手続き
その後アランは商業省に向かった。
そこは錬金術師をはじめとするあらゆる職能者が世話になる場所であり、職の斡旋から特許の申請、果ては取引の仲介に至るまで、オルコット子爵が商売にまつわる全ての利権を掌握している公的機関だ。
巨大な西洋風の石造り庁舎に、エジプト様式の重厚な円柱が並び、その頂上にはジャポニスムを感じさせる反り屋根が鎮座している。
それはまさに、この国の「パッチワーク」という歪な文化を最も派手に体現した、奇怪なほどに豪華な建築物であった。
「アランさん。今日はどうなさいましたか?」
メメ人の受付嬢が駆け寄ってきた。
彼女は四つの目のうち、普段は二つを閉じ、残りの二つで親しげに微笑んでいる。
「レディオ商会との専属契約を解除したい」
「え……? 本気ですか?」
レディオ商会はエレナの両親が経営する商会だ。
エレナとの婚約を前提に専属契約を結んでいたが、独りになった今、未練を残すつもりはない。
関係を清算するため、速やかに契約を断つことにしたのだ。
将来的に身内になるという算段があったせいか、幸いにもアランが不利になるような不当な条項は盛り込まれていなかった。
受付嬢は驚きのあまり、閉じていた残り二つの目までもカッと見開いた。
四つの瞳が同時に自分に向けられる様は、なかなか圧巻である。
「……ちょっと、レディオ商会に確認してきます!」
受付嬢はそれだけ言い残すと、パタパタと慌ただしい足音を立てて、レディオ商会の実務室がある区画へ走っていった。
「まったく、やってくれたな」
しばらくして会議室に現れたのは商会長夫妻ではなく、跡取りの長男であるパーザだった。
眉間に深い皺を刻んだその男は、キリキリと痛む胃を抑えるような仕草をしながら、アランの向かいに腰を下ろした。
「本当にやめてしまうのか」
「はい。互いのためにも、ここで距離を置くのが最善だと思っています」
正直に言って、この義実家との関係は決して良好じゃあなかった。
師匠が存命だった頃は、その威光を借りて彼らも好意的に接していた。
だが、師匠が天に旅立った途端、彼らは義理立てする必要がないと判断したのだろう。
アランへの態度は、悪い意味で「馴れ馴れしく」変わっていった。
無理な納期で仕事を押しつけ、そのくせ報酬は出し渋る。
それでも、師匠から託された縁だったから。
師匠がいなくなりこの世界で天涯孤独の身となった自分にとって、ここが唯一の繋がりだったから、アランは今まで、彼らの横暴に従ってきたのだ。
「正直、今ほど海外に行っていたことに後悔したことはない」
「販路の獲得のために海外へ行くことは珍しいことじゃないと思いますけど」
「お前を両親から守ることができなかったと言っているんだ」
レディオ商会はエレナたちの祖父の代から大きく発展し、両親の代は谷間の時代だった。
それに自覚のなかった両親は、先代が作ってきた人脈に甘えてるだけで、むしろ未来が先細りしていっていた。
「今更だが伝えておこう。お前たちの婚約は私がエミリア殿に頼み込んだんだ」
「え?」
正直、エレナの両親とエミリアとの間だけで決まったことだと思っていたが、そこにはパーザが関わっていたことには気づかなった。
「うちは貴族とも付き合いがない商家だ」
「それでも、平民の商家の中では大きい方だと思いますけど」
「今すぐ生活に困ることはないだろう。だがそこから貴族が目をつけるほどの錬金術に成功したお前たちがいる」
「えっ、貴族が?大手ギルドに入ったエレナならともかく、俺は別にそんな……」
「高等学院の出で、男爵の息子の肩書きを持ち十代で既に成果を登録している。物語性においても貴族は重視する。そうすれば何かと狙われやすいからな。二人が互いに結婚して、夫婦共同名義にすれば、盤石なパラケルルスの後継者としての地位を得るはずだった」
ここまで言われたなら気づく。
エミリアはアランとエレナに二人で協力し、貴族の援助を受けず、迫りくる手をから互い守り、末永くつきあってくれればいいと。
二人の幸せを誰よりも願っていたことを……。
「私が黙っていたことも原因なのは確かだ、責任を背負う」
結局、親まで出てきたことに辟易したのか、パーザはそれ以上アランを止めようとはしなかった。
もともと役所に届け出をしていたわけでもなく、親同士が口約束を交わしていたに過ぎない。
同棲していたわけでも、貴族のような家同士のしがらみがあるわけでもなかった。
そのため、契約解除に伴って特に罰せられることもなかった。
ただ、あと数日もすれば婚姻届を出しに行こうという、その目前のタイミングで「自立したいから」と一方的に突き放されたのだ。
男としても、そして共に歩んできたはずの錬金術師としても、受けるショックはあまりに大きかった。
何より、周囲の目が痛い。この婚約を知る知人たちは多いのだ。
結婚を目前にしてフラれたなどと知れ渡れば、向けられるのは同情か、あるいは嘲笑か。
そう考えるだけで、ひどく気が滅入った。
正直に言えば、あの美少女と結婚できると聞いて、喜んでいなかったわけがない。鼻の下を伸ばしていた自覚すらある。
だというのに、結局はこの有り様だ。
そのうえ、養母の最後の願いさえ………。
「……前世でも今世でも、俺の人生はこんなオチばかりだな」
アランは自嘲気味に呟き、空を見上げた。
師匠が旅に立ち、夢を失い、婚約者も去り、独りになったアランの足元でホテプが「テケリ・リ」と音を鳴らし静かに寄り添っていた。
前世から、何事も最後には上手くいかなかった。
難関の理系大学に入ったところで、結局は不慮の事故で死んでしまう。
自分という人間は、よほど運というものに見放されているのだろう。
「よし。こうなったら、お前と一緒に生きよう」
ぷにぷにとしたホテプを抱きしめ、アランはそう言った。
スライムよりもゴムに近い弾力を持つ、不定形の体。
腹の中には無限に物が収まり、倉庫代わりにもなる。
伸びたり縮んだり、膨らんだり液状になったりと、それはまさに「這い寄る何か」であった。
そんな不思議なポテ猫と共に歩む、一人の錬金術師の人生譚がここから始まる。




