第一章五話 奇襲
「おかあさまぁ。おてて、ケガしちゃったぁ」
幼い少女が目から涙を流しながら母親に話しかけている。どこかに引っ掛けてしまったのか、幼い少女の指には小さい傷があり、そこからじわじわと血が滲み出ていた。
「あらまぁ。見せてみなさい」
「うん⋯⋯」
少女が自身の母親が見やすい位置へ指を持ってくると、母親は優しくその指を手のひらで包む。すると、その手のひらが淡く光り出した。
「わっ」
思いがけない出来事に少女は驚きの声を上げる。しかし、すぐに淡い光は消え去り、母親はその手のひらを開く。
「ほら、もう大丈夫。指を見てご覧なさい」
「え? なおってる! すごい! なんでなんで!?」
母親の言葉に従い少女は怪我をしていた指を見るが、そこには何一つ怪我の痕跡は残されていなかった。痛みも感じず、まるで元から怪我などしていなかったかのようで、信じ難い光景を目の当たりにした少女は、涙の代わりに抑えきれない興奮を溢れさせる。そしてその興奮は好奇心へと変わり、母親にこの現象の答えを求めた。
「それはね、母さまに宿った特別な力のおかげなの」
「すごい! わたしにもできる?」
「ええ。あなたが大きくなったら、きっとね」
「ほんと!? やったー!」
幼い少女は母親の言葉に喜びはしゃぐ。その仕草に堪らず母親は微笑んだ。
「ふふ、楽しみね。でもいい? もしあなたがこの力に目覚めたなら、この力を必要とする誰かの為に使いなさい。決して他人を傷つけてはいけません。母さまとの約束よ」
「わかった! やくそくする!」
少女には母親の発した言葉の意味などあまり理解できていないだろう。しかし約束という単語に反応し、少女は大声で返事をする。母親はそんな無垢で可愛らしい自分の娘を愛でるため、少女の頭を優しく撫で、額に口付けをする。
「良い子ね。私の可愛い⋯⋯」
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━━━━なにか、懐かしい夢を見ていた気がする。
深く沈んだ夢の世界から浮上し、水面から顔を出すように少女、ハルの意識が覚醒する。
まだ脳を支配する眠気に抗いながら、ハルは顔に貼り付いた自身の青髪を払う。そして身の周りを見渡したところでようやく、自らの身に起きた異変に気づくことになった。
「あれ、私⋯⋯」
記憶を辿ると、ハルは鬼人による騒動の後、タクから預かった巾着袋を無事修復し、タクへ届けようと防安署へと向かったはずだった。しかし、そこから先の記憶が思い出せない。未だハルの手にタクの荷物が握られていることから、少なくともその目的は達成できていないようだ。
それに加え、なぜか今ハルがいるのは暗く深い森の中。見上げてみれば数多の星々がきらめく夜空が広がっている。どうやらハルはこの森の中で眠りについていたらしく、地べたに寝転がっていたせいで衣服は土で汚れてしまっていた。
一体何が起きたのか。どう考えても港町からこんな森の奥に行くようなことは無いし、昨夜はぐっすりと熟睡できたために、町中で寝落ちする程にまで寝不足になっているなんてことも無い。
寝起きで上手く頭が回らないということもあり、ハルは自身の置かれた状況がいまいち飲み込めない。とりあえずは体を起き上がらせようと身じろぎをした、その矢先のことだ。
「ん、あれれ? この子もう起きちゃったみたい」
突如として人の声が聞こえ、ハルは咄嗟にそちらへ顔を向ける。そこには、二人の人物の姿があった。
「おや、随分と早く目覚めましたね。もうしばらく眠ったままなのではなかったのですか?」
「んー、なんか効きが良くなかったみたい。なんでだろ。んまあ、あの子はまだ来そうにないし、また眠らせればいいよね」
目の前にいる二人。一方は幼く、背丈に不釣合な丈の衣を身に纏い、長い金髪を三つ編みにした可愛らしい少女。もう一方は背が高く、黒服を着た黒髪で糸目が特徴の男だ。
