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道化師  作者: ぷん太郎
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第四章 ジェスターが休日にヴィクターを訪ねる

王都を出てから、数週間が経った。


ヴィクターは、王都から遠く離れた小さな村で暮らしていた。


王子だった頃の身分を明かしてはいない。


今の彼を知る者は、腕のいい若い狩人だと思っている。


朝になれば森へ入り、獲物を仕留める。


余った肉は村で売り、その金で必要なものを買う。


時には村人に頼まれて、壊れた柵を直したり、荷物を運んだりもした。


特別なことではない。


生きていくために必要なことをしているだけだった。


それでも、王宮にいた頃には見えなかったものが、少しずつ見えてきた。


食料の値段。


冬を越すための薪。


税を払ったあとに残る金。


王宮から出された命令が、実際にはどのように民の暮らしへ届いているのか。


ヴィクターは、それらを一つずつ知っていった。


ある日の昼。


仕留めた鹿を村へ運び終え、ヴィクターは家の前で剣の手入れをしていた。


「こんにちは」


突然、声がした。


顔を上げる。


そこに、一人の男が立っていた。


黒い髪。


白いシャツに黒いズボン。


飾り気のない服装だった。


ヴィクターは眉を寄せた。


「……失礼。私に何か?」


男は少し笑った。


「いえ。少し、確かめたいことがありまして」


「何を?」


「あなたが、ここでどうしているのか」


「……?」


ヴィクターは男を見つめた。


見覚えがあるような気もする。


だが、思い出せない。


男はそんなヴィクターの顔を見て、少しだけ笑みを深くした。


「分かりませんか?」


「……どこかで会ったか?」


「ええ」


「どこで?」


「王宮です」


ヴィクターの目が細くなる。


「……お前」


男は軽く頭を下げた。


「ジェスターです」


「……なぜお前がここにいる」


「今日は休日なので」


「そういう意味ではない」


「分かっています」


ヴィクターはジェスターを見た。


白いシャツの袖は軽くまくられている。


黒い髪も、少し乱れていた。


「道化師の格好をしていないから、分からなかった」


「休日まで道化師でいる必要はありませんから」


「……それで、わざわざ私のところへ?」


「はい」


「なぜ?」


ジェスターは少し考えるように空を見た。


「面白そうだったので」


「……それだけか?」


「今のところは」


ヴィクターは眉を寄せた。


「どういう意味だ?」


「さあ」


ジェスターは笑った。


「会ってみれば分かるかと思いまして」


「……お前らしいな」


「ありがとうございます」


「褒めていない」


「そうですか」


ジェスターは気にした様子もない。


ヴィクターは剣を鞘に収めた。


「せっかく来たのなら、何か飲むか?」


「いいんですか?」


「ああ」


二人は家の中へ入った。


質素な部屋だった。


机と椅子。


簡素な寝台。


壁には狩猟用の弓と、数本の剣が掛けられている。


ジェスターは部屋を見回した。


「ずいぶん変わりましたね」


「何が?」


「あなたです」


「……そう見えるか?」


「はい」


ヴィクターは椅子に座った。


「王子ではなくなったからな」


「それだけですか?」


「それ以上、何がある」


「さあ」


ジェスターは向かいに座った。


しばらく、沈黙が続く。


やがてヴィクターが口を開いた。


「王宮はどうなっている?」


「何が知りたいんです?」


「父上は?」


「陛下の何を?」


ヴィクターは少し考えた。


「私が追放されたあと、何か変わったか?」


「特には」


「大臣たちは?」


「いつも通りです」


「北方の件は?」


「兵は戻されました」


ヴィクターは黙った。


「父上は、あの件について何か言っていたか?」


「言っていましたよ」


「何と?」


「あなたの判断についてです」


ヴィクターの目がわずかに動く。


「……何と言っていた?」


ジェスターは答えた。


「『間違っていたなら、認めればいい』と」


ヴィクターは俯いた。


「……そうか」


「納得しました?」


「していない」


即答だった。


ジェスターが少し笑う。


「でしょうね」


「父上の判断が正しいとは思わない」


「はい」


「私は、あの時点ではあれが最善だと思った」


「はい」


「結果が悪かったからといって、判断まで否定するのは違う」


ジェスターは黙って聞いていた。


「私は、いつか証明する」


「何をです?」


「父上が間違っていたことを」


「なるほど」


ジェスターは少しだけ笑った。


「やっぱり、面白いなと思いまして」


「何が面白い」


「あなたが」


「……」


「父上に認めてもらいたいわけではないんですか?」


ヴィクターの表情が止まった。


「……何?」


「いえ」


ジェスターは、それ以上言わなかった。


ヴィクターはしばらく黙っていた。


「……私は、父上より優れた王になる」


「そうですか」


「その時に、父上が間違っていたと分かる」


ジェスターは微笑んだ。


「なるほど」


その目は、少しだけ楽しそうだった。


「何だ、その顔は」


「いえ」


「何か言いたいなら言え」


「まだ、ありません」


「……そうか」


少しして、ヴィクターが尋ねた。


「北方の大臣は、今どうしている?」


「特に変わりません」


ジェスターは少しだけ間を置いた。


「ただ――今回の件で、陛下の判断に不満を持っている者はいますよ」


ヴィクターが顔を上げる。


「誰だ?」


「北方領を治めている者たちです」


「……お前は、なぜそれを私に教える?」


ジェスターは笑った。


「どうもしませんよ」


「……」


「知っていた方が、面白いでしょう?」


ヴィクターは黙ってジェスターを見た。


「お前は……私が何をするのか見たいのか」


「ええ」


「なぜ?」


「面白そうだからです」


ヴィクターは呆れたように息を吐いた。


「……本当に、それだけなんだな」


「はい」


ジェスターは立ち上がった。


「そろそろ帰ります」


「もうか?」


「はい。今日は休日ですから」


「……変な奴だな」


「よく言われます」


ジェスターは扉の前で振り返った。


「また来ても?」


ヴィクターは少し考えた。


「好きにしろ」


「では、そうします」


ジェスターは村を出た。


その背中を、ヴィクターはしばらく見ていた。


「……何を考えている」


誰に言うでもなく呟く。


だが、答えは返ってこなかった。


---


その日の夜。


王宮。


ジェスターはいつもの道化師の姿に戻っていた。


廊下を歩いていると、執務室の扉が開く。


「ジェスター」


「はい」


「今日はどこへ行っていた」


「少し遠くまで」


「そうか」


ルシアンは、それ以上何も言わなかった。


ジェスターも黙っている。


しばらくして、ルシアンが書類から目を上げた。


「ヴィクターに会ったか?」


ジェスターは少しだけ笑った。


「はい」


「何を話した?」


「色々と」


「そうか」


ルシアンは、それ以上聞かなかった。


ジェスターも、自分から話すことはなかった。


静かな時間が流れる。


やがてジェスターが尋ねた。


「……陛下は、ヴィクターが戻ってくると思いますか?」


ルシアンは少し考えた。


「さあな」


「そうですか」


「お前は?」


ジェスターは窓の外を見た。


暗い王都。


その先には、今はもう王子ではない青年がいる。


「……面白くなりそうだと思っています」


ルシアンは何も言わなかった。


ただ、ほんの少しだけ目を細めた。


ジェスターも、それ以上は何も言わなかった。

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