第五章 二人の情報交換
それから、ジェスターは何度か村を訪れた。
いつも休日だった。
ヴィクターも、もう驚かなくなった。
「こんにちは」
「また来たのか」
「はい」
「暇なのか?」
「そうかもしれません」
ジェスターは笑った。
二人は村の外れにある古い木の下に座っていた。
最初の頃は、ジェスターが王宮の話をし、ヴィクターがそれを聞いていた。
だが、何度か顔を合わせるうちに、それだけではなくなった。
「北方領の税は、今年も変わらないのか?」
「少し上がりました」
「理由は?」
「街道の修繕費だそうです」
「……そうか」
ヴィクターはしばらく考えた。
「北方の兵は?」
「三千ほどです」
「そのうち、領主が自由に動かせる兵は?」
「千五百ほど」
「残りは?」
「国境の守備です」
ヴィクターは頷いた。
「大臣の中で、父上に不満を持っているのは?」
「何人かいます」
「名前は?」
ジェスターはいくつかの名前を挙げた。
ヴィクターは黙って聞いていた。
「……お前、よく覚えているな」
「覚えるのが仕事ですから」
「道化師の仕事にしては、随分と物騒だな」
「そうですか?」
ジェスターは首を傾げた。
ヴィクターは小さく息を吐いた。
「では、もう一つ」
「はい」
「父上は、私について何か言っていたか?」
ジェスターは少し考えた。
「特には」
「本当に?」
「はい」
「……何も?」
「私が聞いた限りでは」
ヴィクターはジェスターを見た。
「なるほど」
それ以上は聞かなかった。
しばらくして、ヴィクターが口を開く。
「……しかし、お前」
「はい?」
「随分と王宮のことを話すな」
「そうですか?」
「北方領の税、兵の数、大臣の名前まで」
「聞かれましたので」
「それだけか?」
「はい」
ヴィクターはジェスターを見つめた。
「これだけ私に情報を流していて、父上には何も言われないのか?」
「聞かれれば、答えますよ」
「……父上が聞けば?」
「はい」
「では、私に情報を渡していることも話すのか?」
「もちろん」
ヴィクターの眉が動く。
「それでいいのか?」
「何がです?」
「父上から見れば、お前は私に寝返ったように見えるだろう」
ジェスターは少し考えた。
「そうかもしれませんね」
「否定しないのか」
「実際、私は陛下の味方ではありませんから」
ヴィクターは目を細めた。
「……私の味方でもない、と言っていたな」
「はい」
「では、なぜそこまで私に話す?」
ジェスターは少し笑った。
「面白いからです」
「またそれか」
「はい」
「それだけで、ここまで危険なことをするのか?」
「危険ですか?」
「王宮の情報を追放された王子に流している」
「なるほど」
ジェスターは少し考えるように首を傾げた。
「そう考えると、確かに危険ですね」
「他人事だな」
「私にとっては、そうでもありませんので」
ヴィクターは黙った。
ジェスターは笑っている。
だが、その笑顔からは何を考えているのか分からない。
やがて、ジェスターが尋ねた。
「では、こちらからも一つ」
「何だ?」
「この村では、王都から来る税について、何と言っていますか?」
ヴィクターは少し意外そうな顔をした。
「……そんなことを聞いてどうする?」
「知りたいので」
「お前が?」
「はい」
「珍しいな」
「そうですか?」
「王宮にいた頃は、民の話など聞いていなかっただろう」
「聞いていましたよ」
「聞いていた?」
「ただ、あなたほど詳しくはありません」
ヴィクターは少し黙った。
そして答えた。
「不満はある」
「どんな?」
「税そのものより、使われ方だ」
「なるほど」
「この村では、冬を越すための薪を買うだけでも金がかかる。そこへ税が増えれば、当然苦しくなる」
ジェスターは黙って聞いていた。
「だが、王宮にいる者には、それが分からない」
「殿下にも、以前は分からなかった?」
ヴィクターは少し驚いたようにジェスターを見る。
「……そうだな」
村の方へ目を向ける。
「ここに来て初めて知った」
ジェスターは少し笑った。
「それは、面白いですね」
「何が?」
「あなたが変わっている」
「私が?」
「ええ」
「どういう意味だ」
「王宮にいた頃より、今の方が王に近い気がします」
ヴィクターは眉を寄せた。
「……皮肉か?」
「いいえ」
ジェスターは首を振った。
「本当にそう思っています」
ヴィクターは答えなかった。
しばらくして、ふと口を開く。
「お前は、私に情報を渡している」
「はい」
「だが、私が何をするかは聞かない」
「聞けば答えてくれるんですか?」
「質問を返すな」
「すみません」
ジェスターは笑った。
ヴィクターは少し考えた。
「……お前なら、私がどうすると思う?」
「さあ」
「分からないのか?」
「分かりません」
「珍しいな」
「人間の選ぶことは、決まっていませんから」
ヴィクターはジェスターを見る。
「……それでも、私が何かすると思っている」
「はい」
「なぜ?」
ジェスターは少しだけ考えた。
「殿下は、何もせずに終わる人には見えませんから」
ヴィクターは黙った。
その言葉を、しばらく考えているようだった。
「……お前は、私を利用しているのか?」
「そうですね」
あまりにもあっさり答えたので、ヴィクターは一瞬黙った。
「否定しないのか」
「嘘をつく必要がありますか?」
「……ないな」
「殿下も、私を利用していますよ」
「そうだな」
二人の間に、妙な沈黙が落ちた。
どちらも笑っていた。
信頼しているわけではない。
味方でもない。
それでも、互いが役に立つことだけは分かっていた。
「では、また次の休日に」
「また来るのか?」
「はい」
「今度は何を聞く?」
「それは、次に考えます」
ジェスターは立ち上がった。
数歩進んでから、振り返る。
「殿下」
「何だ?」
「あなたは、私がいなくても何かするでしょうね」
ヴィクターは少しも迷わなかった。
「ああ」
「それなら、安心しました」
「……何がだ?」
ジェスターは笑った。
「いえ」
「またそれか」
「はい」
ジェスターはそのまま歩いていった。
ヴィクターは、その背中を見送った。
そして一人になると、机の上に広げた紙へ目を落とした。
そこには、王宮から遠く離れたこの村ではなく。
王都へ続く道と、北方領の名前が書かれていた。




