セントラル病院
H29年3月14日 加筆修正しております。流れは変わっておりません。
夕飯後、大体同じタイミングになったらしく、万里とトラストは並んで歯を磨き、それから無目的な動作で日々の雑務を終え、階上で顔を見合わせた。土日の気怠い雰囲気とはちょっと違ったものを感じ取り、何となく間を取り持つように、万里はにかっと笑う。
「おっ休みなさぁい」
彼女が明るく言うと、その様子を少し時間をかけて見つめた後、トラストが「おう、お休み」と、二階の自室である、開かずの間に引っ込む。それを見送って、万里は笑みを消した。
彼女は、自室のドアをゆっくり閉めると、慎重に音を抑えて鍵をかける。その後、扉を閉める一瞬で目に焼き付けた、真っ暗な自室の床の空いたスペースを器用に進むと、彼女の腕時計型のデバイスの信号を受信したか、奥のデスクにある、置き型のデバイスが休眠から復活して、青白いホログラム画面が展開した。暗い部屋では目に痛いぐらいの光量で、彼女の、少しだけ真剣な相貌をぼんやり照らす。
ふぅっと慎重に息を吐いた万里は、青白い光の中、静かに置き型デバイス前まで来ると、少し腰をかがめてデスク横の通学カバンに手を伸ばした。内部に入れていたパスケースを探り当て、端、角の部分に指をかけて、くっと曲げる。逆側の角を支点にして、八角形の金属の棒がスライドして出てき、それを摘まみなおして、置き型デバイスの右横、外殻より内側の細い溝に滑らせた。
『Welcom N=World』
羽音に似た低音と同時に一般的な紹介画面が浮かんだが、それを待たずに、万里はスライドさせた溝の横へ、パスケースの金属棒を差し込む。カチッと軽い反発の後、そのさらに横に出現した突起を、ぐいっと引っ張った。コードが伸び、それを腕時計型のデバイスに接続した瞬間、デピッと画面表示がズレる。彼女は音で確認すると、くるりと回転椅子を回して深く座り、『D=F=World』となった画面を睨んだ。
万里としては、緑深に捕獲された後でも、都市警護隊もいるし、何だか怖そうな雰囲気を漸く感じ取ったので、“藍蓮”としての活動は自粛したい。けれども、あの上級生の事を警護隊に尋ねた所、個人情報がどうのこうの、事件性の調査などで教えてもらえなかったのである。もう少し時間が経てば、警護隊から教えてもらえたり、学校の先生から話を聞いたり、噂話でわかるかもしれないが、折角、彼が“狭間”の関係者かもしれないと考え付いた、この熱を放置しておくのは何だか嫌だった。
「ログイン」
静かに告げれば、彼女の視界は一瞬にして奪われ、次いで、ばっと明るい景色に投げ込まれる。もう一度瞬きして確認しても、この場は薄暗い自室でなく、蛍光グリーンの背景に細かな光が走る、Worldの世界だ。久しぶりのログインのためか、彼女の感じるWorldの空間はより広いものに感じられ、万里は、ふわりと所在無げなアバターの躰を、どこが下とも床ともつかない場の宙で一回転させる。
体感にすれば、現実世界から虚構世界に入る時は、それぐらいの変化であるが、万里の精神は座っている体を抜け出して、もっと広い場所で引き延ばされていた。形に押し込められていた感覚が、体の境界から滲み出し、ゆるゆると周囲に混ざっていくような感覚で、こうして周囲との境がわからなくなりやすいので、この五感で感じる世界では、アバターという躰が重要なのだ。初めてログインする時や、久しぶりにログインする場合は、こうしてアバターを意図的に動かして、まず、自分の形を強く意識させることが推奨される。そのためのごく自然な反応に躰は動き、万里はさらに自分という意識を集中した。
まず、視覚が手っ取り早く、動きに遅れて、現実のモノとは全く違う、青く長い髪の毛の先が端に映るのを見る。少し視界が暗いのは、目元を覆う薄灰色のシュノーケルのせいだし、両足がちょっともたつくのは、アバターの衣装である、マキシ丈のラップスカートのせい。一つ一つ確認し、両手を握って拳を作る。手の感覚も良好と、万里は両手で体を抱きしめた。その姿は、封印具を付けて狭間に入る時と同様、二十代女性で、変化した万里、もとい藍蓮は、次にアバターに影響する周囲の感覚へと意識を向けた。