「あ、あなたたちは⋯⋯、さっきの⋯⋯」
この二人には見覚えがある。どうにかその記憶を思い出そうと脳を回転させ、そして一部始終を思い出した。
タクの荷物を届けに行く道中のこと。ハルは目の前の少女と、その少女を追いかける黒服の男が、人通りの少ない路地に入る場面を目撃した。そして、少女が危険に晒されていると感じたハルもその二人を追って路地に入ったのだ。本当に記憶が無いのは、ここから先。
「初めから、狙われてたのは私だったのね⋯⋯」
これだけ情報が揃えば、流石のハルにも自分の身に起きている災難が自覚できる。二人が親しげに話す様子を見るに、あの少女と黒服の男は恐らく仲間同士。つまり、初めから狙われていたのはハルだったという訳だ。そしてまんまと彼らの罠に引っかかり、ここまで連れ去られたのだろう。
一体、なぜ、なんのために。考え出せば疑問は尽きないが、今考えるべきことではない。
「あれだけタクに忠告されたのに⋯⋯」
タクの言いつけを破った結果、こうして危険な目に晒されたのは言い訳の余地もなく己の短慮のせい。猛省したいところだが、それも今すべきことではない。兎にも角にも、この場から逃げ遂せる方法を考えることが最優先だ。
「⋯⋯」
しかし、そうわかっているはずなのに、ハルの思考は全くもってままならない。その理由は明白だ。
━━怖い。
どうしようもない恐怖がハルを飲み込む。冷や汗が止まらず、心臓は締められるように痛み、激しい拍動が胸を叩く。
ただでさえ動揺していたハルの思考は、自身が危機に晒されている真っ只中という事実を認識したことにより、完全なパニックに染まってしまっていた。
━━どうすればいい。
この先、自分はどうなるのだろうか。ただされるがままにしていても、少なくともただで家に帰して貰えそうにはない。
しかし抵抗したとして、この状況で彼等が一切の危険を持ち合わせていないはずもないだろう。小さな少女はまだしも、あの背の高い男には武器も持たない非力なハルに勝ち目は無い。最悪の場合として彼等の機嫌を損ね、そして殺されてしまうことだって有り得るのだ。
逃げるにしても、見た限りここは深い森の中。下手をすれば遭難して野垂れ死に。そうでなくても危険な獣に襲われる可能性だって十二分にある。
━━どうすればいい、どうすれば、いい。
不安と恐怖が思考を蝕み、ハルの頭からは悲観的な予測しか出てこない。そうしたまま体を震わせるハルの目の前に、ふと、幼い少女が近づいてきた。
「んーと、随分と怯えちゃってるところごめんね。お姉さんにはまだ眠っててもらわないと困るんだよね。でも安心してて。すぐに心地よくなれるから、怖くないよ?」
少女は微笑みながらそう囁いて、更に距離を縮めてくる。傍から見れば、幼い彼女の容姿も含め、その仕草はまるで天使のように可愛らしく見える。けれど、ハルはそんな彼女を前にして、緊迫感を覚えずにはいられない。
━━彼女の周りに漂う、黒い気配。
その気配が彼女の危険性を示していた。身の危険を察知したハルは後ずさり、逃れようとする。彼女に近づいたら、ダメだ。
「ひゃっ!」
しかし小石を踏みつけたせいで足が滑り、その拍子に腰が抜けた。手からタクの荷物が落ちる。上手く体に力が入らず逃げられない。その間にも少女はじりじりと迫ってくる。どうにか、ここから助かる方法はないか。
「だ、誰かっ! 誰か助けてっ!!」
反射的に、ハルの喉から助けを求める叫び声が出る。誰か、誰でもいいから、近くに人がいてくれさえすれば、助かる希望があるはずだ。
「残念ながら無駄ですよ。この森は方向感覚を狂わせる『闇の森』。この場所を知っている人なら決して近づきませんし、ましてやこんな夜更けですから、私たち以外の誰もいません。本来ならここまで説明する義理は無いのですから、それ相応の感謝をして欲しい所ですね」
