魔女の噂
万里は元来活発な性分ではない。特に暇な学校生活では、昨夜の夜更かしの影響が大きく出て、欠伸が止まらない事も多い。折角のお昼ごはんも欠伸混じりで、横のレイナに何か言いたげな視線を向けられる。
「夜更かしすると、酷くなるわよ。目の下」
「うん、わかってはいるんだけど。……ふわぁあっ」
枝豆とエビの真蒸をもぐもぐして、やっぱり欠伸が出た。万里の様子を見て、レイナは変化の少ない顔面に呆れの表情を作る。
「面白いテレビでもあった?」
「んーん。worldの知り合いが皆、宵っ張りってだけ」
「N=world依存症ね」
惑星植民地化計画以前の、大昔の社会から問題になっている件を指摘されれば、万里も自覚があり、「そうだね」と言う他ない。彼女は、光を見て脳の覚醒を促そうと、明るい白壁に囲まれる中庭を見た。
「あ、嘉島君だ」
そして、何となく嫌なクラスメートの姿を見かけ、ある意味目が覚める。何とも言えないもやっとした気持ちを自覚しながら、万里はその姿を眺めた。彼は、バレーをする女子生徒たちを避け、端のベンチでバカ笑いしていた男子生徒たちの声も無視し、この時間人気のない、プール側へと中庭を横切っていく。良く見れば、肩を怒らせ、足取りが粗雑だ。もしかすると、顔は怒りで歪んでいるかもしれない。
「何あれ」
近寄りがたいものを感じて万里が呟けば、そろそろ姿が見えない場所へ消える彼を見ようと、レイナも身を乗り出してきた。
「ふぅん」
何だか納得した様なレイナの声を拾い、万里はピンとくる。
「やっぱり、バレたのかなぁ」
「かもね」
すぐに興味を失ったレイナは、再びクロワッサンを齧る。嘉島君の様子も気にはなるが、自業自得と一人納得し、それより、隣の彼女の好物と知ってはいるが、ほぼ毎日クロワッサンを齧っているレイナが気になった。
「好きだねぇ」
「そうよ、大好き」
からかう様に言えば、常に半眼無表情の彼女がそう言って、微笑む。珍しい光景に、万里は目が点になり、そして美女の微笑みの、艶めいた効力を感じて真っ赤になった。大学生にも間違われる彼女がこれを連発でもすれば、世の大半の男共が陥落するだろう。思わず周囲に、彼女の微笑みを見た人物がいないか、万里は左右を確認した。
「どうかしたの?」
万里の心配をよそに、元の無表情に戻ってしまったレイナは不思議そうに言う。彼女の彼氏になったら、こんなことを心配しなくてはならないのかと、変な気持ちを味わう万里は、「もーっ」と悶えた。
「美人、嫌いー!」
ぽこぽこと憤慨すれば、レイナは無感動ながら、褒められたからと、「ありがとう」と言う。そういう嫌味がない行動も美人すぎて、万里は悔し紛れに卵焼きを頬張った。
そんな折、急に視線を感じて、万里は先程まで見ていた中庭を振り返る。人も多いのでわからなかったが、すぐにこちらを睨むようにしている男子生徒の顔を見た。遠目なので確信は無いが、胸の学生章の色が違うから、上級生だろう。「何だ何だ」と彼を凝視すれば、万里の視線に気付いたらしく、すぐにその場を後にする。レイナに振られたクチかなと、万里はぼんやり思った。
それが昼休みの事で、放課後になれば、レイナは吹奏楽の部活動があるからと出掛け、帰宅部の万里は、すぐに帰るのはもったいなく思い、暇を持て余すように図書館へと足を向けた。
「おい、一年」
図書室の扉を開ける瞬前、周囲に人気のないその場で声をかけられ、万里は振り返る。昼間、中庭からこちらを見ていた上級生だと気付いて、怪訝そうな顔で彼を見た。顔がかっこいいわけでも、取り立てて不細工でもない、平凡顔の男子生徒である。胸の学生章から二年生かと見て、「何ですか、先輩」と礼儀として言った。
「お前、“魔女”の話を知らないのか」
急にそんな事を言われて、万里は鼻白む。友達の事だとはわかったのと、相手の不機嫌そうな気配に何となくムカっときて、顔を歪めてやれば、察した相手はぐっと眉根を寄せて、何か、不味いものでも吐く様なため息を出した。
「ちょっと話がある。こっちこい」
「ここじゃ駄目なんですか」
「良いから。そこ、すぐ庭があるだろ」
断っても良かったが、何か悪口を言ったら言い返してやろうと決めて、万里は、むっとする先輩の後を、同じくむっとした顔でついて行った。図書館から歩いて左は、玄関前のホールがあって、そこから左に曲がればすぐ中庭へ出る渡り廊下がある。その廊下を左に出ると、こっちは庭樹が茂る、少し寂しい庭だ。そのまま庭の土を踏めば下履きが汚れるからと、端の砂利ばかりの場所に隠れるようにやってきて、少し距離を置いて、再び対峙した。
「悪い事は言わないから、あの女と距離を置け」
前置きはしないタイプなのか、そう言われて万里は益々むっとした顔になった。
「何なんですか、一体」
まったく余計なお世話だと言い返してやれば、彼はまた怖い顔になると、声を潜めるように一歩万里に近づいて言う。
「“魔女”の傍に居る人間には、不幸が訪れる」
今度こそ万里は、「はぁ?」と声を出した。春先にレイナと友達になって、遠回しに噂を聞いていたが、こうして直接言われた事は初めてで、それまでむかむかしていた思いを纏めて先輩にぶつけたのだろう。けれど、こちらのむっとした顔にも怯まず、彼はさらに怖い顔をして続ける。