繰り返すがWorld、特に企業が場を設定していないD=F=Worldは、体感によって世界を構成する場所だと、彼女は理解している。自由で混沌としている裏側の世界は、人によっては上へ上昇していったり、物凄い速度で走る感覚を受けるそうだ。藍蓮の場合は、海に潜る感じに似ていて、周囲に溢れる質量を水の体感に似ていると思っていた。そういう訳で、ウィザードのお店など、各人や企業が場として設定している以外の自由な場所では、藍蓮の移動方法は、もっぱら水泳である。両足をバタつかせて態勢を整え、設定されている場所の境――大きな泡のような膜が見える――まで、下へ下へと潜っていくのだ。藍蓮が実際に素潜りした経験はないものの、Worldで情報を探すのは、海底にある貝の中から真珠を探すイメージだ。とはいえ、彼女や類する情報集団の鬼門であり、ガッチリとした鉄の門でガードしてある、一見監獄にも見える警護隊には、遠目でも近づかない。今回の目的は救急隊の情報であり、それも、シティ:ロマージュみたいなド田舎の、セキュリティーが甘い、膜がふんわりとしているやつだからだ。
藍蓮は、あくまで、今日聞き出せなかった上級生の居場所を探すためだけに、ここに居る。そのため、まずは救急時の医療者の対応についての情報を検索した。これは単純に、サブデバイスである腕時計型のデバイスに文字を打ち込んでヒットさせる、旧時代からのやり方である。しかし、これまた大量に出てきて、一旦足を止めた彼女はその場でふわふわしながら、頭を悩ませた。とりあえず、60分以内に何かしら救命行動を取らねばならないらしいので、万里が通報した時間から60分以内に動きがあった病院を調べる事にする。
シティ:ロマージュで、緊急手術も対応できる大きな病院は、中央区だけでも三つある。事件があったのは東区ではあるけれど、やっぱり救急時に頼りになるのは中央区なので、藍蓮はそこの三つを集中して調べる事にした。続けていると、中央病院に通報から45分以内に救急車を受け入れた記録があるのを発見する。これでもうわかったようなものだが、念のため、彼女は病院内のデータバンクにお邪魔することにした。海中を浮遊する毒クラゲみたいなセキュリティーを避け、もしくはそっと掬って横へ流す丁寧な作業で、彼女は潜り続ける。
『---!!』
新規カルテのチェックを行うと、17才男子で、病名不明、精密検査必要での入院の記録がある。目的のモノを見つけ、一度時間を確認し、藍蓮は足を止めた。その一瞬で、彼女とそれの間をセキュリティーパックが流れる。次の間隔まで20秒。きゅっと引き締めると、彼女は両手を伸ばす。掌にふわりと膜の感覚があり、それを破かないように指先を浸透させていく。つんと爪の先が触れた。その瞬間、彼女は自作のプログラムを走らせる。決して相手を警戒させず、傷付けず、同化して溶け込むように。6秒で情報を再確認した彼女は、その場から素早く離れた。警護隊や緑深に追い掛け回されて懲りたというのがあるし、緑深から聞いた怖い話――惑星グランディスに狙われている――が、頭を過ぎったからである。つい半年前までは、D=F=Worldで自由に出来た事もあって、漸く自分は子供から脱却したのだと感じていたが、あの件以降、現実での藍蓮はまだ学生で未成年であり、社会の事、自分の将来でさえ全然わからない子供も子供なのだと思い改めさせられた。存在を知ってはいても、星間連合の高官でさえ交流が持てるかわからないという、異星人から身を守る術なんて考え付くはずがない。だからこそ、もう藍蓮は、D=F=Worldに潜るのは止めようと思っている。だが、それを邪魔する要因が一つ存在するのが、目下の悩みの種だ。
光が差し込む気がする、上方の層を目指して足をバタつかせる彼女だったが、その時ふっと思いついて、いつもの癖で腕時計型デバイスを見るような動作をした。当然腕にデバイスはないが、彼女の反応に合わせてポンと小さなウインドウが浮かぶ。連絡のやり取りをする其処に、しつこいぐらいに連絡が来ていた彼の名前はない。
『藍蓮:そういや今日、緑深から連絡が来てないや…』