淡い希望に縋るハルに対し、男が無慈悲な宣告をする。それでもハルにできることはこれくらいしかない。他にどうすることもできないのなら、極々僅かな望みにでも賭けるしかないだろう。
しかし、そんな望みは知ることかと、いくら待ってみてもハルの悲痛な叫び声は暗闇の中に吸い込まれたまま、なんの反応も示すことはない。それを確認した少女がハルの顔を覗き込み、子供に話しかけるような口調で語りかける。
「んーもう、言うこと聞かないなんて、悪い子だね」
ハルの正面に立ちはだかる少女は、両手をハルに向けて伸ばす。
「ほら、━━おやすみなさぁい」
「ぁ━━」
そのまま少女の両手のひらが、怯え引きつった顔をしたハルの視界を塞いだ。
その途端、ハルの意識は輪郭を失い、ふわふわと漂う感覚に包まれる。そしてそのままどこかへと吸い出され、抵抗もできず、全身の力が抜け、ハルの意識は失われる━━、
━━はずだった。
「━━きゃあっ!」
少女の悲鳴と共にハルの目元から手が離れ、ハルの視界が開ける。その代わり、闇夜を照らす『輝き』が、開けたハルの視界へと映り込んだ。
━━眩しい。
この眩しさにも、見覚えがあった。夜の暗闇すら跳ね除ける、赤い輝きを秘めた炎。それが今、目の前に現れたとするならば━━、
「遅くなって悪かった、ハル。でも、もう大丈夫だぜ」
炎の中から発せられた声が鼓膜を震わせ、燃え盛っていた炎が霧散し、そして、『彼』の背中がハルの瞳に焼き付く。
「━━さあて、悪党退治の時間だぜ!」
短い茶髪を靡かせ、不敵な笑みを浮かべた青年、タクが誘拐犯たちの前に立ちはだかった。
*****
「タク⋯⋯? どうして⋯⋯」
炎が消え、再び夜の闇が森の中に広がる中、突如として現れたタクを見て、ハルは信じられないといった表情を浮かべている。そんなハルに顔を向け、タクはにこやかに語りかける。
「ありがとうな、ハル。俺の巾着、完璧に直ってるじゃねえか。文句なしだ。でも、まだこいつは預かっといてくれ」
そう言いながら、タクは近くに落ちていた自身の荷物、先程までハルが手にしていたものを再度ハルへと渡し、タクはもう一度正面を見やる。タクと対峙するのは、黒服の男と金髪の少女。通報者の証言通りの姿だとタクが確認していると、すんでのところで炎の直撃を回避した少女が黒服の男の傍へ戻り、苛立ちを浮かべた表情でタクを睨みつけてくる。
「んねえ、あとちょっとで前髪が焦げちゃうとこだったんだけど! どう責任取るつもりだったのよ!」
「この状況で髪の心配かよ。言っとくが、その気なら前髪どころか全身火だるまだぜ。俺が慈悲深かっただけマシだと思いな」
目撃者の証言では被害者の可能性が高かった目の前の少女だが、ハルに襲いかかっている現場をこの目で確認したため、タクは彼女をクロだと判断した。しかし、流石に子供に対して問答無用の攻撃をするつもりはなく、先程の炎はあくまで少女をハルから引き離すための牽制であった。
だが目の前の少女はどうやらご立腹の様子。売り言葉に買い言葉と、少女に対しタクが言い返していると、少女の後ろに立つ黒服の男が怪訝な顔で口を開いた。
「おや、貴方、確か昼間に暴れている鬼人を倒した御仁ではないですか。なぜ貴方がここに?」
どうやら男はタクのことを既に知っている様子。とはいえ、驚くことでもない。そもそもタクは彼らのターゲットであろうハルと行動を共にしていたし、鬼人騒動で派手に目立った自覚もある。認知されている方が自然だろう。
むしろ驚きを露わにしているのは男の方だ。なにせ、ここはタクたちのいたグルノアットの町から、遠く離れた森のさらに奥深く。なんの手がかりもなく見つけられるような場所ではないのにも関わらず、こうしてタクが現れたのだから。
