片岡君
欠伸の気配に、慌てて片手を口に持っていった万里だったが、わふっと大きく開いた口を完全に隠せたのか、わからない。夕方に夜にと、緑深に呼び出されて今日も寝不足な万里は、半日授業の土曜日で良かったと、むにゃむにゃ口を動かしながら考えた。
それにしてもと、万里は、授業最後のHRでも姿が見えない、美人な友達の席を横目で見る。掴みどころがない彼女の事、平日の二時限目でひょっこり現れたり、こういう半日授業の時は完全にお休みだったりと不真面目な所があり、今日はどうやらその日だったようだ。
人見知りの気がある万里などは、普段しゃべる友達がいないと一日話す事なく帰宅する事になるので、何だか寂しい。ちぇっと口をとがらせて、面白くもない担任教師の話を聞き流す事に集中する。早く終わらないかとぼんやり思っていた所、「そうだぁ」と思い出したように、間延びした声で担任が続け、彼女は肩を落とした。
「西地区に住んでいる奴は居るかぁ? 最近、ひと気の無い場所で、不審者に声をかけられるというぅ案件があぁる! お前たちも高校生だ。危ない場所にはぁ、近づかないっ。知らない人に声をかけられても、ついて行かないっ。こういう当たり前の事は、ちゃんと、しろぉ」
まぁ最もな事を言う担任に、万里は心中で、「また不審者か」と細く息を吐いた。春先だから仕方がないのかと、眉根を寄せて考えていると、何故かわからないが、ばちっと担任と目が合った。きょとんとすると、彼は一度頷く。
「あとぉ、二ノ宮は、終わってからちょっと来ぉい」
予想外の言葉に万里がきゅっと眉根を寄せると、彼はHRの終わりを告げた。一斉に鞄を取って帰宅する他生徒を見て、次いでこっちに来いとばかりに手招きする担任を見る。盛大に顔を顰めて、教室前へと歩いて行くと、両手を教卓について体重を支えている、でっかい担任が待っていた。
「先生、何ですか」
「うん、二ノ宮ぁ。昨日、上級生に呼び出されてなかったかぁ?」
万里が声をかけると、担任はそう言う。昨日呼び出された庭は、二階の職員室から見えるので、どっかから見ていたのかと、一瞬で万里は考えた。
「何だ、先生。見ていたなら、あの人、注意してくれれば良いのに!」
「う、ぅん?」
万里から見ても私怨混じりの、年下への偏見その他を思い出してそう言えば、担任は途端にきょとんとした。それに万里は肩を怒らせて、「だって、あの人、酷い事ばっかり言うんだもの」と続けたのだが、担任教師はさらに目を黒白させただけだった。どうやら、彼のレイナへの誹謗中傷の件ではないらしい。では何だと、万里は丁寧な言葉で彼に尋ねた。
「二ノ宮ぁ。お前、あの上級生が、あの後、何処に行くぅとか、聞いてなかったかぁ?」
「はい?」
今度こそ、万里は変な顔をした。それで答えがわかったらしい担任も、ちょっと困った顔で「聞いてないかぁ」と頷く。何処までも間延びする変なイントネーションの担任の声に、万里はさらに訝し気な顔になって見上げた。
「先生、どういう事?」
じっと見上げた万里を、これまたじっと見つめた担任は、少しだけ考えた様だった。ぽんぽんと軽い調子からは、ずーっと外れた、ぐいっと潰す様な力で彼女の頭を撫でる。
「いや、――お前は気にするなぁ。あと、ちゃんとぉ、真っ直ぐ帰れよぉ」
結果、両肩より頭の位置を下げさせられる事になった万里は、「先生ぇ、痛い!」と文句を言った。彼は「がはは」と笑って万里を解放したのだが、体育教師でもある担任のばか力によって、痛めたのではないかと、万里は首の後ろを撫でて、教室を出る事になる。