珍しいなと思いながら、今、手の中にある情報をチラ見して、藍蓮はため息を吐く。今日の午後に見た、狭間から出てきた影が人を襲う光景を思い返す。あの時、頭の中にぶわっと蘇ったのは、お化けネズミが一斉に襲い掛かってきた、緑深の風が吹き荒れた、駅の情景だった。
『藍蓮:緑深が、怖いの全部、倒してくれれば良いのに』
普段、何が彼をそんなにカッカッさせているか、彼女にはわからないが、あの時、片岡でなくて緑深が一緒だったら、きっと気に入らないとかそんな理由で、よくわからないモノも全部吹き飛ばしてくれたはずである。怖い言葉と苛立った態度でわかりにくいが、彼は存外“正しい”行動を取る。改めて考えてみて、藍蓮は口を引き結んだ。完全に信用できるわけでもないし、仲が良いというわけでもないが、次第に彼に懐いている自分に気づいたからだ。
『藍蓮:でも、やっぱり、蹴られるのは嫌』
ふんっと鼻で息を吐くと、再び彼女は水上を目指して足を蹴った。
翌日。あまり早朝に押しかければ失礼だろうと、逸る心を落ち着けて万里が病院を訪れたのは10時前後。正面出入口でなく、休日用の少し離れた場所にある入り口を抜けると、日曜日だけあって、もう見舞客の姿があり、案外数も多い。内部を進めば、常より少ない体制の看護師さんも、事務員も対応に忙しそうだった。お座なりに小さな切り花を購入した万里は、少し緊張しながら、七階の詰め所前を抜ける。病室のプレートには、個人情報の関係から名前表記がないのだが、昨日worldで調べた結果、件の先輩は706に入院しているはずだ。顔は知っているものの、知人の関係でもない自分が訪問するのは場違いとわかっている彼女は、改めて緊張緩和をしようと深呼吸してドアノブに手をかける。
「え、二ノ宮さん?」
ばっとノブから手を離した万里の目に、同じく簡素な花束を持つ片岡の姿があった。
「かっ、片岡、君!?」
目を丸くして、万里がまじまじ見つめると、何か疑問があるのか、片岡が微かに首を傾げる。
「驚いたな。君も、警護隊に尋ねたのか?」
そう言われて万里は、「え?」と声には出さず、顔の表情を変えた。事件性の都合上、ただの通行人である万里には、先輩の行方について教えてもらえなかったのだ。ただ片岡は、学校間での協定で定められた、一部公的な権威を持つ(らしい)、桐葉の見回り番である。この人には特別に教えてもらえたのかもと考え、そして、万里がここに来ている事を不思議に思ったのかもしれない。どうやって誤魔化すべきかと、万里が無理矢理笑みを作ろうとすると、そんな彼女の挙動不審な様子に、軽く眉を動かした片岡だったが、「昨日の人、見舞いに来たんだろ」と彼女を促した。何をどう考えたのか、さっぱりわからないが、特に片岡が何か言及するつもりもないようだし、万里は気持ちを切り替えて部屋に臨む。
彼がドアを横にスライドさせた一瞬、びゅっと風が吹いて、万里のスカートの端を揺らし、足元を過ぎた。真っ直ぐ病室を見れば、入口正面の窓が開いており、クリーム色のカーテンがふわりとはためく。一般病床より料金が高い個室である。一般病床を想像していた万里が、洗面台、トイレ、簡単なコンロまである、案外豪華な内装に目を丸くすると、内部でベッドを使っていた先輩と目が合った。彼も二人の登場に驚いた様子で、まず片岡の姿に不愉快そうな険しい顔をし、次いで間抜け面を晒している万里を見て、変な顔をした。
「お前、一年の…」
互いにあまり良い感情を抱いていない間柄で、ついこの間話したばかりの関係の薄い後輩が来るだなんて想像した事はなかったのだろう。もちろん、相手の立場なら万里も同じだ。けれど、出来るだけ警戒されないように、万里はへらっと笑みを浮かべて「先輩、お見舞いに来ました」と媚を売った。
「は?」
案の定、理解できないと先輩は表情を変えたが、続けて万里。
「私も、昨日、片岡君と一緒に居たんですよ」
「えっ」と先輩が片岡を見れば、彼は頷く。
「そうです。彼女が警護隊に通報してくれました。――ところで、知り合いだったのか」
最後は万里に尋ねた言葉だったが、「うーん」と彼女は困った顔をする。
「本当に、偶然だったの。少し前に、学校で話をしただけで、ほとんど初対面なんだ」
「ふぅん」
特に興味もないのか、言って片岡は、万里の持つ花束を渡すように手を差し出した。
