第一章一話 はじめてのさすらい
打ち付ける波の音が一定のリズムを刻み、白いカモメの鳴き声が響き渡る。高く昇った陽に照らされた大きな港町、連絡船の停まった桟橋の上に、一人の青年が降り立った。
「良い風だな」
吹き抜けた潮風に肌の熱を吸い取られ、青年はその心地良さに頬を綻ばせる。そして、靴底が桟橋を叩く音を響かせながら、船着場の出口へと向かった。
「長旅お疲れ様でした。乗船券を確認いたします」
集札係に声を掛けられて、青年は自分の乗船券を渡す。連絡船のチケットには、船に乗る乗客の出発地点と到着地点、さらに乗客の氏名が記載されている。
「はい、確認が終わりました。『タク』様でお間違いないですね?」
「ああ、間違いないぜ」
そして、今集札係に手渡したチケットには、『タク』という名が書かれていた。これこそが、この世に生まれてからおよそ二十二年間を共にした、青年の名前である。
集札係とのやり取りを終え、タクは船着場を出る。絶賛旅の途中であるタクは、そのツンツンとした茶髪を海風になびかせながら、グリトニル王国と呼ばれる国の中でも有数の港町、『グルノアット』へと足を踏み入れたのだ。
「ま、旅っつっても、行く当てがある訳じゃねえんだけどな」
タクが行っているのは明確な目的のある旅ではなく、行き当たりばったりで各地を巡るさすらいである。そして、ろくな下調べもせずにこの町を訪れたために、向かうべき場所の見当がつかない。
しかし、こんな所で考えていても仕方がないと、タクは適当に歩くことに決め、新たな土地に胸を躍らせながら浮ついた歩みで町の奥へと進む。
やがて港に隣接している大通りに辿り着いた。綺麗に舗装された道の上、歩いているタクの隣をいくつもの荷馬車が走り抜けていく。
「うっへえ、どこもかしこも人、人、人だな。目が回りそうだぜ」
タクの立つ歩道では、小さな子供から老人に加え、獣のような毛を生やした者、トカゲのような鱗を持つ者といった『亜人』に至るまで、多くの人々が往来している。そんな大通りに沿って、建物や屋台も多く立ち並ぶ。
さらに人の多さに比例して、この町の喧騒もそれはそれは大きなものとなっている。愉快な笑い声や、子供を叱りつける怒鳴り声、鳥の鳴き声に人々の足音、道を通る馬車の音や大道芸人の奏でる管楽器の音まで。町中の至る所から様々な音が聞こえてくる。すると、そんな街中にまた一つ音が増えた。タクの腹の虫が鳴く音だ。
「とりあえず腹ごしらえが先か。食い物の店は⋯⋯、お、あったあった」
立ち止まって辺りを見回す。幸いタクの背丈は人より高めなので、人混みの中でも周囲の確認がしやすい。やがて、大通りから少し離れたところに屋台を発見する。その屋台では串焼きが売られているようで、タクが屋台を見つけた時に客は並んでいない様子だった。焦げたタレの匂いに食欲を唆られながら屋台の前まで近づくと、タクに気づいた店主と思しき中年の男性が声をかけてきた。
「お客さんかい? ご注文はなんでしょう」
そう聞かれたタクは、屋台の目の前に立てられた看板にある商品の絵を眺め、その中でも特に腹に溜まりそうな、しっかりとした肉が付いているものを指差した。
「このデカそうなやつを三つ⋯⋯、いや、やっぱ二つ頼むよ」
只今の腹の減り具合からして物足りないかもしれないが、実のところ財布の中身が心許ない。少しでも出費を抑えるために串焼きの数を減らすことにする。
「あいよ! 今から焼くんで少しお待ちを!」
注文を済ませて先に代金を払い、他に客がいないことを確認。タクはそのまま屋台の前で串焼きが出来上がるのを待ちながら、町行く人々を眺める。
「それにしてもすげえ人の数だな。なあおっちゃん。実は俺他所の国からきたもんでさ、この町の事よく知らねえんだけど、なんか祭りでもやってんの?」
「いいや、この町はいつもこんなものさ。なにせこの国随一の港湾都市だ。そのおかげで観光客や商人様が訪れるもんだからね、人の多さならこの国で三本の指には入るくらいだよ。と言っても、ここまで人が増えたのはつい最近なんだけどね」
「と言うと?」
店主の言葉にタクは首を傾げて尋ねてみせる。対する店主は串を巧みに炭火の上で転がしながら、タクの質問に答える。
「そりゃ戦争が終わったからだよ。お客さんも知ってるだろ? 三年前まで続いたあの大戦争だ。なにせ大国同士が争ったからねぇ、この国は無関係だったってのに海路は使いづらくなるわ物価は上がるわで、みんな観光どころじゃなかったのさ」
「なるほどね。他所の喧嘩に巻き込まれちゃ世話ねえわな」
「全くその通りさ。ま、ようやく終戦してくれたおかげでこっちは大繁盛。これからは良い時代になってくれそうだよ」
タクからの問いに対して快く答えた店主は一転、不思議そうな顔でタクの身なりを見つめてきた。
「ところでお客さん、他所の国から来たってことは観光かい?」
「そんなとこ。旅がてら寄ってみたんだけど、この町の広さじゃどこから回ればいいのか見当もつかねえや」