「さあ? どこぞの誰かがお人好しだったおかげじゃねえかな。やっぱ良い事はするべきって訳だ」
しかし、ここに来られたカラクリをバカ正直に話すほどタクも優しくない。といっても、そのカラクリ自体そう複雑なものではないのだが。
タクは魔法によって炎を生み出し、操作することができるが、それに付随する能力として、己が操る炎の位置を把握することもできる。タクはその力を盗難対策として利用するべく、己の生み出した小さな炎を小瓶に入れ、普段から荷物の中に仕込んでいた。
そして、その反応がやけに遠くに感じられるため違和感を覚えていたところに、ハルが誘拐されたという報せが届いた。つまるところ、ハルがタクの荷物を所持していた状態で転移されたため、転移先を特定できたという訳である。
「ふむ、さて、ここからどうしましょうか。これ以上の深追いは正直悪手に思えますし、撤退が得策のような気もしますが」
「んでも、あの子とも合流できてないし、このまま帰してもこっちがやりづらくなっちゃうよ。まだ一人だけだし、なんとかなるんじゃない?」
「なんだ、二人仲良く作戦会議か? 俺が来た時点でもうお前らはお縄にかかってんだ。大人しく降伏しといた方が身のためだぜ」
コソコソと会話をしている二人に向け、タクは無駄だと言わんばかりに降伏を促す。争い事が避けられるのに越したことはない。二人が諦めてくれるのであればこれ以上なく平和な解決だ。
しかし現実はそう甘くないようで、対する二人は顔を見合わせるや否や、すぐにタクへと向き直り━━、
「そちらこそ、私たちが素直に従うとお思いで?」
━━来る。
相手の動きを察したタクはすぐさま腕から火炎を吹き出し、ハルを守るため、彼女の周りを囲むように炎の壁を形成。それと同時、黒服の男は少女の肩に触れた。
するとたちまち、少女の姿が消え、タクの肩に影が生まれる。
「ん! 悪い子はおねんねしちゃってよね!」
少女が突如としてタクに肩車される形で現れたのだ。少女はすぐさま両手でタクの目を塞ごうとするが、タクは素早く屈んでそれを回避。そして宙に浮いた少女の体を受け止めながら、歯を見せて笑った。
「きゃあっ!」
「残念でした! ━━舌、噛むなよ!」
そう言い放ってから刹那の間を置いて、少女の体を抱えたまま、タクは黒服の男の正面へと一気に詰め寄り、大きく右足を振り上げた。
「━━っ!」
男の顔面を目掛け、風を切りながら爪先が迫る。反応の遅れた男はとても躱すことのできる状況ではない。
しかし、蹴りが顔に届く寸前、男が咄嗟に自身の身体へ手を当てたかと思うと、その姿が消え去り、同時にタクのすぐ横へと現れた。
「━━っ!」
一瞬にして起こる情報の切り替わりに対処し、タクは現れた男へと手を伸ばす。だが一手早く、男はタクに抱えられた少女に触れ、共に姿を消した。
これこそがハルを連れ去るのにも利用したであろう『転移魔法』、そして黒服の男こそがその使い手だ。触れた対象を瞬時に移動させる魔法だが、攻撃にも回避にも利用でき、逃走することも可能と、相手に回すと厄介極まりない魔法の一つ。だからこそ━━、
「━━策を練ってない訳がねえんだよな」
と、タクは余裕綽々の笑みを崩さずに振り返る。そこに居たのは転移でタクの攻撃を躱した黒服の男と少女。彼らの顔には驚愕の表情が浮かんでいる。
「これは、水⋯⋯!? ━━うっ⋯⋯!」
彼らの足元はいつのまにか水浸しになっており、その水に掴まれたかのように足を動かすことができなかったのだ。そして瞬時に水が彼らの体を這い上がり、縄状に変形して手足を拘束する。その水はイメージに反した硬度を持ち、体をきつく締め上げられた二人は身じろぎすらも禁じられる。
「んねえっ! なに、これっ!」
「━━僕の魔法ですよ」