「それもお見舞いの品だろ。先輩、構いませんよね?」
先輩や万里が頷くのを見て、彼女から花束を受け取った彼は、「花瓶を借りてくる」と女子並みの気遣いを見せつけて、病室を出ていく。唐突に二人にされて、万里は再び緊張したが、ここで黙って過ごしても無駄だし、嫌な事はさっさと済ませようと、先輩を振り返った。
「先輩は、…黒い石を、お持ちでないですか?」
先輩は、宿主かもしれない。昨日浮かんだ思いつきを確かめるべく、緊張に強張る顔で振り返った万里の急な言葉に、先輩は当然変な顔で彼女を見た。その表情は困惑しか見えず、万里はやっぱりこの人は違うのではないかと思ってしまう。
「突然、何を。占いの話か? 興味ないよ」
突っぱねる様に話を切ろうとする彼に、万里は一瞬考えるて、青い石の付いた指輪を見せた。緑深に言わせれば、宿主としての万里の能力は、簡単な水使いと、圧倒的な“美味しそうな”気配らしい。であれば、この封印具にも似たような気配があるのではないかと考え、また、元々は黒い石であった封印具を見せれば、何かしら気づいて態度に出るのではないかと考えたのだ。しかし、差し出された万里の手に乗る指輪を見たも、それがなんだといわんばかりに彼女を見上げる先輩に、万里はがっかりする。ただでさえ、険悪に近い先輩の態度に難儀しているのに、変な事を言い出した万里を追い出したいという風に彼は思っているのを察した。
やっぱり思い違いだったと考えて、無難に謝罪して帰ろうと考えた万里ではあったが、その時、目にゴミが入ったかの様に、左目が痛んだ。「あ」と短く呻いて、手で目を押さえた万里であったが、次いでキンと、小さな耳鳴りがして、何とか目を開けようとしながら、周囲を見た。
「え?」
目の前の先輩は、病衣を着たまま、ベッドの上で上体を起こして座っているのだが、その片腕がぼやけたように見えたのだ。まだちくちくと痛むが、左目を開け、万里はそれをよく見る。そして、確かに彼に両腕があるのを確かめ、先ほどのは見間違いだったのかと、視線を動かして、びくりとした。「先輩…」と恐れる様に、万里は尋ねる。
「変な事をお聞きしますけど、…その腕、動かせないんじゃないですか?」
続けて彼の腕を見た。正確には彼の影、ちょうど、腕がある場所だ。綺麗な人型の影が、片腕だけ欠けている。万里の視線が彼の影、多分動かない腕の場所を見つめていることに気づいたらしい先輩は、途端に顔色を悪くし、絞り出すような、唸るような小声で言った。
「お前も、“魔女”の仲間なのか?」
この間、レイナの事について話していた時より、もっともっと怖くなった先輩の目が、万里を見据える。
「いっ、いいえ」
魔女というものがよくわからないが、レイナが宿主の証である黒い石を持っているところを見たことはないし、彼女の近くで、狭間に出入りする時の、強い耳鳴りを感じた事もない。先輩の言う魔女のイメージには、全く当てはまらないと自信を持って言える万里は、彼の考える魔女とは別物と、急に怖くなった先輩の視線に慌てて首を振った。そして万里は、宿主には見えない先輩と、差し出した指輪をもう一度見る。
「でも…」
言って、彼女は指輪を握りこんだ。これがあれば、“狭間”で、魔王の力が使える。先輩の言う魔女ではないが、不思議な力が使えるのは事実だ。もしかして、と、万里は思った。もしかして、私にも、何か出来るかもしれない。ぶわっと武者震いが来て、万里は息を吸う。不愉快そうに万里を見る先輩は、宿主には見えないが、“狭間”に居た事は間違いなく、何か知っているかもしれない。
――――何か、役に立てるかも。
一瞬、彼女の考えを肯定するような、誰かの笑顔のイメージが浮かんだ気がして、万里はごくりと喉を鳴らした。もしかして先輩も、万里が何も知らないと思っているから、話してくれないのかもしれないと考え、彼女は背中を押された気分になる。そして、運命共同体だとトラストが言って、手を差し出したあの夜も思い出した。きっとトラストも何かしらの方法で彼女を見ているはずだ、と万里は信じる。ぎゅっと指輪を握りこんで表情を引き締めた後、彼女は右手の中指に通した。
――――――キンッ!!
