心臓の価値
「あの……っ」
冷え切った空気と「患部丸焦げ施術」の恐怖に私がガタガタと震える中、部屋の隅でモップを持っていたもう一人の召使が、おどおどと身を縮こませながら一歩前へ出た。
目の下に薄い隈を浮かべた、どこかダウナーで覇気のない雰囲気を纏った若い女性の召使だ。
(あ……あのお姉さん……!)
私はピンとくる。
ベロビーが運んでくる「上品で高級だけど、スプーン数回で終わる極少スープ」に絶望していた時、私のひもじそうな顔を見かねて、陰でコッソリ山盛りのパンを差し入れてくれていたのが、まさに彼女だった。この殺伐とした屋敷において、私にとって唯一の「救いの神(飯の種)」である。
そんなダウナーで弱腰な彼女が、恐る恐る口を開く。
「あのっ……それなら……『意識を固める』のは……どうでしょうか……?」
「ん? 意識を固める?」
フランケンが眉をひそめて腕を組む。「うーむ……」と首を傾げる天才技師の横から、ベロビーが冷ややかに割って入った。
「これだから素人は。意識を物理的に固定・停滞させる魔術薬など、神経系を不可逆的に破壊するリスクが高すぎます。素人が軽々しく口を出すものではありませんよ」
「ひ、ひえっ……! す、すいません……っ!」
ベロビーの鋭い一言に、弱腰の召使は泣きそうになりながら頭を下げて縮み上がった。
だが、私は彼女の言葉に強く引っかかりを覚えた。
「ねえ……『意識を固める』って、具体的にどうなるの……?」
「え、えっと……」
弱腰の召使はチラチラとベロビーの冷たい視線を気にしながら、ボソボソと説明を始める。
「植物から採れる特定の毒胞子を極小量だけ煎じて飲むんです……。そうすると、頭の中がボケ〜っとして、身体の感覚が麻痺して、切られても叩かれても何も感じなくなって……目が覚めた頃には、痛みも覚えていないっていう……昔の開拓地で使われていた気休めの怪しい民間療法なんですけど……」
それだ。
私の目が見開かれる。
(それ、名前が怪しいだけでほぼ麻酔じゃん!!!!)
神経破壊のリスク? 不可逆的な障害? 知るか!
麻酔なしで腹を割られて傷口を火炎魔導で焼き肉にされる恐怖に比べたら、そんなリスクなど微々たるものだ。いつもご飯を多くくれた彼女の提案なら、100倍信じられる。
「フランケンさん! それ! その『意識を固めるやつ』でお願いします!!」
「えっ!? あ、いやでもベロビーさんの言う通り、医学的には非常に大雑把で素人臭い手法ですよ……?」
「いいから!! 燃やすのも麻酔なしも嫌だから、絶対それをやります!!!」
私の凄まじい気迫に押され、フランケンは「はぁ、患者がそこまで言うなら……」と困惑気味に頷き、弱腰の召使は「ひ、ひゃいっ……!」と驚きつつも少しだけ安心したように胸を撫でおろした。
一方のベロビーは、「後で後悔しても知りませんからね」と心底不機嫌そうに舌打ちを鳴らすのだった。
「よし、では調合と手術の準備に取りかかろう。ベロビーさん、その植物の保管場所へ案内してくれ」
フランケンがアタッシュケースから禍々しいメスや術式器具を取り出し、いよいよ本格的な「手術」の段階へと移ろうとした
「……ふぅ。一応、完了ですね」
フランケンが血と油の混ざった手袋を脱ぎ捨て、泥のように床へ崩れ落ちた。
私の胸元には、精緻な銀細工のような文字盤と魔導回路が刻まれた「機械心臓」が、静かに、しかし力強く『カチ、カチ』と音を立てて脈打っている。
シメさんが差し出してくれた「意識を固める薬(毒胞子 brew)」の効き目は絶大だった。頭がボケ〜っとして感覚が綺麗に吹き飛んでいたおかげで、腹を割られて傷口を火炎魔導で焼かれるという狂気の野戦医療拷問も、どこか遠い国の出来事のようにやり過ごすことができたのだ。
(い、生きてる……! 胸がキュッて痛くならない……!!)
前世を含めても体験したことのない「胸の引っかかりがない快感」に、私はベッドの上でじ~んと深い感動に浸っていた。あの壊れかけた心臓を騙し騙し動かしていた苦痛が、嘘のように消え去っている。
――だが。
部屋の壁際に佇む人物から放たれる視線だけは、隠しきれていなかった。
筆頭使用人、ベロビーである。
彼は胸の前で腕を組み、冷え切った眼光で、血の海と化した手術台と、ボロボロになって床で眠りこけるフランケン、そして安堵の息をつく私を見下ろしていた。
「……何でしょうか、ベロビーさん。そんなに嫌そうな顔をして」
私が麻酔(という名の毒薬)の余韻で少し回らない舌で尋ねると、ベロビーは「チッ」と隠す気すらない長めの舌打ちを鳴らした。
「不満しかありませんよ」
ベロビーは白手袋をはめ直し、冷淡な声で淡々と不満点を列挙し始めた。
「第一に、素人の怪しげな毒薬(民間療法)を優先し、私の管理手順を無視したこと。第二に、術後の血と焦げ跡で最高級の絨毯が二度と使えないほど汚れたこと。第三に……」