「知らないのか。魔女が居た中学校で、教室にトラックが突っ込む事故があった事」
「それ、レイナだけが軽傷で済んだって話ですよね。教室の一番端の席だったからでしょう?」
一緒に居たクラスメートだとしたら、擦り傷だけで無事だったレイナを不気味に思うのかもしれないが、そもそも突っ込んできたトラックの一番遠い位置に居たらしいので、とても幸運な学生だと、報道されたニュース番組の中でも紹介されたらしい。万里が怪訝な顔で見上げていると、「じゃあ、これは」と彼は続けた。
「建設現場の事故で、隣の通行人が死んでいる」
「それも、運良く資材が落ちてこなかったってだけでしょう?」
その噂は知らないが、結局はそういう事なのだ。偶然事故があった場所で、彼女が助かって、周囲で死傷者が出ているから、噂好きが尾鰭をつけて話をしたがるだけなのだ。有名な“魔女”と友達になるに当たって、自称親切な人がいくらか教えてくれて、万里もいくらか知っていた。この上級生も、“親切な人”なのかと万里の視線が次第に不穏なモノになってくると、彼は顔をこれでもかと顰めて、「わかった」と深呼吸する。何か重大な話をするらしく、万里に言いふらさない様に繰り返して、口を開いた。
「俺の友達は、あいつが好きだった」
この系統の話だと、振られたんだなと即座に万里は察する。逆恨み系の話だろうかと彼を眺めていれば、彼はそれからの経過――やっぱり振られた事、そして諦めきれずにしばらく付きまとっていた事――を話した。呆れていく万里だったが、彼は一度悩むように表情を変えると、次に突拍子もない事を言い出す。
「その三日ぐらい後だ。放課後、魔女を見かけた俺の友達があいつに話をしに行って、――それから行方不明だ」
「は?」
唐突すぎて、万里は固まった。他人の、それも上級生の友達を悪く言いたくはないが、あまりに突飛なこじ付けではないだろうかと考えたのだ。けれど、上級生の口ぶりでは、それにレイナが関わっていると信じ切っている様子で。
「警察は、ただの家出って事で取り合ってくれなかったけど、俺は、魔女についていくあいつを見ているし、あいつの荷物も、靴だって、学校に置きっぱなしだった」
“靴が置きっぱなし”で流石に万里も変な顔をしたが、それで最後に会っただろうレイナに疑いがかかるのにも納得しかねる。そんな万里の様子に気付かないのか、さらに饒舌になる先輩は続けた。
「それから、あの女の背後に、黒い、影を――」
変な話に万里の顔が次第に歪む中、彼はそう言って、言葉を止めた。一瞬、話の間を持たせるように視線を動かした彼は、それから止まっている。何だ何だと、万里も同じ方向を見れば、西の夕日が目に入った。眩しいなと目を細めると、隣の彼が細かく震えているのにも気付く。「どうかしましたか」と尋ねようとした万里だが、その顔色が真っ青なのに気付いて、「大丈夫?」と言葉を変えた。
「あれだ。あの女の影…」
何かに取りつかれたように彼が凝視し、呟かれた言葉に、万里は再び夕日を見た。横に一本入る影は、二階で北と南の校舎を繋ぐ、渡り廊下である。そこに誰かいるのかとじっと見れば、ふわふわの髪の女子生徒――レイナの姿が見て取れた。万里達が居る場所は、上から見ても、建物の影になっていて分かりづらい。よくわかったなと、挨拶に手を上げようとして、万里も、上級生の言う影を見た。
レイナが居る場所は、夕日の方で、逆光である。影が出来るとすれば、こちらに伸びるはずだ。けれど、その影は、レイナの背後にくっきりと顕れていた。さながら、レイナを飲みこもうとするような、そんな気配と、レイナもまたわかっていてじっとしているかのような、無表情な顔は静謐な雰囲気を持っていて、堪らず万里はその建物影から出た。
「レイナ!!」
彼女の注意を引くよう、いや、彼女の後ろの影に自分が見ていると知らせるよう、思いっきり叫んだ万里の声は、中庭中に響いて、そこで練習していたダンス部の生徒が一斉にこっちを見た。そんな事構わず、万里は続ける。
「部活は? 終わったの? なら、帰ろうよ!!」
お前なんかに彼女は連れて行かせないぞと、万里は何でもない風を装いつつ、けれど出来るだけ大きな声でレイナに話しかける。それに何か効果があるなんて全然思っていないけれど、このまま消えてしまいそうなレイナの雰囲気だけが気になって、気になって、万里は無意識に、ぎゅっと、ポケットのトラストの指輪を握った。そんな万里の決意を知らず、レイナは少しだけ視線を彼女に向けると、困った様にふっと笑った。
――笑った!
彼女の行動に希望を持って、異様な雰囲気が薄れていくのを感じながら、万里は大きく手を振る。そう言えばと後ろを振り返れば、もう上級生の姿はなく、一瞬万里の声に注目していたダンス部も練習を再開し、その音楽が夕日にあった異様な雰囲気を消して行くような気がした。
「ごめんなさいねー。まだよー。だから、先に帰っていてー」
「何だよ、ぬか喜びっっ」
ちょっとだけ声を強めたレイナの声に思いっきり返して、手を振って音楽室へ向かったレイナに、万里は手を振り返した。その背中には、もう、あの変な影は見えない。ほっとした万里だったが、ちらりと暗い昇降口を見た時、そこがざわめいた気がして、少しだけぶるりとした。