強い耳鳴りは、“狭間”を呼び出す。耳鳴りの後、ベッドに居る先輩は、目を見開いて万里を凝視していた。彼の目には、一瞬で変身した万里の姿が見えているはずだ。そして、一気に人の気配が遠くなった周囲にもすぐに気づいているのだろう、恐々とした表情になっている。それこそが、きっと彼を信用させる要因になると、万里は頬を上気させた。
以前、緑深は、適性があれば自身が狭間に出入りする際に、相手を一緒に引き擦り込めると、万里に教えてくれた。それをするのは初めてだったが、トラストにお祈りをしたのが功を成したのか、上手くいったと、少しだけ口元の緊張を解き、万里は先輩に熱心に訴える。
「先輩を襲った奴も、こんな風に出来たんじゃないですか? 私がこれを出来る様になったのは、ここ一月ぐらいの事です。けれど、もっと上手に扱える、私よりずっと強い人を知っています。もしかしたら、その腕の事も、何かわかるかもしれません」
――そう。もしかしたら、私も、誰かの役に立てるかも。
何かわからないが、甘美なものが胸中を占め、万里はその衝動に任せるまま、先輩に身を乗り出した。
「お願いします、教えてください。昨日、一体、何があったのかっ」
万里も“狭間”に初めて入った時は、その気配の薄さを実感して、すごく不安になった。けれど、顔見知り程度だが、変身した万里も居るし、先輩の不安は少ないのではないだろうか。それにこの力を納得して、協力してくれるだろう。そう期待感が充満する万里の先で、電動ベッドの背もたれを起こしている先輩が、彼女の変化に驚き、そして何かを納得した様子で微かに頷いた。次いで万里の顔を見つめた時、彼女は素直に教えてもらえると考えた。けれど、彼は一瞬で怒り顔になると「ふっざけんな」と一蹴する。一瞬にて困惑をした万里を、彼は睨んだ。
「お前、それを知ってどうするつもりだ? 俺を襲った“化け物”倒してくれて、ゲームみたいに解決してやるって? 何様のつもりだよっ。あの“魔女”も“化け物”も、お前だって、同じだ!!」
急に怒鳴られて、万里は呆気にとられる。何だか、言いがかりをつけられているように思った瞬間、彼は凄んでみせる。
「ただの一般人を、こんな馬鹿げた事に巻き込んで楽しいってのか?」
「そんな…」
言いかけた万里を睨みつけ、彼はベッドから身を乗り出して怒鳴る。
「腕の事だけじゃない、俺の友達だって、ずっとずっと探してる。助けてくれるってんなら、もっと早くやれよっ、今頃出てきて、何が出来るってんだよっ!!」
こう言われて、万里は一瞬沸き上がった反発心もあったのだが、これ以上何か言えば、何か衝動的に暴力に襲われそうな、そんな強い気配を彼から感じて何も言えなかった。実際、勢いを失くした万里に向かい、苛立ちが収まらないらしい先輩は、動く方の腕で背中の枕を引き抜くと、一瞬振りかぶり、ぎょっとした万里を見て、自分の膝の上に投げつけた。
緑深みたいに感情のまま、万里に投げつける事も出来るだろうにと、万里は、目の前の先輩も悪い人ではないのだと、彼の心情を考えなかった自分に気づいて、気まずい顔をする。それに、先輩の言葉に、何故自身がこの件に絡もうとしていたのか、その理由が、自分が物語の主人公の様に感じる不思議な盛り上がりが主で、先輩のためでなく、自分の私情だとはっきり教えられたのもある。言葉を失って、万里の身勝手さに怒る先輩の視線を受けられず、彼女は指輪を外して下を向いた。
――――――キンッ!!
