藍蓮と緑深
万里の家を把握しているというのは本当らしい。近所にある、野球が出来るちょっとした広さのある公園に降り立ち、一つ目男は万里を解放した。万里はと言えば、軽い乗り物酔いで頭痛がするし、彼女を支えて空を移動した一つ目男の方も、彼女と同等かそれ以上に顔色が悪い。
「ありがとう」
「どういたしまして」
気分不良な万里が礼を言えば、礼儀として彼も返す。しきりに耳を押さえているのは、ずっと耳元で叫ぶ万里の悲鳴を聞いていたからだ。耳が良い彼の事、相当辛い状況だったが、万里は、そもそも彼の操作する風が不安定過ぎるのが悪いと思った。それでも、万里を齧った事で普段よりも随分マシだというから、次回からは頼まないと彼女は決意する。
「そうだ。“貴方が石を集める理由”を聞いてないわ」
安定する地面に足を付けた事で、心に余裕が出来た万里が尋ねれば、彼は疲れた様子で、道路から土手になっている芝生の上に腰をつける。
「“石を集めれば、異能が強くなる”と、言っただろう」
「強くなってどうするのかって、聞いているんだけれど。だって、長く使っていると≪狂化≫する危険があるんでしょう」
腰かける彼の前に立って言えば、一つ目男はギロリと万里を見上げた。一瞬の眼光に怯むが、彼は睨んだつもりはない様で、微かに目を細める。
「お前に答える必要性を感じない」
返事は膠も無い。ずばりと彼女を拒絶した後、しかし、「俺が≪狂化≫する可能性は多分無い」と付け加えて彼は言う。万里は、乙女ゲームの気難しい攻略キャラを前にして攻略を止めようかと考えるような気持ちになり、怖いので心の中で悪態をついて、お互いの関係性から仕方がないと呑み込んだ。
「じゃあ、私は何を協力すれば良いの」
何となく感情が乱れるのか、万里は不精に尋ね、「餌」と言い切られて片眉を上げた。
「“餌”ぁ?」
「じゃあ、他に何が出来るんだ、お前は」
不満げな声の万里に、間髪いれずに突っ込んだ一つ目男は、彼女が「うっ」となったのを眺めて、「だろうな」と鼻で笑う。昨日の午後より行われたトラストの特訓も途中で逃げ出してきた万里としては、今日、目が変化せず、服まで変身できただけでも上出来だ。隠さず彼女をバカにする一つ目男は、「いっそのこと」と片手を差し出す。
「俺に石を寄越せ」
「それは駄目」
慌てて万里は、指輪を嵌める左手を隠した。予想はついていたか、ため息を吐いた一つ目男は、急に調子を下げて、一度視線を彼女と別に動かすと、遠くを見るように尋ねた。
「それは、誰かの形見か何かか?」
虚をつかれた万里は、大きく両目を見開いて、視線を逃がしている一つ目男を見る。そんな他人の情なんて気にする人間だと思っていなかったのが一点、そして彼の持っている石は誰かの形見なのかもしれないと直感してしまったのが一点、この二点から、驚いたのだ。
「違う。けど、これは、私の――」
どう言えばいいのかわからなくなって、万里は小さく、「願いの形なの」と呟いた。意味がわからなかったらしい一つ目男が、変な顔になる。それから何か思い出したか、「“おまじない”か」と吐き捨てた。学生間、それも女子に流行っている噂だと聞いていたので、万里はぎょっとして「知っているの?!」と返す。本当は、トラストの封印具だからなのだが、彼女の反応に納得したらしい彼は、「この間補導した女学生に聞いた」と疲れた様子だ。
「え、都市警護隊の人?」
しゃべり過ぎたと、はっと口を押さえた一つ目男だったが、万里の答えは違った様で、にやりと笑うと「さぁな」と肩を竦める。そして彼の休憩は終わったのか立ち上がり、「連絡先を寄越せ」と万里に言った。仕方がなく腕時計型のデバイスを操作した万里は、“万里”として使っているアドレスを一枚、光として、左手甲に表示する。一つ目男も、片耳にあるのだろうデバイスを操作した様で、右手に同じ様な光を提示した。後はこれらを重ねれば良い。一つ目男が、万里の左手甲に触れる様に右手を重ねた。ピンと、デバイスが鳴る。瞬間、お互いのデバイスが、カタカタとランプを点滅させてフル稼働を起こした。
「え?」
「は?」
予想外の出来事に二人は慌てて手を離して、デバイスを見る。そして万里はパスケースのキーを、相手は袖から何かを出してデバイスに繋げると、顔や肩部分を囲むように展開した、光の数々にアクセスを開始した。それでも何かの処理はどんどん進んでいってしまうと気付き、万里はどすっと地面に座ると、両膝に鞄を置いて、そこにキーボードを展開し、ガンガン入力し始める。後ろでは一つ目男も万里に習い、ちっと舌打ちしながら膝上に展開した光のキーボードを凄い早さで弾いていた。
