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D=Buster's ~空威張り交響曲~  作者: 和砂
第二章:魔女の噂と私の選択
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人狼


「本当に、もうっ。お手数をおかけして、すみません」


 都市警護隊(ガーディアン)に連れられて帰宅した万里を迎え、そのまま玄関先での彼の行動は早かった。言うなり、彼は上がり框を裸足で降り、意外な程にぺこぺこして頭を下げる。そして万里の頭も下げさせるトラストに、彼女は目を白黒させ、されるがままぺこぺこ頭を下げた。むしろ、連れて来た都市警護隊(ガーディアン)のお姉さん――たまたま女性が居たのだ――の方が、困ったように苦笑している。


「いえ、お嬢さんは単なる目撃者ですし、こちらとしても通報してくださって助かりました。最近物騒ですので、あまり遅くには出歩かれませんように。それでは本官はこれで」


「はい、ありがとうございますっ」


 ぐいっと大きく力を入れられて、万里は再び、トラストの号令で頭を下げさせられる。日中、担任にやられた首が再び痛む気がしたが我慢し、押さえつけられるまま、ぐーっと下を向いていた。その間に、玄関のドアが閉まる音に、遠ざかる足音が続けて聞こえ、漸く頭の上の圧力が消える。そろそろと顔を上げると、人前用の黒髪黒目に変身しているトラストが、先程の恐縮する家族の顔とは真反対の、面倒事に舌打ちせんばかりの表情に変化しているのを確認した。彼は、出ていった都市警護隊(ガーディアン)に対して、失礼のない程度の間を取って、玄関の鍵をかける。


「っは――、全くっ、お主はっ、どうしてっ、そうっ、…」


 都市警護隊(ガーディアン)に送られてきた万里を迎える時といい、頭を下げる時といい、変わり身が早いし、演技派だ。この人、確か魔王だったよなと、何か納得いかない物を感じながら、万里は左右に首を動かして調子を確かめた。それにトラストは人前用の変身を解いて蒼髪に戻ると、「聞いておるのかっ」と説教までしてくる。


「不可抗力ですもん…」


 不本意さが溢れて、ついつい万里はそう反論した。それにぎっと顰めた顔を向けたトラストは、忌々しそうに「厄介事に首を突っ込む性質をどうにかしろと、申しておるっ」と返す。これは何を言っても無駄と悟り、万里は大人しく、黙りこんだ。


「それで、本日は何をしでかしたのか。いきなり都市警護隊(ガーディアン)が来た時には、何事かと思ったぞ」


 鍵をかけて安心したのか、トラストはリビングへと戻りながら言う。同じく靴を揃えて上がった万里は、ソファにどかっと座るトラストに、口を尖らせて繰り返した。


「さっきお姉さんが言った通りだよ。学校帰りに別の学校の副会長さんに会って、彼の用事でレイナの家に行って、その帰りに暴力事件を目撃して、私が通報したの」


「っ、か――!! 駅での死体といい、今回の件といい、実は東地区(ここ)は、紛争地帯ではなかろうな?!」


「…兎に角、文句が言いたいのは、わかった」


 トラストの言に渋い顔をして、万里は放置しようと冷蔵庫を開ける。ドアの麦茶(家にいるトラストが用意しているのだ)を注いで飲んだら、少しだけ落ち着いた。そこでトラストが「あ」と思いだしたらしく、振り返る。


「今日の夕飯当番は、お主じゃぞ」


「酷い!! こんなに傷心なのに!!」


 レイナの家から帰る時にはまだまだ夕方だったが、片岡と一緒に都市警護隊(ガーディアン)に事情聴取されて、もう夜である。帰宅も遅くなったから、てっきりトラストがしてくれていると思っていた万里は、そう叫び返した。