「王都ほどじゃないが、この町も名所が多いからねえ。とりあえずは町の中心部にある広場に行ってみるといい。あそこにある大きな噴水は見事でね、一度は見ておくことをおすすめするよ。ただ⋯⋯」
流石は地元民といったところか、店主は困っているタクへアドバイスをくれる。しかし、言い終えた後に店主は少し怪訝な顔をしてタクの姿を眺めた。
「失礼かもしれないが、お客さん、本当に旅人なのかい? それにしてはやけに身軽だと思うんだがね」
そう言われ、タクは己の服装を確認する。
衣服は薄い布で作られた長袖に、生地の固いズボン。荷物は腰につけた小さな巾着袋一つのみで、中身は薄い財布に小さな水筒、折り畳まれたボロボロの地図、そして替えの衣服が一着だ。靴は年季の入った布製の短靴で、土などにより薄汚れている。
確かに、旅人というのは基本的に日差しや雨風の対策のために厚着をしたり帽子を被ったりする場合が多く、靴も長靴が主流だ。必然的に荷物なども多くなる。しかし、タクの場合はいかにも軽装といった服装で、今述べた特徴にはひとつも当てはまらない。
「ま、確かに軽装備すぎるってのは否めねえけど、ただ他の奴より必要な物が少ないだけさ。あんまり着込んで動きにくくなるのも御免だしな」
「⋯⋯それでも武器の一つも無しに町の外へ出るのは危険じゃないかい? 獣や盗賊に襲われでもしたら大変だろう」
店主からの指摘通り、タクは武具といったものを持ち合わせていない。だがそれでも、店主の『襲われたら危険』という心配に対してタクは腕を振りながら否定する。
「平気平気。俺、こう見えて『魔法使い』なんだよ。喧嘩にもいくらか心得があるし、大抵のやつらなら返り討ちにできるさ」
「なんだお客さん、『魔法』が使えるのかい! 珍しいね。なら、おじさんの心配は杞憂だったようだ。それで、お客さんは何のために旅を? 良ければ聞かせてくれないか」
店主は納得したように頷いた後、興味本位といった表情で、タクの旅の理由について尋ねる。それに対してタクは「あー」と考えるような声を出しながら間を置いて、やがて口を開いた。
「簡単に言やあ、『幸せ探し』の旅だな。つっても、元いた国に住みづらくなったから飛び出すついでにってことで、特に目的があるわけじゃねえんだが」
「幸せ探しねえ⋯⋯。ちょっとおじさんにはアドバイスがしづらいが、まあせっかくこの街に来てくれたんだ。とりあえず、時間と財布が許す限り旅を楽しんでくれれば、自ずと探しものも見つかるかもしれないね⋯⋯と、良い感じに焼けたね」
どうやら話をしている間に串焼きが焼きあがったようで、何度も壺の中のタレに漬けてじっくりと炭火にかけていた串を、店主は紙袋で包みタクに手渡した。
「ほれ! お客さんの旅の無事を祈って一本オマケしといたから、それ食って頑張んな!」
店主が笑顔で親指を立てる。紙袋の中を確認すると、確かに串焼きが三本入っている。
「おお、マジか! 恩に着るぜおっちゃん、有難くいただくよ!」
店主の心温まる思いやりに礼を言いながら、屋台から離れたタクは早速紙袋から串を一つ取り出した。照りと焦げが適度に付いた串から香るタレの匂いが鼻腔をくすぐる。そして最高潮に達した食欲に任せ、タクは早速その串へかぶりついた。
「おお、美味え!」
香辛料の効いたタレの甘辛さが食べ応えのある肉と程よく絡んでいて、よく咀嚼したそれを飲み込めば、飢えが急速に満たされていくのを感じる。そしてあっという間に三本とも完食した頃には、タクは再び大通り沿いを歩いていた。
そんなタクの目を惹くのは、ずらりと並ぶ建築群。それらのほとんどは漆喰で造られており、三から四階建てのものが多く見受けられる。また、店や屋台が多く並び、種類は飲食店や衣服、雑貨を扱っているものまで幅広い。
「店も豊富で建物もデカい。それにこんだけ賑やかなら、住んでて飽きることは無さそうだな。⋯⋯て、なんか踏んだな、うわ汚ねっ」
その他、道は綺麗に舗装こそされているものの、至る所にゴミが落ちており清潔とは言えない。人通りが多いため仕方のないことなのだろうが、足元に気を配っていなかったタクは誰かの食べこぼしを踏みつけてしまった。と言っても元々薄汚れていた靴なので多少汚れようと誤差でしかないのだが。
などと、踏みつけた汚れに気を取られていたタクは人混みの中、前方からやってきた子供と体をぶつけてしまった。
「おっと、悪い。怪我ねえか?」
「⋯⋯」
タクは咄嗟に謝るも、子供はなんの反応も示さないままタクの隣を足早に去っていった。そんな子供の様子にタクは首を傾げるほか無かった。
「なんだ? あいつ⋯⋯」
タクが違和感を口にした頃には既に子供は人混みの中に紛れ、瞬く間にその姿は見えなくなってしまっていた。一体なんだったのかと、タクは子供がぶつかった場所、腰元へと目をやると、身に付けていたはずの巾着袋が無くなっていることに気が付いた。
「ははーん、なるほどな」
そしてタクは子供が立ち去った方向を見やり、不敵な笑みをその顔に浮かべた。




