第九章 新しい王とジェスター
戦が終わったのは、夜が明ける少し前だった。
王都には煙が残っていた。
城壁の一部は崩れ、石畳には血が残っている。
兵士たちは負傷者を運び、王宮では戦後の処理が始まっていた。
その中心で、ヴィクターは玉座に座っていた。
頭には、父が最後まで身につけていた王冠がある。
「陛下」
兵士が跪いた。
「王宮内の捜索はほぼ完了しました。ただ――」
「何だ?」
「一人、見つかっていません」
「誰だ」
「……道化師です」
ヴィクターは少し黙った。
「探せ」
「はっ」
その頃。
ジェスターは、玉座の間へ続く廊下を歩いていた。
戦が終わったばかりだというのに、足取りに乱れはない。
やがて、玉座の間の前まで来る。
扉の前には、数人の兵士が立っていた。
「止まれ」
「はい」
「何者だ」
「ジェスターです」
兵士たちの間に、わずかな緊張が走る。
「……道化師か」
「ええ」
「ここで何をしている?」
ジェスターは閉じられた扉を見る。
「陛下に会いに来ました」
兵士が顔を見合わせる。
「念のため、拘束する」
兵士が縄を取り出す。
ジェスターは抵抗せず、両手を差し出した。
「必要ですか?」
「お前が何をするかわからないからな」
「なるほど」
手首に縄が巻かれる。
「待っていろ」
一人が扉の向こうへ入っていく。
しばらくして戻ってきた。
「……陛下がお通ししろと」
「そうですか」
扉が開く。
ジェスターは、そのまま中へ入った。
その先に、ヴィクターがいた。
王冠をかぶっている。
ジェスターはしばらくそれを眺めた。
「……なるほど」
「何だ」
「本当に王になったのだな、と」
「そうだ」
ヴィクターは玉座から立たなかった。
「父上の道化師」
「はい」
「なぜ逃げなかった?」
「逃げる必要がありませんでしたから」
「私が父上を殺したのに?」
「はい」
ヴィクターはジェスターを見つめる。
「王宮から逃げることもできただろう」
「ええ」
「それでも残ったのか?」
「はい」
「なぜ?」
ジェスターは少し考えた。
「まだ、見ていないので」
「何を?」
「陛下が、王になった後に何を選ぶのかを」
ヴィクターは黙った。
「……お前は、本当にそれだけなのか?」
「はい」
「父上が死んだことを、何とも思わないのか?」
ジェスターの表情が、ほんの少しだけ止まる。
「悲しくないのか?」
「……悲しい、ですか」
「そうだ」
ジェスターは少し考える。
「悲しい、というよりは……残念でした」
「それだけか?」
「いいえ」
今度の答えは、すぐだった。
「大切な人でしたよ」
ヴィクターがわずかに目を見開く。
「ならば、なぜそんな顔をしている?」
「どんな顔でしょう」
「何もなかったような顔だ」
「そうですか?」
ジェスターは少し笑った。
「私は、こういう顔なので」
ヴィクターは黙り込む。
しばらくして、静かに言った。
「……父上と、同じだな」
ジェスターは目を細めた。
「そうでしょうか」
「ああ」
ヴィクターは玉座から立ち上がる。
「父上も、自分で選べと言う人だった」
ジェスターは何も答えない。
ヴィクターは、ジェスターの手首に巻かれた縄を見る。
「お前を縛っておく必要もない」
兵士に向かって言う。
「縄を解け」
兵士が縄を解く。
自由になった手首を、ジェスターは一度だけ見る。
「……行くところはあるのか?」
「特には」
「そうか」
ヴィクターは少し考える。
「なら、好きにしろ」
その言葉に、ジェスターが顔を上げる。
昔の声が、一瞬だけ重なった。
――好きなところへ。
あのときも、選ばされた。
残れとも、仕えろとも言われなかった。
ただ、自由にされた。
そしてジェスターは、自分で残ることを選んだ。
「……では」
ジェスターはヴィクターを見る。
「残ります」
「なぜ?」
「先ほど申し上げた通りです」
ジェスターは笑った。
「まだ、見ていないので」
ジェスターは玉座を見る。
その上にいる、新しい王を見る。
「陛下が、王になった後に何を選ぶのかを」
ヴィクターはしばらくジェスターを見ていた。
やがて、ほんの少しだけ笑う。
「そうか」
「はい」
「ならば、見ていろ」
「ええ」
ジェスターは玉座の横へ歩いていく。
かつてルシアンが座っていた場所。
そこに今は、ヴィクターがいる。
王は変わった。
けれど、ジェスターはまた、その横に立っている。
今度もまた、自分で選んだ場所だった。