「やかましいっ!! 毎度毎度、特に朝の当番をぽかす癖に何を言うておるか!! 今日は絶対に許さんぞ!!」


「ひーんっ、トラストの意地悪!!」


「ふん」


 泣きごとを言いながらも、エプロンを着始めた万里を見て、多少落ち着いてきたトラストは、鼻を鳴らしてテレビを付ける。


『今日の午後、東地区路上で、一般市民が暴徒に襲われる事件が――』


 そして彼は、本日の事件であるニュースがテレビでやっているのを見て、消した。立ち上がり、八つ当たりのように、座っていたソファへリモコンを投げ捨てる。


「気分が悪い。我は出てくる故――…」


 トラストが言いかけると、様子を見ていた万里が、ぱっと顔を輝かせて、尋ねてきた。


「夕飯要らない? なら私、カップ麺に…」


 そこまで聞き、トラストは苦言を沢山呑みこんだ顔をして、真顔に近い表情で万里をねめつける。


「きっちり1時間後に戻って来る故、一汁、三菜!! しっかり作れっ」


「ぅわーんっ、トラストの意地悪!!」


 万里の悲鳴が響く時には、トラストはリビングのドアを閉めていた。それから細かな雑音の後、玄関の鍵が回る音がする。きちんとドアから出ていくんだと、変な所に感想を持ちながら、万里は、トラストの持つ合い鍵でまた鍵がかかる音を聞いた。瞬間、一人きりの家の中が、かなり静かな事に気付いて、しょんぼりする。以前は一人でいても何とも思わなかったのにと、ドアのガラスから見える薄暗い廊下を窺った彼女は、そこの影が大きく揺らいだ様に思えてびくりとした。あまり考えたくないからと、鞄からプレイヤーを出して音楽をかけ、手を洗う。少しだけ気分を持ち上げ、トラストに一汁三菜と言われたから、しっかりしたご飯を作らなければと冷蔵庫を開けた所で、また手を止めた。


「そうだ。あの人、“先輩”じゃなかった?」


 事件当時は気が動転していたし、片岡が何でも仕切ってくれたからどこか呆っとしていたけれど、彼の上着の隙間から見た顔に、救急隊に運ばれていく彼に、見覚えはなかったか。先日呼び出された時が初対面だから、正直、顔なんてはっきり覚えてはいないけれども、考えれば考える程、本人ではなかったかとの思いが膨れる。


「あの人が、宿主?」


 万里が疑問を吐いたのは、あの上級生が宿主に当たる様には思えなかったのがある。けれど、万里は、確かに耳鳴りと共に“狭間”から出てくる彼の姿を見た。“狭間”に行けるのは、黒い石の持ち主のはずだ。また、その彼の後に出て来たのは、何だったのか。


「でも、緑深、じゃあ、なかったし」


 狭間から出てきた何かは大きな口で、先に狭間から戻ってきた上級生らしき彼の何かを食い千切っていたのも見ている。その割に、現場には血の跡みたいなものも無かったなと万里は思った。また、彼の介助をしていた片岡だって、やってきた救急隊だって、大きな出血に、生命の危機に、慌てている様子なんてなかった。


「むむ」


 何だかもやっとしてしまい、万里は唸る。被害者である彼が運ばれた病院はわからないが、≪藍蓮≫であれば、やりようはいくらでもあると考えた。


「よし。まずは、晩御飯!!」


 そうと決まれば、早速行動である。ざっと冷蔵庫を振り返り、万里は包丁を握りなおした。











 運河がある中央地区や、隣町との境にある大きな河に面した西地区とは違い、学園都市であるシティ:ロマージュの東地区は、荒れていた平地を一般的な一家が利用するために住宅地にした地区であり、水場と言えば、各家庭の水回りや、庭や公園の池ぐらいである。だからというわけではないが、蒼の魔王とも呼ばれるトラストが司る眷属たちの気配は遠い。彼の眷属たちは、水辺を、とりわけ自然の多い、清涼とした場所を好むからだ。

 とはいえ、力ある魔族たちを魔界に引っ込ませている現在、人間の住む界隈に残るものは、魔族の自覚の無い、人間との混血である半魔やその子孫、あとは、何らかの理由で残った、死にかけの魔族ぐらいで、何度か外を歩いているトラストも、そういった気配を殆ど見かけない。精々、公園の水場でふわふわ遊ぶ、魔族とは呼べない、精霊の様な、霞の様な弱小種族ぐらいである。

 ≪魔力(ちから)≫の放出や行使を抑え、出来る限り存在感を消しているものの、トラストは、魔力を吐き出す魔王だ。彼の存在感に惹かれて、ふわふわした綿毛の様なそれが、今日も纏わりついて来るのは珍しくなく、彼は人には見えないそれらがくっつくままにして、ふらふらと公園へ足を進めた。彼の耳元で、そのうちの一つが子どもの様な跳ねる声で呼ぶ。