怒りを露わにした少女の疑問に答えるよう、穏やかな声が響く。暗い森の中から姿を現したのは、霞色の髪の中性的な若者、カルムだ。彼は二人へガーディアンの紋章が描かれた徽章を見せ、更に言葉を続ける。
「ガーディアンです。貴方達を誘拐の容疑で拘束させていただきます。かなり強く締めてありますから、動こうとしても無駄ですよ」
「刺客は一人ではなかったということですか⋯⋯。不覚ですね⋯⋯」
カルムの言う通り、水による強力な拘束は、彼らの動きを寸分たりとも許さない。なんとか抵抗しようと男が力を込めるが、無駄だと悟ったのかすぐに大人しくなった。
「ナイスだカルム。お疲れさん」
「いえ、タクさんこそ、大役を買って出ていただきありがとうございます。それと、そちらの方がハルさんですよね」
互いを労いつつ、カルムが声をかけたのはタクの後ろで呆けたままのハル。ハルからしてみれば急にタクが現れたかと思えば炎に包まれて、それが消えたと思えば人が増えているのだから、状況を理解できないのも当然である。
「初めまして、僕はガーディアンのカルム・ニーロと申します。怖い思いをされたでしょうが、僕たちが来たからにはもう大丈夫ですよ」
「あ、ありがとう、ございます。タクも、ありがとう。私、本当に、助かったんだよね?」
急な出来事の連続に混乱したままでいたハルは、ようやく自身が助かったことを実感できたのか、目の端に涙を浮かべながら肩を震わせている。そんなハルを安心させるように、タクは笑いかけてみせた。
「いいってことよ。ハルが俺の荷物直してくれた礼だからな」
「お礼なんて、しなきゃいけないのは私の方だよ⋯⋯」
そう言って安堵の息を吐きながら、ハルは肩の力を抜いた。ひとまずハルも無事であることを確認した後、タクも拘束された誘拐犯たちへと近付いて、まじまじと水の拘束具を確認する。
「そんでカルム、これでもうこいつらは何もできないってことでいいんだよな?」
「ええ。転移魔法にも多くの種類がありますが、痕跡を残さずに行使できるもののほとんどは、手で転移したい対象物に触れていることが発動条件。自身を転移させる場合も同じく、自身の体のどこかに手で触れている必要のある場合が多いと聞いています。なので、その『手』さえ封じてしまえばもう転移魔法は使えません」
先程の応酬でタクが見た限り、男の魔法とカルムの述べた条件は合致しているように思える。そして現在、男は両手を体から離した状態で身体を固定されているため、自身の身体に触れることはできない。つまり、推測が正しければ、これで男の無力化には成功したということだ。
「そっちの子は見た感じ催眠魔法の使い手だ。条件は多分手で目を隠すこと。ついでに無力化できたのはラッキーだったな」
ハルに行使していた場面を見るに、少女の操る魔法は催眠魔法だろう。他者の意識を強制的に奪うといったもので、彼女の場合は手のひらで対象の目元を覆うことが発動条件といったところ。こちらも手を使う魔法ということで、拘束によって無力化ができている。
「そうですね。彼女の魔法によっては作戦が意味をなさなくなるかもしれませんでしたから、かなり運に恵まれました」
『作戦』というのは、タク達が事前に立てておいた作戦のことだ。タクが自身の魔法の詳細を伝え、ハルの救出へと向かう前のこと。一刻も早く救出へ赴かなければならないのは承知だが、といって考えなしに挑むのは愚策だとして、タク達は作戦会議を行った。
作戦立案に先立ち、まず課題として挙がったのが転移魔法への対策だった。攻撃の回避に用いることが出来るうえ、逃走するのにも最適の魔法だ。再びハルを連れ去られてしまえば、今度もタクの荷物ごと移動してくれるとも限らず、そうなればついに追跡は困難を極める。
ただし、転移魔法はその利便性ゆえに研究の対象になることの多い系統であり、抱えている弱点なども多くが明らかになっている。使える頻度や『触れる』という制約がそれにあたるが、タク達はそれらの弱点を突くことにした。