「あー…いててててて」
冗談でなく、首が痛い。「花の女子高生に何て事するんだ」と、心中で悪態をついて、玄関までの真っ直ぐな廊下を歩く、彼女。ほんの少し担任に捕まって話を聞いただけで、結構な人数が部活へか、下校してしまった様で、廊下に人はいない。いや、普段なら聞こえてくる運動部の掛け声も小さいから、きっと皆、中央通りのお店をショッピングか、オールワンでボーリングかカラオケでも楽しんでるはずである。
折角のお休みに出遅れた気分もあって、少しだけ急ぎ足で進むと、すぐに玄関ホールが見えて来た。昨日、例の上級生に呼び止められた場所だ。ふと、先程の担任の様子が思い出され、万里は難しい顔をした。
「おい、あんた」
すると、本日もまた誰かに誰何される。「んぬ」っと、声の方向に顔を向ければ、何列もある下駄箱の何処からか、一人の男子生徒が出て来た。白いシャツに黒のスボンなんて、男子の制服は何処も一緒だと思うのだが、彼は朱色のネクタイをしている。あれ、白樺高校の制服でないなと感じた所、彼が万里目指して歩み寄った。
「すまないが、生徒会室へ案内してくれ。って、何だ。二ノ宮さんか」
名前を言われて、再び万里は「んぬ」と、彼をまじまじ見る。べたついた印象の黒い髪に見覚えがあるぞと思った瞬間、「あぁ!桐葉の」とピンときた。神期祭の日、セントラルパークで会った、桐葉の見回り番、もとい副会長だと気付いたのだ。
「ええと、あ、そうだ。片岡副会長!!」
「あぁ、そうだ。悪いが、その長ったらしい名称で呼ぶのは止めてくれ」
「じゃあ、片岡君」
友達が少ない万里の事、知り合いに会えたと、にこにこする。万里の呼び名に一瞬、流し目を寄越した片岡だったが、彼女の悪意ない様子に毒気を抜かれたか、「それで良いよ」と適当に頷いた。
「ところで、生徒会室は――」
「こっちこっち。左手側に階段があるの」
靴に履き替えようと、半端脱ぎしていたスリッパをきちんと履き直し、万里は玄関ホールの西、少し暗がりのある先を指す。理解したと頷いた片岡を待って、先導するように足を進めた。
「二階か?」
「うん。職員室のまん前。先生の見える位置にあって、悪い事出来ない感じが、それっぽいでしょ」
「…よくは、わからないが…」
しゃべりながら二階に上がると、玄関ホール同様、二階にもホールに出る。一瞬響いた声に、万里ははっと口を覆うも、気にせずきょろきょろ見回している片岡を思い出して、小声で、「こっち」と彼のシャツを引っ張った。
「右手が職員室で、左手側が生徒会室です」
行き慣れた生徒会室前に到着すると、万里は「どぞー」と片手でドアを示す。
「さんきゅう。助かったよ」
「どういたしまして~」
お互いに言って、片岡はすぐに生徒会室をノックする。人助けってちょっと気分が良いと、万里が満足気に帰ろうとしたところ、「はいはい」と出て来た金髪の会長が、目の前の片岡を無視して、彼女を発見、呼び止めた。
「万里ちゃん、来てくれたのぉ!」
明るい会長だったが、何かある毎の頼みモノの際の声音に似ていて、万里は飛び上がる。反射的に「え、違う」と言うが、戸惑う片岡を綺麗に避けて、白樺高生徒会長、日比野が万里の手をはっしと掴んだ。びくりと会長を、そして所在なく立つ片岡を順に見るが、会長は万里の心境を丸無視しているし、片岡は変な顔をするだけだ。
「お、お客さん連れて来ただけ!」
「うんうん、片岡君ね。万里ちゃんも来てくれて助かったよぉ。丁度困ってたんだぁ」
――ほら来た、頼まれごと!