会釈するような形になったのは、彼女の心理を現しているのかもしれない。しょんぼりと肩を落とした万里を見て、気持ちを落ち着けるように深呼吸した先輩は、タイミングよく戻ってきた片岡を見て、彼も睨んだ。
「桐葉の番犬さんよ、昨日の事について、あんたの話は聞くよ。だから、そいつ、早く出してくれ」
微妙な空気を感じたらしい片岡が、花瓶をサイドテーブルに置きながら万里をちらりと見る。しょぼくれてしまった万里に変な顔をしながら、先輩に何事か取り成そうと口を開いてくれたようだが、彼の意志は固く、半分泣きそうになりながら、万里は「すみませんでした」とだけ頭を下げて、退出した。
「二ノ宮さん」
心配顔の片岡が、病室からちょっとだけ顔を出したが、万里は無理に笑みを作ると「ごめん、帰る」と告げてそこを後にする。諦めたらしい片岡が病室のドアを閉める音を聞きながら、万里はエレベーターのボタンを、上の階へと押した。
結果として、万里は自己嫌悪して諦めたわけではなく、自己欺瞞も含めて頭に来ていた。第一、大きなお世話かもしれないが、こちらとしては一応の親切心であるわけだ。先輩だって、大変な目に遭ったのだから動揺するのはしょうがないとしても、原因だって万里のせいじゃないし、友達の件だって万里のせいではない。全くの八つ当たりでないかと、後から段々ムカムカしてきたのだ。故に彼女は、しおらしい顔をしつつも、エレベーターで、リネンはためく屋上へとやってきて、苛立たし気にどっかりと空中庭園前のベンチに座った。
ふーっと息を吐いて、腕時計型のデバイスに触れる。ポーンと軽い音を立てて、その逆、心理的に重たい連絡を飛ばした。目元と耳元に、光が展開する。日曜日の午前中に彼が何をしているかなんて全く知らないが、どうやら暇だったようで、目的の彼は通信に出た。
「もしもし、“藍蓮”です。あのね、一生のお願いっ!!」
言葉と一緒に動作も出て、背中を丸めて胸の前で両手を組んだ万里の耳に、今起きたばかりのような不機嫌そうな声が返ってくる。
『っんだよ…』
今日も、彼、緑深は、不機嫌だ。いつも通りだと万里は、勇気を自分に込めた。
「今、中央病院に居るの。そこに入院している、私の学校の先輩が、狭間の何かに襲われていたの。解決したいから、手伝って!!」
『あぁ?』
言葉の端々に、お前馬鹿かとか、そういう悪口的な空気を感じ取ってはいたが、彼が万里を馬鹿にすることはそうそう珍しくないと、彼女にしては妙な強気メンタルを発揮して、「お願いしますっ」と彼女はもう一度拝み倒した。ちっと舌打ちが聞こえたが、緑深は拒否するつもりはないようで、『わかった』と簡潔に言う。
『ただ、俺も予定がある。夕方、……そうだな、19時に。そこの裏手の第二駐車場で』
「はいっ、有難うございます!!」
希望が見えたと元気よく返事をすると、やっぱり『煩い』と怒られた後に通信が切れた。目元と耳元の光が消えていく間、万里は両拳を握りしめた。
「みぃ~て~ろぉ~よ~」
あのいけ好かない先輩に向けて、怨嗟の言葉を吐きつつ、万里はこれからの時間を何に使おうかと、頭を悩ませた。