「おうさま」「おうさま」


 単に嬉しいという感情をぶつけてくるだけであるので、彼はそれを指でつついてさらに喜ばせてやった。いや、少しばかり魔力を取られたような気もするが、これらは、精々翌朝に朝露となって地面に落ちるぐらいの能力しかないので、放置だ。この様に、トラストが万里と契約した後、若干ではあるが、東地区は水の気が増え、植物が艶々しているのである。それは、少しばかり人間界の空気に魔力が、自然の浄化力が、増えたという事だった。久しぶりの餌の気配に、毛玉が活気づくのと同様、人間界に残っている魔族の血が騒ぐのは必然である。


「ふぅむ。しかしこれ以上抑えるのは、我にも困難…」


 そう呟くトラストの頭に浮かぶのは、この間から騒がしいニュースである、駅で死体が見つかった件だ。あれの犯人は十中八九、魔族であると考えれば、トラストの存在が引き金になったともいえるかもしれない。昔から、この辺りを縄張りにしている者を活性化させたのではないかと心配する彼は、こうして時々外へ出、この辺りを古くから知っている同族を探しているわけだが、そもそも自我を持つ高位種の気配が少ないのが問題になっていた。


「いや、そもそも、我(まおう)を無視して行動するというのが…」


 悩みながら、公園の池の前で足を止めたトラストは、ため息を吐いて、転落防止の柵の上に肘をつき、水面を眺める。所々水草が顔を出し、恐らく鯉だろう、魚の気配がしていた。底に泥が溜まっていそうな、生臭い水のにおいからは、高飛車な者が多い自身の眷属が住むとも思えない。今回も空振りかと、前髪を掻きあげて苛立ちを逃がしたところ、背後に何かの気配を感じて振り返った。


「ほーぅ」


 確かに何かが潜む気配がするのに、ざっと見渡した場所に何も無い。池の周辺を回る小道と芝生を仕切る低木、公園に並べられた広葉樹の奥には、ぽつぽつと家明かりが見えるものの、まだ遠く、見渡した範囲に人の気配はない。少しだけ耳を澄ますと、「――き、ぽき」と細かな音がした様な気がした。その音は、どこかぐもった音で、出所を探すにはトラストの耳の性能はよろしくない。だが「ふむふむ」とトラストは状況の把握し、少しだけ楽しそうに笑みを浮かべた。

 池の反対側はトラストの立つこちらと違い、芝生と低木だけで視界が開け、外灯が多く建っているので明るい。そこにはランニングを楽しむ人の影も見えたモノだが、うっすらと池から靄が立ち上がり、視界を徐々に奪っていく。トラスト一人だけだった、だからこその現状だろう。


 瞬間、きーんと耳鳴りが鳴る。耳鳴りと共に周囲が“狭間”へと変化し、途端に人の気配がぐっと無くなったのを感じた。普通の人間であれば、周囲に一気に生命の気配が薄れた事で不安になるものだろう。けれど、トラストは馴染む≪魔力≫の存在に、ふっと笑い声の様な呼吸を吐いた。女神の封印の効果が薄れているとはいえ、神殿に見つかるのを覚悟で、現世で≪魔力(ちから)≫の行使など、おいそれと出来るものではない。宿主や魔王が本領を発揮できる“狭間”への招待を受け、トラストは好都合と笑ったのだ。

 それと同時か、少しばかり早かったのか、トラスト目掛けて、彼の左手側から何かが飛んでくる。ギンっと捕捉したトラストは、大袈裟に身を捻って二歩下がった。人間に化けている彼の長い黒髪が靡き、相手からは彼が体勢を崩したように見えるだろう。予想通り、そこに、トラストの背後から何者かが向かってくる気配。瞬間、トラストは右手をぐっと掴んでいた。何もないそこに、けれど、手の中に確かな手ごたえが返り、彼はそのまま後ろへ振り抜く。


 ――――ガウアゥァゥ!!