「カルムがここまでできるなんてな。流石はガーディアンってわけか」
「恐縮です」
そこでカルムの出番がやってきた。彼も魔法使いであり、タクが見るに彼は特段鍛練を積んだ実力者といったところ。行使できる魔法は『水の操作魔法』と呼ばれるもので、手に触れた水の動きや形を自由自在に操作することができるという代物だ。この力と彼の力量を持ってすれば、水を強力な拘束具として利用することも可能となる。
それらを踏まえ、まず初めにタクが姿を現して誘拐犯と対峙し、その隙に地面に水を張り巡らせたカルムが、転移した彼らの動きを封じるというのが『作戦』の全貌であった。
「上手いことハマってくれて助かったな。ちょいと心配だったけど、杞憂に済んでなによりだ」
「ええ、彼の転移魔法が特殊なものでなかったのが幸いでしたね。あとは近くの町の防安署に引き渡せば事件解決です」
問題なく事が進んだことに胸を撫で下ろしつつ、この後の動きを確認する。その傍らで、黒服の男の口から気だるげな溜息が吐き出された。
「⋯⋯どうやら、ここまでのようですね」
「んちょっと! 諦めないでよ!」
男の諦めを含んだぼやき。タクたちからすれば戦意を喪失してくれることはこれ以上なく好都合であるが、お仲間からすれば納得がいかないらしい。少女がさらなる憤りを見せ、男を糾弾する。
「いいや、諦めな。人様に迷惑かけたら痛い目見るって、いい勉強になっただろ。お前はまだガキなんだし、いくらでもやり直しが利くんだから、早いとこ足洗った方がいいぜ」
「うるさい! ルナたちのこと、何も知らないくせに!」
諦めの悪い少女に言い聞かせようとするタクに対し、少女は憎悪の感情をこちらに向けてくる。どうやら彼女の名はルナというらしいが、まだ十にも満たないような歳の子供だ。だというのに、彼女の抱える闇はタクの想像以上に深いらしい。しかし、だからといってこのまま罪を重ねることは見過ごせない。
「そろそろ行きましょう。タクさんはハルさんをお願いします」
「ああ」
カルムに声をかけられて、タクは意識を切り替える。怖い思いをしたであろうハルを一人で歩かせるわけにもいかない。彼に言われた通りハルの方へ向かおうと振り向く間際、タクは少女、ルナの表情がふと柔らかくなったことを見逃さなかった。
「━━信じてたよ、ラキラ」
「⋯⋯は?」
ルナが微笑んだ。そこに含まれるものは、安堵、信頼、そして、タク達への明らかな敵意。━━その瞬間、ぞくりと、身の毛のよだつ感覚がした。
「━━!」
嫌な予感が背筋を走り、ここから逃げろと本能が告げる。
━━何かが、来る。
「カルム! 気ぃ付け⋯⋯!」
警戒度を最大にまで引き上げたタクは、カルムに目を向け、注意を促そうとする。しかし言い切るよりも早く、タクの視界からカルムの姿が消えた。その代わりに現れたのは、宙を舞う無数の光の粒。
「な⋯⋯」
それは月明かりに照らされた細かな水滴であり、今の今までカルムが操っていた水の成れの果てであったと気付いた時、腹の底を響かせるような衝撃がタクの全身を芯から振動させた。
ただならぬ緊急事態、緊張と混乱に脳が揺さぶられる中、タクはこの事態を引き起こした者の姿を、その目に捉えた。
「遅くなっちゃってごめんねぇ。でも、もう大丈夫だよぉ」
赤と黒の混じった、血のような色の長髪を束ねた女。体格は随分と華奢で、ふと見ただけでは一切の危機感も覚えない。だがそれはまやかしであると、すぐに気付かされた。
その女と目が合い、タクの身体に戦慄が走る。
酷く吊り上がった口角。酷く鋭い眼差し。酷く純粋な暴力性。そして━━、
「あとはアタシらに、任せればいいからねぇ」
━━それらの織り成す凶気的な笑みが、この女が脅威であることを、強く表していた。




