとしたと思う」
じろり、と睨んでくるベルンに僕は苦笑いを返した。
「お見それしました」
初日の凄惨な様子は単にまだ腕の動きが戻ってなかっただけらしい。ベルンはめきめきとその勘を取り戻し、料理の味は日を追うごとに美味しくなっていった。今日の料理なんてシャトさんと並ぶくらいだ。
おまけに、ベルンはとてもマメな性格だった。料理以外でもありとあらゆる面で僕以上の丁寧さをもって行い、結果僕以上の成果を出す。コツコツと地道に進めることが苦手な僕とい比較した結果、当然のことだが、家事の主導権はどんどんベルンへと移っていった。
「今日は旦那様はなにをするんだ?」
「僕は畑の収穫と狩猟だよ」
「野菜の収穫ぐらいなら私がやっておくが?」
「いやいや、これ以上忙しくなってもベルンが大変でしょ。畑は移動椅子が動かしにくいし、僕がやっとく」
「忙しいくらいが……まあ、いいか」
「いってきます」
「あ、待ってくれ、旦那様」
ベルンが僕に左手を差し出してくる。
「少しずれてしまった。つけ直してくれ」
一応片手でも装着できるように設計はしてある。いや、正確には片手でも装着できるように改良してもらったというのが正しいが、とにかく、右手が戻った今、ベルンは一人でそれを着け直せるはずだ。そもそも朝着けるのは自分でやったはずだし。
「……駄目か?」
「いやいや駄目じゃない!」
悲しそうな顔をするベルンを見て、僕は慌ててその左手を慌ててつけ直そうと屈みこむ。すると、何がおかしかったのか上からくすくすと笑う声がした。顔をあげようとすると空いている右手で頭を押さえられる。抵抗しようにも、ベルンの力は強くて抵抗できない。
僕の頭を押さえたまま、ベルンは僕の髪をいじる。
「こんな長い髪で鬱陶しくないか? 旦那様。乾かすのは魔術で一瞬だとはいえ、何かと絡まったりするだろう。それになにより、男らしくない」
ぐっ、と言葉に詰まった。ムツにも言われたけど、髪が長いと男らしくないんだろうか。狐特有の価値観だと思ってたけど、南の方でもそういった価値観があるということは、世界で見ると一般的なのだろうか。
ま、いいか。僕も特に長髪にこだわを持っているわけじゃないし、もう僕には必要ない。
「そうだね、そろそろ切ろっか。もうあんまり必要ないし」
「必要?」
不思議そうな声を出すベルンに、僕は説明し忘れていたことに気づいた。どうやら僕は本当に教師には向いてないらしい。
「魔力は起こさなくても、常に身に纏っているんだ。少量だけど。で、その量はどうやら体の体積に比例するみたい。だから、普段から保有している魔力を増やすために、魔術師が髪や髭を伸ばすのはよくあることなんだ」
「そうだったのか。なるほど。では私の髪が長いのも無駄ではない?」
「んー、といっても体感的に凄く微量だなって最近感じてたから、意味ないかも。切ろうと思う。もう一つの理由も要らなくなったし……」
ぼそりと呟いた言葉を敏感に聞き取ったベルンは、追及してくる。
「もう一つ?」
失言してしまった。恥ずかしいからあまり言いたくない。僕はせめてもの抵抗に目を逸らして無言を貫く。
しかし、そんなささやかな抵抗はあっという間に鎮圧された。ベルンの指が僕の頭蓋骨を締め上げたからだ。ベルンの指はこぶこそできているものの細くいのに、まるで万力で締めあげられているようだ。
「もう一つ?」
「いたいたいたいわかった言うからごめんごめん」
「大丈夫か旦那様。頭痛か? 風邪でもひいたかのか」
「そうなんだ。優しく撫でて」
何故か一瞬緩んだ圧力が強まり、再び頭が割れるように痛み始めた。ちょっとした冗談なのに。ふざけてないで理由を話してしまおう。
「売れるからさ、髪」
「へ?」
「いや、売れるんだよ。鬘屋とかに。長く伸ばしてると結構お金になるんだよ。特に僕みたいに明るい金髪は高く売れる。子供の髪というのもなかなか価値があったらしい」
頭にかかる圧力が消えた。顔をあげるとベルンが若干気まずそうな顔をしてこっちを見ていた。
「そこまでするか。いや、すまん。うん」
「一人暮らしし初めの頃は本当に大変だったんだって。格好つけて兄の援助は断ってたし、そんなに魔術も得意じゃなかったし。で、その頃の習慣がまだ残ってて、なんとなく伸ばしてただけ」
「いや、悪かった。私が悪かった。旦那様は悪くない」
「なんでそんなによそよそしいの? え、まずいことした?」
なんだろう、ベルンの国での風習か何かだろうか。
釈然としない思いを感じながら、僕はベルンの左手を着け終えた。
立ち上がって背伸びをすると、ベルンに両肩を掴まれ、引き寄せられる。なんだろうかと素直に従うと、頬に口付けされた。
「お礼だ」
こういう不意打ちはやめてほしい。いや、やめてほしくはないけど、心臓に悪い。
顔に血が上るのを感じながらベルンの様子をうかがうが、当の本人はすまし顔。僕が悔しさと恥ずかしさを感じつつ逃げるように玄関の扉を開けると、目の前にはシャトさんとルナカがいた。
「あらあら」
「お、おはようございます」
シャトさんの視線が生暖かい。ひょっとして今のを見られたのだろうか。
「朝からお熱いわねー。あの人と結婚したばかりのことを思い出すわ」
見られていた。恥ずかしさがさらに増した。
シャトさんから視線をそらすと、ルナカは不機嫌そうに僕を睨み付けていた。相変わらず僕に対してだけは目つきが悪い奴だ。
「……なににやけてんのよ」
「え? いや、にやけてなんか、あれ、本当だ」
言われて自分の顔に触れてみると、確かに頬が緩んでいる。全然気づかなかった。
そんな僕の態度が気に入らないらしく、ルナカはさらに不機嫌そうな顔になる。いや、これはもう不機嫌などではない。完全に怒っている顔だ。なんだろうか、朝っぱらから目の前でイチャイチャされるのがそんなに気にくわなかったのだろうか。まあルナカはいまだに独り身だし、それも当然かな。
勝者の余裕が表情に出てしまったのか、ルナカに脛を蹴られてしまった。
「ベルンさん、洗い物に行きましょう」
「ああ、ちょっと待ってくれ。今洗い物を纏める」
「うふふ、ワニトくん、乙女の心は繊細なの。許してあげてね」
「繊細なのはいいですけど、それで攻撃的になるのはやめて欲しいです」
僕は仲良く川へ洗い物にいく三人を送り出してから家を出た。
一体いつまでルナカはああなんだろうか、と脛の痛みを我慢しながら。
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