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手と足  作者: 仁崎 真昼
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第十五話

 雨の音が室内に響く。もう陽が上り始める時間だというのに、止む気配は一向にない。普段は朝を伝えてくれる光も、雲に遮られ地上には届かない。

 僕とベルンは寝台に腰かけ、部屋の中央で荒い息を吐くムツを見つめている。ムツには布を裂いて作った包帯をきつく巻いて部屋の真ん中に寝かせているけど、それ以外の処置はできてない。血止め薬を塗ったくらいで止まる傷ではないからだ。村の医者を呼ぶことは考えてたけど、この村にいるのは医者というよりは薬剤師なので、このように大きな外傷は処置できない。

「大丈夫、まだ生きてる。大丈夫」

無理矢理母樹の実を食べさせようとしたけど、口に入れても吐き出してしまう。

ベルンが長いため息を吐いた。

「火の森の主は、どんな敵にここまでされたんだ? 朱尾狐をここまで傷つけるなんて、それこそ破城級以上であることは間違いない」

「開拓地で、母樹を縄張りとしていたらしい。種類は」

 言わない方がいい気がする。けど、隠して後でパニックになっても困る。

「竜族の、罪竜と言ってた」

 ベルンの体がバランスを崩して僕に倒れこんできた。左腕から力が抜けてバランスを崩してしまったようだ。竜族と聞いて動揺を抑えられず、魔術を制御できなくなったのだろう。

 肩を支えると、ベルンが震えていることがわかった。

「やっぱり、怖い?」

 ベルンの両足はデデーさんの見立てによると竜にやられたものらしい。なら、そのことが精神的な傷となっていてもおかしくはない。

 震える声でベルンは答えた。

「……この両足は、竜にやられた。名も知らない種族だ。火の森の主がやられた種族とはまた別種だろう。だけど、竜族は苦手だ。あの日以来、竜族と聞くと、冷たい鱗と、湾曲した牙と、無機質な目を思い出して、どうにも体が言うことを聞かなくなる。その竜は私が殺したけど、それでも駄目だった。少し、少しだけ、怖い」

 ベルンは左手を動かして自分の右肩を掴んだ。木と木がぶつかり合ってカタカタと音を立てた。

 少し、なんて言葉は強がりなのだろう。だってベルンが僕に弱音を吐くくらいだ。本心は怖くてたまらないはずだ。

「大丈夫。とりあえず、ここらに危険な竜族はいないし、これから来る奴も僕が殺す」

 僕のそんな励ましは、あまり意味がないようだった。

「旦那様は、確かに強い。だが、これからこちらに向かってきているのは凡百の獣ではない。いくら強くても、戦闘を好まない人がかなう相手だとは思えない。旦那様は戦闘は苦手だろう?」

 わかるのか。ベルンの前ではまともに戦闘なんてしたことないのに。

「なんでわかるの?」

「旦那様は戦士じゃないから」

「……なんだそれ。かっこわる」

 けど、言いたいことはわかった。確かにベルンの言う通り、僕は戦闘が苦手だ。

 苦手なんだ。

 しばらく二人で雨の音を聴く。

 この雑音のようなものが、僕は嫌いじゃない。

 雨のせいで時刻はわからない。どれだけ立ったのだろうか。しばらくして、ムツの意識が戻った。

 ムツは開口一番、不機嫌そうに僕に文句を言ってくる。

「我は森に連れてゆけと言ったはずじゃが? 何故こんな小汚い家に連れ込んでおる」

「了解なんて誰も言ってない」

「生意気な人間じゃ」

「馬鹿で身勝手な狐よりはましだと思うよ」

 ムツと少しの間睨み合い、僕は笑った。

「無理だよ。たった三年でもムツは僕の友だ。死ぬ気の戦闘なんて見過ごすわけにはいかない。森にムツを置いていったからってどうなる? 自分が死んでそれで解決になるなんて、そんな阿呆なことでも考えてるの?」

 ムツは起き上がることもなくため息を吐いた。

「じゃが、放っておくとこの村が滅ぶぞ? 運良くこの村が見つからなくとも、別の村が滅ぶ。奴は財竜(ハヴキェ)とも呼ばれるほどに、自信の所有物に執着する。一度怒らせたら暴れんと止まらん。それこそ、自分の物を奪った相手を殺しでもせん限りな」

 厄介な奴だ。果実の一つや二つくらい忘れてくれてもいいだろうに。僕は舌打ちした。

「だったら、とりあえず狩りに行こう。ほら、焼いちゃえば終わり。焼肉」

「罪竜と力魔術は相性が悪い。奴は汚泥を操る。生半可な火は通らんのじゃ。時期も悪い。雨が降っておる。たとえ主ほどの魔術師であろうと、奴を焼いて殺すというのは至難の業じゃろう」

「あれ? 無理だとは言わないんだ」

 しまったと言わんばかりに、ムツは口を閉じる。普段なら滅多に失言何てしないムツでも、頭に回る血が足りてないと見える。

 にんまりと笑う僕に弱音をムツは釘を差してきた。

「無理じゃ。主ならたしかに、土ごと奴を燃やしきることも可能じゃろう。しかし、そんなことしてるあいだに降る土に押し潰されて死ぬ。奴は巨大でしぶとい。おまけに繊細じゃ。不意打ちなぞ効かぬし、一瞬で勝負をつけることはできまい」