万里は慌てて「ホチキス止めはしないからねっ」と叫ぶが、抵抗むなしく、片岡ともども生徒会室へと連行された。室内は、周囲をワイヤーラックで囲まれ、そこに歴代の資料やら書類やら、細々した道具、文房具などを置いてあり、白樺高校の生徒会室は意外に手狭である。初めて入ったらしい片岡も、教室その他が案外広めに作ってある私立の巨大学校である桐葉の生徒だけあって、「狭いな」とぼつりと言った。
さてはて、二人を引き込んだ日比野は、適当な丸椅子を持ってくると二人に勧める。窓から差し込む日が当たる東側に片岡、一番ドアに近い北に万里、影になっている西に日比野と座ったのには、日比野の他意はないと思いたいが、べっとりした色合いの黒い髪の片岡は、ちょっとだけ暑そうだ。
「ごめんね、お茶も出せずに」
白樺の生徒会では、普段、各自が一階の階段横にある自動販売機で飲み物を購入して、上がって来る。元々手狭で、給湯室がない(緊急時は職員室のを利用)からの伝統であるが、今、気にするのはそこじゃないと万里は思う。案の定、片岡は日向が眩しいのか目を細め、いや、潜め、首のネクタイを緩めた。やっぱり暑いんだろう。
「いえ、お気になさらず」
声は淡白というか、いつもと変わらずな調子の片岡だが、早く解放してあげた方が良いだろうと、万里は早速話を促した。
「それで、片岡君の用事は何? 部外者が居て困るなら、私は出るよ」
それに片岡はちらりと万里に視線を寄越した。目線からは『そうしてくれると助かる』とのニュアンスを受けて、彼女は腰を浮かせる。だが、日比野がさっと、万里の肩に手をやって留めた。
「あのね、片岡君の用事って、“レイナちゃん”なんだよね」
思わず、「何だそれ」と目で訴えるが、前髪を長めにして表情を隠している日比野の顔色は読めない。困って片岡に視線をやると、何だか彼は、思惑通りに進まなくて憮然としたような、少しだけ硬い表情をしていた。
レイナは、他校でも有名な、不気味な“魔女”であると同時に、かなりの美女としても通っている。まさか彼女に懸想してと、万里が目を見開いて告げようとした瞬間、それまで黙っていた日比野が言った。
「“魔女”に助言が欲しいんだって。ほら、占い得意でしょう、レイナちゃん」
片岡を指差そうとしていた万里の行動が、びたりと止まる。一本立てた人差し指を少し揺らして、言いかけた言動を消化し、万里はちょっとだけバツの悪い顔で指を下げた。大変不自然だったと自覚しているが、日比野と片岡の二人は特に何も言わなかったのを幸いと、ゆっくり座り直す。
「万里ちゃん、レイナちゃんと仲良いじゃない。同じ東地区だしさ」
言われた事に、万里がちょっと照れて目を瞬かせると、片岡が興味を持った風に彼女に視線を向けた。
「なるほど。二ノ宮さん、魔女の所に案内してくれないか」
「あぁ、でも、今日、レイナは来てないよ」
学校に不在だと告げると、日比野は逆に「丁度良いじゃない」と万里に提案する。
「万里ちゃん、帰りに寄り道してってよ。はい、これ、地図」
日比野に上手い具合に厄介事を押しつけられ、万里は、はっとした。同時に、彼女のデバイスにポンと、恐らく地図だろう、アクセスが入る。友達の万里でさえ、まだレイナの家の場所を知らないというのに、なぜ日比野会長は知っているのか。この人、生徒会長の立場で職権乱用しているんじゃないだろうなと、万里は慄く。
「何で、住所、知ってるの!?」
叫びながらの彼女の脳内は、再び「ほら来た、厄介事!」の嵐で、そして目の前のちゃっかり者の会長は、その笑顔を崩さず、「よろしくね、片岡君」と流した。
確認の為に差し出された、万里の腕時計型のデバイスからホログラム表示された地図を一瞥し、片岡は周囲を見渡す。万里たち二人は、中央区から東地区へと電車で移動し、万里の利用する駅から二つ前の駅で降りた所だ。