この感じは良く知っていると、万里は緊張から頭皮に冷や汗が出る。初めてウイルスメールを貰い、何の警戒もせずに解いた様な気分になって、半泣きになりながら必死に叩き続けるも、侵略してくる謎データは、小細工する万里など押しつぶすような物量作戦で万里の領域を浸透、増幅して襲い掛かり、悲鳴が上がる。即興で相手にするには、一番苦手なタイプだ。
「あっ、あっ、止めて、止めてぇ!!」
叫んだからと言ってどうにでもなるものではないが、万里は最後の砦である錠前を突破ではなく、破壊されて後ろに倒れた。一番秘密にしておきたかった、“藍蓮”のアドレスを引き抜かれる。瞬間、彼女は罠として置いている、報復用の追跡システム、その追加プログラムを作りあげると、不作法な相手に怒りをもって叩き込んだ。直後、後ろで「ぎゃ――!!」と一つ目男の悲鳴が上がる。そして、追跡システムが拾ってきた相手の秘密を見て、万里は固まった。
『【29OH3uilo92f16HS1】“緑深”』
びりっと体に電撃が走ったような、強烈な緊張が万里を支配する。はっとして後ろの一つ目男を振り返って凝視する万里に、信じられないと、一つ目男も見つめ返した。
「“藍蓮”」
「“緑深”」
呆然と、お互い、状況を理解するのに時間がかかったが、いち早く立ち直った一つ目男、もとい緑深はニタリと目を細める。
「そうか。お前が、【鍵開け】」
ゆっくり噛み締めるような言葉に、万里は一気に血の気を失った。つい二週間前に≪ウィザード≫に忠告され、匿って貰い、逃げ出した相手が、目の前に居る事を理解したからである。途端に不安そうに眉を下げて見上げる彼女に、緑深は嬲る様な気配を含ませた声で「俺は、従順な者には優しく出来る」と笑った。機嫌良く立ち上がり、悪い笑顔のまま、座りこんだ彼女に片手を差し出す。
「よろしくな、“藍蓮”」
矜持の問題だが、この手を握るわけにはいかないと、万里は固まる。万里の個人情報から、“藍蓮”の秘密まで手にした彼は兎も角、万里は、オバケだと思っていた一つ目男が、緑深というHNの実在する人物だと知れたからと言って、何の利益にもならない。追跡システムは、相手の一番の秘密だったのだろう、緑深のアドレスを手にした代わりに消されてしまっていて、他のデータを持ってこれるはずもなく、その絶望感から万里はうるっと来て、両目をつぶった。
「泣くなよ。俺は、良い協力者だぞ? 実際、“藍蓮”は惑星グランディスにも目を付けられていて、恐らくこの惑星だろうと特定されかけていたからな。俺なら、お前を守ってやれる」
下を向いて泣きだした万里の傍に膝をつき、彼は努めて優しい声音で彼女に話かける。他人類であるグランディスの件が出て、「そんな」と万里は顔を上げた。すっと鼻をすする彼女に、彼は何でもない様に頷く。
「【クリスタ=Roof】は、グランディスの代表企業の手も入っていて、新しいデータ運用とシステム管理の試作品を兼ねていた。データの改竄こそなかったが、お前の侵入は重大な件とされたんだ、知らなかったんだろう?」
藍蓮として万里が行ったのは、D=F=worldで有名な鍵に挑戦する事だ。【クリスタ=Roof】は、技術の最先端であるグランディスと提携するアース系企業を除外した鍵の内、最も難易度が高いと言われていたから挑戦しただけである。当てが外れたと、万里は項垂れて、「都市警護隊に捕まるの?」と不安げに零すと、彼は「そんな簡単な話じゃない」と笑いながら続けた。
「事、グランディスは治外法権だ。アース系政府だって従わざるを得ない。お前の人権その他は、まるっと無視されて、異星人に連れていかれるって話だ。恐らく、一生、戻って来れない」
彼女の気持ちその他を考慮しない、軽い声が示唆した事に、万里はとうとう泣きだした。何とか泣きやもうと短く息を切ったりしているが止まらず、彼女はごしごし目元を擦る。そんな彼女に、「だから」と緑深が手首を掴んだ。
「俺に従え。俺が、お前を守ってやる」
なんだ、一つ目の癖にと、万里は睨むように彼を見上げた。でも、彼女を守ってくれるはずの両親は離婚しているし、傍にはいない。トラストだって、魔王だから現実社会に疎いはずだし、“世界を支配できる力”でどうこう出来るとも思えない。目の前の人だって、自分を利用しようとしているだけだ。でも、一人ぼっちの万里には、縋るものが無いのも本当で。
「貴方だって、グランディスに連れて行かれるかもしれないのに?」
惑星アースでも限られた交流しかしていない、謎の他人類、グランディス。それは凄く怖い事の筈なのに、彼はくつくつと、随分楽しそうに笑った。
「出来るものなら、な」
それが物凄く頼もしく見えて、万里は陥落した。
「わかった。よろしく、“緑深”」
そうして手を差し出すと、思いの外、温かい手に握り返される。
「あぁ。よろしく、“藍蓮”」