 唸り声と共に降ってきた大きな口は、トラストの右手に握られた白い槍に阻まれた。刹那、ガキンと顎が締まる音と衝撃に、トラストはぐっと槍を押し返す。それから、握る手に垂れてきた涎に、顔を顰めた。


「――ふむ」


 トラストの印象でいえば、跳びかかってきたそれは、人狼に見えた。齧り付こうと思った肉には遠い、槍の硬い感触にぐるぐる唸っている処など、腹を空かせた狼である。それだけなら、魔王の≪魔力(ちから)≫に狂った哀れな一魔族とも考えたのだが、素早くそれの表情を確認したトラストは、愉快そうに細められた目を見て違うと確信した。


「上手く擬態しておるが、魔族ではないな」


 軽く言って反応を見たが、相手に小さな動揺もない。ただ、トラストの平然とした表情と、彼との距離を阻む槍の存在から、人狼らしきソレはくるりと宙を飛んで着地し、彼と距離を取った。


「まぁ、良(よ)い。――仕留めてからでもな」


 言って槍についた涎を吹き飛ばすように振り、トラストは槍を構える。初撃で刃を向けなかったのは、相手の姿を見たかったのがある。トラストは腐っても魔王。魔族であれば、まず相手にしようとするものではない。また神殿の使者であれば、たった一人で挑むものでもない。恐らくではあるが、一つ目の小僧の様に、他の宿主を狩って力を手に入れて来た輩だろう。ただ、一つ目と違い、対峙したソレは、酷く臭った。粘つく血と死臭である。その臭いが、ソレの自信に繋がっているのかもしれないが、トラストは酷く不快だった。なぜなら、トラストは漸く宿主(じゆう)を、それもヒヨコとも言える弱い宿主(きぼう)を手に入れた所だ。だから、そういう輩は早めに排除したいと、動きやすいよう両足幅を広げた。


 すると、トラストにも理由はわからないが、ソレの姿が揺らぎだす。最初は周囲の靄が酷くなったのかと考えたのだが、それが違うと気付いたのは、トラストの受けた動揺が、相手も同じだったという所だろう。苛立たし気な「ウォン」と吠える声を聞いた。靄の向こうで、ぐるぐると二本足で立つ狼が回る。苛立たしく吠え、靄の中に誰かが居るかのように、ばたばた暴れている様にも見えた。

 そこに、ぱんぱんと手を鳴らす音がする。再び苛立たしげな唸り声。姿が完全に消えると気付いたトラストは、咄嗟に左手を翻して、相手へ向けた。刹那、背後の池の水が少量浮き、しゅっと鋭利な角度を描いて飛んだが、靄の中、痛みに呻く声は聞こえず、じゃりっと地面を抉った音がする。


「――何じゃ、今のは」


 トラストが眉を顰めて嘆息すると、次第に靄が晴れていく。ついでにキンと耳鳴りがして、右手の槍の感触が消え、わっと生命の気配が溢れた。再びざっと周囲を見回したトラストだったが、シンとしたもので、薄雲の中に細い月を見たぐらいである。


「帰るか…」


 変な徒労を感じたが、これ以上ここでする事もない。腰のデバイスを見れば、散歩の終わりには丁度良い時間で、今度こそ彼は踵を返した。大した距離を歩いたわけではないので、10分もすれば家に帰りつく。合い鍵で鍵を開けると、そのタイミングで万里の「お帰り!」の声がする。それに「今、帰った」と返事をし、トラストは脱いだ靴を揃えた。適当な姿勢で歩くと、自然と両手がポケットに入る。そのせいで、若干猫背になったままリビングに入った彼は、両手でサムズアップする万里の姿を見た。


「どやぁ!!」


 横目で確認すれば、レタスと卵の中華スープに、多分玉ねぎだけあれば出来るパック酢豚と、もやしのナムル、作り置きした弁当用のきんぴらがあった。面倒くさがりの万里にしてはよくやったと言っていい。


「ま、よかろ」


「じゃ、ご飯にしよう。手、洗って来てね」


「あい、わかった」


 返事をし、ドアを開けかけたトラストだが、再び「――き、ぽき」との音を聞きつけて、はっと背後を振り返った。だが、そこに先程の狼の姿はないし、いつも通りのリビングの光景である。万里が、トラストの気配にぎょっと見つめて来たが、その姿勢でしばらく黙っていても、その頃には、先程の音は消えてしまっていた。


「ト、トラスト?」


 不安そうな万里の声が届く。トラストは、今度は自身の魔眼の力を解放したが、やはりそこに狼の気配を探る事が出来なかった。彼の魔眼で捉えられないならば、先程のは幻聴、自身の不安の声なのだろう。そうトラストは判断し、「何でもない」と首を振った。


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