↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
道化師  作者: ぷん太郎
PR
3/17

第三章 ヴィクターの失敗と追放

王宮には、国の内外から様々な知らせが届く。


その日、北方の国境近くにある小さな領地で、隣国の兵士が国境を越えたという報告が入った。


数は多くない。


だが、その土地は両国の間で以前から揉めている場所だった。


兵士が国境を越えた理由は、まだ分かっていない。


偶然かもしれない。


命令を受けてのことかもしれない。


あるいは、何か別の意図があるのかもしれない。


「どうする?」


王の執務室。


ルシアンは、机の上に置かれた報告書から顔を上げた。


その前に立っているのはヴィクターだった。


「国境の兵を増やします」


「どれくらいだ」


「三千」


ルシアンの眉がわずかに動いた。


「理由は?」


「向こうが何をするつもりなのか分からないからです」


「分からないから、三千か」


「はい」


ヴィクターは迷いなく答えた。


「兵を出さなければ、相手はこちらが動かないと判断する可能性があります。ならば、先にこちらが備えていることを見せるべきです」


「それで?」


「相手が退けば、それで終わります」


「退かなかったら?」


「その時は――」


ヴィクターは一度だけ報告書に目を落とした。


「戦う準備があります」


ルシアンは黙っていた。


「今ならまだ、戦争にはなりません」


「そう思うか?」


「はい」


「理由は?」


「こちらから攻撃するわけではありませんから」


ルシアンは椅子に深く座り直した。


「……分かった」


ヴィクターは一礼した。


「では、兵を――」


「待て」


「はい」


「私なら、兵を出さない」


ヴィクターが顔を上げる。


「なぜです?」


「相手が何を考えているか分からないからだ」


「だからこそ、備えるべきでは?」


「備えることと、兵を動かすことは同じではない」


「ですが――」


「ヴィクター」


低い声だった。


ヴィクターは口を閉じた。


「今は待て」


「……承知しました」


そう答えた。


だが、納得はしていなかった。


翌朝。


北方から、さらに報告が届いた。


国境付近に、隣国の兵が増えている。


そして、その日の午後。


ヴィクターは自らの判断で、国境へ兵を向かわせた。


王の許可は取っていない。


このまま待っていれば、相手の兵力がさらに増える。


そうなれば、こちらが動くこと自体が難しくなる。


だから、今動く。


ヴィクターはそう判断した。


三千の兵が北へ向かった。


しかし――


その二日後。


隣国から使者が来た。


国境付近にいた兵士たちは、ただの演習部隊だった。


こちらを刺激する意図はなかった。


そして、こちらが兵を動かしたことで、隣国は逆に警戒を強めた。


国境にはさらに兵が集まり始めた。


戦争になる可能性が、一気に高くなった。


王宮の会議室。


大臣たちが集められていた。


重苦しい空気の中、ヴィクターは黙って立っていた。


ルシアンは報告書を閉じた。


「兵を戻せ」


「……はい」


「すぐにだ」


「分かりました」


ヴィクターが部屋を出ようとした時だった。


「ヴィクター」


足が止まる。


「今回の件について、お前はどう考えている?」


「……結果としては、私の判断が悪かったと思います」


「結果としては?」


「はい」


「では、判断そのものは?」


ヴィクターは少し黙った。


「……間違っていたとは思いません」


部屋の空気が止まった。


大臣たちが互いに顔を見合わせる。


ルシアンだけは、表情を変えなかった。


「そうか」


「父上。私は、あの時点で得られる情報から判断しました」


「分かっている」


「何もしない方が危険だと思ったからです」


「それも分かっている」


「ならば――」


「だが、お前は自分の判断が間違っている可能性を考えなかった」


ヴィクターが黙る。


ルシアンは続けた。


「お前は、自分が賢いと思っている」


「……」


「それ自体は悪いことではない」


ヴィクターは父を見る。


「だが、王には必要だ。自分が間違っているかもしれないと疑うことが」


「私は、逃げているわけではありません」


「分かっている」


「結果については責任を取ります」


「結果だけではない」


ルシアンの声が低くなる。


「判断を誤ったなら、その判断も自分の責任だ」


「……」


「王になるなら、自分が正しいと思ったことに固執するな」


ヴィクターは拳を握った。


「父上だって、間違うでしょう」


「ああ」


「ならば――」


「だから私は、お前より長く王をやれている」


ヴィクターは言葉を失った。


ルシアンは静かにヴィクターを見た。


「私は、自分の判断が間違っている可能性を考える」


「……」


「間違っていれば、変える」


それだけだった。


「だから、お前を王にはしない」


その言葉だけは、はっきりしていた。


ヴィクターの顔が強張った。


「……私を?」


「ああ」


ルシアンは机の上の報告書に目を落とした。


「今回の件は、すでに大臣たちにも報告してある」


ヴィクターは黙って父を見る。


「明日、正式に処分を告げる」


「……」


「王位継承権を剥奪する」


ヴィクターの表情がわずかに強張る。


「そして、王都から追放する」


「なぜです」


「今のお前に国を任せるわけにはいかない」


ヴィクターはしばらく何も言わなかった。


やがて、低い声で言った。


「……私が、あなたの息子でも?」


ルシアンの目がわずかに細くなる。


「逆だ」


「……?」


「お前が私の息子だからこそ、許すわけにはいかない」


ヴィクターは理解できないという顔をした。


「私の息子でなければ、好きに失敗させていた」


「……」


「だが、お前は王になる可能性がある」


「だから?」


「だからこそ、今のままでは王にはできない」


ヴィクターは父を見つめた。


怒っている。


悔しい。


それでも、泣きはしなかった。


「……分かりました」


それだけを言った。


翌日。


王宮で、ヴィクターの王位継承権剥奪と王都からの追放が正式に決定された。


それは王としての処分であり、覆ることのない決定だった。


数日後。


ヴィクターは王都を出ることになった。


最低限の荷物だけを持ち、馬に乗る。


見送りに来た者は多くなかった。


王宮の門を出る直前。


ヴィクターは一度だけ振り返った。


高い城壁。


その向こうに、父がいる。


幼い頃、剣を教えてくれた。


馬の乗り方を教えてくれた。


本を読んでくれた。


そして今、自分を追放した。


ヴィクターは目を細めた。


「……父上は、間違っている」


誰に聞かせるでもなく呟く。


「いつか、証明してみせる」


その言葉を残して、馬を走らせた。


城壁の上。


ヴィクターの姿が小さくなっていくのを、ルシアンは見ていた。


隣にいた兵が尋ねる。


「陛下……よろしいのですか」


「ああ」


「殿下を、あのまま追放して」


ルシアンは答えなかった。


しばらくして、静かに言った。


「……あいつは、私より優れた王になれるかもしれん」


兵が驚いて顔を上げる。


「ならば――」


ルシアンはそこで言葉を切った。


「今のままでは、無理だ」


城門の向こうには、もうヴィクターの姿はなかった。


ルシアンは踵を返す。


その顔に、後悔はなかった。


ただ一つ。


父親として言うべきだった言葉だけを、最後まで言えないまま。


――よくやった。


それだけだった。


そして王宮には、ヴィクターのいない日々が始まった。


ジェスターは、その変化を黙って見ていた。


追放された王子のことを、誰にも尋ねられなかったからだ。


だから、誰にも話さなかった。


ただその日の夜。


一人で窓辺に立ちながら、ぽつりと呟いた。


「……さて」


少しだけ笑う。


「あなたは、次に何を選ぶんでしょうね」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。