この駅のエリアは、山の斜面にある北地区には劣るが、丘の高低がある場所で、万里の新興住宅地より少し古い街並みがある。古いとはいえ、隠れ家的なおしゃれな雰囲気がある、東地区でもお金持ちが住んでいそうな場所だ。ぽつぽつ住宅に紛れるようにして小さな雑貨店や美容室があったり、大学生以上が利用するようなお高めなカフェがあるのだが、お小遣いが寂しい万里には縁が無い。あと、レイナとは友達だが、一か月ちょっとぐらいしか付き合いのないため、彼女の家に遊びに行ったことがないのである。どこまで見越して地図をくれたのかと、万里は自校の生徒会長を思い浮かべた。明るく楽観的な発言が多いからそういう頼りない風に見ていたが、あれでしっかりしているのかもしれないと、考えを改める。考えながら、方向感覚が良いらしい片岡に、レイナと会話して記憶したヒントを提示した。
「えっとね、確か、玄関に赤い牡丹が植えてあるって」
「今は牡丹の時期じゃないぞ。――この家じゃないか?」
万里のヒントに苦笑する片岡が、通り過ぎようとしていた家の前で止まる。万里も早足で、彼の元に辿り着き、彼が指している、大きなギザギザの葉っぱを付ける低木を見た。片岡が言うので、多分、牡丹だろうと思う。
さて、家の顔でもある門は、元は綺麗にペイントしてあったのだろう木製だが、長雨に当たって色落ちしたり、欠けたりしていた。でも春になって緑が芽吹く庭はワイルドガーデンの様で、それとマッチングして様になっており、長く時間をかける事で上品に仕上がった雰囲気を家から感じる。
「うわ、おしゃれぇ…」
やや気おくれしながら、門から玄関ポーチまでを行ったり来たり、眺めている万里の横で、片岡は、これまた長く時間をかけて薄れた表札代わりの小さな看板を見つけた。吊り下がったそれを指で軽く持ち上げると、指先に木屑がついた。剥げて読みにくい文字を睨む。
「“神蘭”、――シェイラン?」
「え、読めるの!?」
片岡が何をしているのか興味を持った万里が覗いている処で、彼はぼそりと呟き、万里は驚愕の声を上げた。彼女は仮にもシティ:ロマージュ、旧東洋領の人間であるから、片岡が見ていた文字が、恐らく旧東洋領の一民族の文字らしきものだとはわかったが、読み方はもちろん、意味も知らない。先程の牡丹の花の時期といい、片岡は博識なのだと、理解する。
「頭、良いんだねぇ」
彼を表現する語彙力がなく、簡易な言葉でしみじみ感心する声をあげる万里に、片岡は照れを噛み砕く様な渋面をした。日比野会長と同じく、目元を長めの前髪で隠そうとしている片岡はちょっと目が鋭いので、近くで見ると睨まれているように感じる。彼の顔が見えた万里は、少しだけびくりとし、それに気付いたか、片岡がさっと顔を背け、「簡単なものだけだよ」と取り成した。
そんなこんなしていると、玄関右側、庭の方から人の気配がする。はっと二人が顔を向けると、肩口で揺れる、ふわふわの赤毛と、伏せた目が印象的な美女、レイナが現れた。彼女は、肩部だけ出した長袖のトップスと、大きな胸を強調するようなハイウエストのスカーチョを見につけている。制服でなく私服姿の彼女に、「あぁ、これは学校にくるつもりはなかったわ」と、万里が強く確信していると、彼女は万里を見つけて片手を上げた。
「あら、いらっしゃい。来るって予感はあったけれど、よく家がわかったわね?」
何から説明したらいいのか、それともレイナの言葉に突っ込みを入れた方がいいのか、迷う万里がそれに変な顔をしたと同時に、隣の片岡が彼女に声をかけた。
「初めまして、片岡と言います。桐葉の副会長です」
「あぁ、有名な番犬さん」
レイナの言葉に頷くと、片岡は「実は、貴女に“視て”もらいたい事が」と続けようとし、「まぁまぁ」とレイナに留められる。万里が、片岡とレイナを交互に見ていると、レイナはかつかつ門の前までやってきて、きぃっとそこを開けた。
「どうぞ、お入んなさいな。お茶ぐらいは出すわよ」




