川での会話
赤髪金眼の美女、ヒッポリュテ。
その佇まいは凛としており、見る者に活発で勇ましい印象を与える。
アランは、夏場とはいえ川で濡れたままでは体が冷えるだろうと考え、予備の大きめのタオルを用意した。
「このタオルを使ってくれ」
「すまない……少し、後ろを向いていてくれないか」
滴る水滴に濡れた髪と肌。そして、水を含んで肌に張り付いた衣服。
そのあまりの美しさに目を奪われそうになり、アランは理性を振り絞って、慌てて彼女から背を向けた。
「……もういいぞ」
「え?」
振り返ると、ヒッポリュテの着ていた衣服は近くの枝に干されていた。
彼女は先ほど渡したタオルを体に巻き、即席のキトンのような姿になっている。
大きめのタオルだったとはいえ、本来の衣服よりも丈は短く、その露わになった膝上のラインに、アランは再び目のやり場を失うことになった。
「えっと……ありあわせでよかったら」
「何から何まで申し訳ない」
地面に緩衝材代わりの段ボールを敷き、その上にカレーライスを並べる。
香りに誘われてポヨポヨと寄ってきたホテプにも、専用の皿へ一盛り分けてやった。
ホテプは普段「カリカリ」を好むが、実際はかなりの雑食だ。
このカレーには、日本のそれのようなとろみはない。
だが、スパイスの効いたサラサラとしたルーは、この世界の米の性質によく馴染み、互いの味を引き立てている。
この国では、米と一緒にスパイスを炊き込んだり、ソーセージの調味料として粉末を使ったりするのが主流だが、やはり前世の知識がある身としてはこうして「カレーライス」として完成した姿で食べたくなるのだ。
「うむ……。久しぶりに、これほど美味い食事に出会った」
ヒッポリュテは熱いスプーンを丁寧に運びながら、感嘆の声を漏らした。
「ヒッポリュテさん。君は第四師団だと言っていたけれど……」
「ああ、そこで斥候と弓兵を任されている。……それと、今は人目もない私的な場だ。言葉遣いは呼び捨てで構わない。私も君をアランと呼ばせてもらうが良いか?」
「わかった。……ヒッポリュテ、君が着ていたあの衣。もしかして『錬成布』か?」
「そうだ。王城付きの錬金術師が手掛けた錬成布に、魔導師が幾重もの防護付与を重ねている」
錬成布。錬金術によって分子レベルで構造を強化された、特殊な布の総称だ。
王城所属の練達者たちがレア素材を用いて作り上げ、さらに魔導師が呪術的な強化を施したなら、その防御力は重厚な鋼鉄の鎧にも匹敵する。
一見すると神話時代の古典的な装束だが、そこにファンタジーな理屈が加わることで、現代の戦場における最適解となっているのだ。
「実際、付与をかけた重厚な鎧と、その錬成布……どっちが強いんだ?」
「確かに、歴史ある鎧に高度な付与を重ねた方が総合的な防御力は上だろうな。だが結局は、使いこなせるかどうかが重要だ。私のような斥候には、重さで動きを阻害する鎧よりも、こうした錬成布の方が理にかなっている」
「……それって、量産されているものなのか?」
「ああ、第四師団の標準支給品だ。必須な装備と言っていいだろうが、王城の潤沢な予算があってこそ成立する装備だろう。私は魔術全般には疎くて詳しい仕組みはわからないのだが……そういえば、君は魔導師なのか?」
「俺は錬金術師だ」
「そうか。この段ボール《ハニカムシェル》を開発したのも、確か錬金術師だったな」
(それを開発したのは俺だ)とは、とりあえず言わないことにした。
自慢げに名乗り出るのは性分に合わないし、今は彼女の「現場の生の声」を聞くことの方が重要だと思ったからだ。
「これ、遠征で食料を運ぶのに重宝しているんだ。軽くて丈夫、そのうえ安い。それに、テントの中に敷いておけば、地面からの冷気で体が冷えることもなくなった」
「布を敷くだけじゃ、不十分なのかな」
「夏はいいが、冬は雨が多くて地面も濡れていることが多いからな。宿営用の布の下にこれを敷いて使っているんだ。破れたやつも、そうやって再利用している」
なるほど、グランドシートのようなものを作れば彼女たちの助けになるかもしれない。
アランはこれまでは工房にこもりきりで、世間に何が必要とされているかを知る機会があまりにも少なかった。
「水の運搬には、水精霊鋼の水筒なんかを使ったりするのか?」
「いや、まだ革袋が主流だ。特に我々斥候は、移動中に音が鳴る金属製よりも、音の出ない革袋を選ぶ。飲み水は魔石やろ過装置で現地調達できるしな」
「なるほど……。もっと軽くて静かな、土精霊砂を使った水筒があれば便利そうだが」
「……どうも我々第四師団のような少数師団は、大所帯の第一から第三師団に比べると予算が限られていてな。高価な新素材には、なかなか手が届かない」
「そうか、コストの問題もあるのか」
師匠が開発した水精霊鋼や土精霊砂は、希少な素材と高度な技能を要するため、どうしても価格が跳ね上がる。最近では他の工房が鉄などを混ぜた廉価版を売り出しているが、「性能を取るか、安さを取るか」という極端な二択を迫られているようだった。
「すまない、内輪の話ばかりしてしまったな」
「いや、すごく参考になったよ」
「そろそろ服も乾いたようだ。着替えてくる」
彼女は、出会った時と同じ古代ギリシャの彫像を思わせるキトン姿に戻った。その白い布には汚れ防止の付与が施されているのか、先ほどまで濡れていたとは思えないほど、穢れのない白さを保っている。
「乾いて良かった。あのまま街へ戻れば、風呂上がりの格好で歩き回る変質者だと思われて、第二師団に捕まるところだったからな」
「ぷっ……!」
アランは思わず吹き出し、声を上げて笑った。
ヒッポリュテもそれに釣られるように楽しげに目を細める。
二人の足元では、ホテプが機嫌良さそうにころころと転がっていた。
「今日は本当にありがとう。これから私は王城に戻るが、今度ぜひ礼をさせてほしい」
「いや、普段世話になっている国民から、軍人さんへのささやかな応援だと思ってくれればいいよ」
「……だったら、今度会えた時は遠慮なく声をかけてくれ。その時は、こちらこそ君を恩を返さないとな」
屋敷に帰り着くと、アランは縁側でホテプを膝に乗せ、沈みゆく夕日を眺めて黄昏れていた。
エレナにフラれた直後別の美女と出会い、こうもあっさりと心を絆されてしまうとは。案外、自分という人間は底が浅くて軽薄なのかもしれない。
それでも……今日は、とても有意義な一日だった。
「今度は、シリコンボトルのようなものを考えてみるか……」
軽くて丈夫、そして飲み終えれば小さく畳める水筒。この世界の素材を応用すれば、きっと彼女たちの役に立つものが作れるはずだ。
アランの独り言に、足元のホテプが応えるように鳴いた。
「いあ いあ」