 珍しい。しゃべればしゃべるほどぼろが出てる。そんなんじゃ煽ってるようにしか聞こえないぞ。

「じゃあ、ムツが僕を乗せてよ。そしたら奴の攻撃くらいはきっと避けられる。それに、ムツと出会った時より僕も成長しているんだよ。きっと焼けるって」

 ムツは呆れたようにため息を吐いた。

 ああ、そうだ。ムツが勘違いしているかもしれないから、一つ宣言しとかなきゃいけないことがある。

「ムツは知らないかも知れないけどね、僕は結構怒ってるんだ。勝手に危ないことをした奴はいるし、自分一匹で解決しようとする奴もいるし、なにより」

 そのでっかい蜥蜴は。

「僕の友を傷つけたんだよ?」

 絶対に許せない。

 傷の分くらいは、きっちり仕返しさせてもらう。

 ムツが珍しく驚いた顔をしている。僕が怒っていることがそんなに意外だったのだろうか。僕だって男なんだから、大事なものを傷つけられて怒らないわけないだろう。まあ、先にムツが手を出したのが悪いんだけど、それはそれ。死にかけているムツを前にして、そんなに冷静になれるほど僕は大人じゃない。

 話してて決意が固まったので、さっさとやることをやってしまうことにする。

「ごめん、ベルン。樹の実を半分くらいムツに分けてあげちゃ駄目かな。代わりは、きっと用意……する……」

 振り返って言葉が詰まった。ベルンの左手が、僕の胸を掴んでいた。

 そのまま、頭を僕の胸に預けて、ベルンは声を震わせる。

「やめて、お願い」

 その弱々しい願いに、めらめらと燃えていた戦意が薄れた。いや、戦意が薄れたというよりは、冷静になれたというべきか。

 とりあえず頭を撫でてみる。抵抗されない。

「そんなに心配してくれるなんて、嬉しいなー」

 胸に頭突きされた。一瞬、呼吸が止まる。

 くくく、とムツが笑った。

「ほれ、いいのか。ほったらかしにすると袖にされてしまうぞ?」

「それは嫌だなぁ」

 僕の胸を掴んだまま動かないベルンの肩に手を置く。

「ベルン、僕は死なないって約束するよ」

「約束したからって、死なない訳じゃない」

 素早い返しにうむむと唸ってしまう。横になったままこちらをにやにやと見つめてくるムツが鬱陶しい。

 何とか言い訳をしようと思うけど、どうにもうまいものが思いつかない。 

「あれだよ、基本的に遠くから攻撃するだけだから。一撃必殺だよ。失敗したとか、まずいとか思ったらさっさと逃げるから。開拓地の方にあいつを惹きつけるようにして逃げてさ、適当に撒いて帰ってくるよ。ムツが」

「我か。格好つかんのう」

「だって僕、走るの苦手だし」

 ええい、茶々をいれるな。

「とにかく、ムツの足の早さは知ってるでしょ? 大丈夫だから。きっと大丈夫」

 大丈夫、大丈夫と何度も唱える。不思議な言葉で、この言葉を言っていると段々と気持ちが落ち着いてくる。きっとベルンだってそのはずだ。大丈夫。

 ベルンの手が僕の胸から離れ、ずるりと寝台に落ちた。

 僕は立ち上がって柱樹の実を拾うと、包丁で半分に斬る。そして、片方をベルンに握らせると、もう片方をムツの口元に差し出した。

「食べてよ、ムツ。火の森の主が負けっぱなしでいいの? あーあ、チビどもはがっかりするだろうな。普段あれだけ偉そうにしてるムツが蜥蜴(フェビーニャ)なんかに負けてででででっ。痛い!」

 差し出した手ごとムツにかじられた。僕の手の肉にムツの鋭い牙が食い込んでいる。

「痛いよ! 僕の肉ごと食べる気?」

「貧相な男の筋張った肉なぞいらん。いやー、怪我しとるのでな、ちょっと目測を誤ってしまったのう」

「嘘つけ」

 僕が噛まれたところをさすっていると、ムツの腹部が淡い緑色に輝く。そして、その光が収まった頃には、まるで幻だったかのように怪我が消えている。ただし、再生した部位は一目でわかった。毛の色が緑色になっていたからだ。尻尾も一本だけ緑色になっている。

 思わず笑ってしまった。

「ぷ、碧尾狐」

 ムツの尻尾が僕の側頭部を殴る。

「そんだけ元気なら問題ないね。さあ、行こう」

 ムツはすくっと立ち上がった。怪我の影響は無さそうだ。

 ムツに乗るときの掛け紐を用意して、厚手のコートを羽織る。触媒を用意しようかとも考えたけど、雨だし、いいや。

「朝御飯までには帰るよ」

「……嘘だったら、怒る」

「嘘なんかじゃないさ。できれば、朝御飯を作って待っててくれると嬉しいなー」

 扉を開けると、やっぱり雨だ。少しずつ明るくなっているが、まだ雲のせいで暗い。

「行こうか」

「はぁ。主は怖いもの知らずじゃな」

 僕はムツにしがみつき、ムツは暗闇の中走り出した。



∆∆∆∆∆




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