役者と劇場
同じ頃――中央の重苦しい執務室。
監察官ルクレチアは、引き締まった表情で外套の留め具を締め直していた。昨夜、中庭で繰り広げられたサモとの異常な対峙、そして10年目の死の予言。
(サモ邸……そしてあの機械心臓の少女・ヴェロニカ。すべての不審点の中心にあそこがある……!)
地下書庫の怪異とサモの警告を確かめるため、ルクレチアは直ちにサモの屋敷へ強制査察に入るべく準備を整えていた。もはや一刻の猶予もない。中央の警戒網をすり抜けるあの「水」の異能がこれ以上満ちる前に、真相を叩き割らねばならないのだ。
だが、彼女が執務室のドアノブに手をかけたその瞬間、重々しい音を立てて扉が内側へ開かれた。
そこに立っていたのは、ルクレチアの上官――中央幹部のメルトだった。
「……ルクレチア。どこへ行く気だ」
威厳を漂わせた厳格な面構え。だが、ルクレチアの鋭い眼光は、メルトの背後に控えている「人物」を見逃さなかった。高価な絹の服に太鼓腹を包んだ、中央の権力者である老齢の幹部だ。
「サモ邸への臨検です。メルト上官、昨夜の中庭での惨劇とサモの異常行動については既に報告書を投函しております。あそこには中央の安全を脅かす致命的な不確定要素が――」
「その件なら許可できない」
メルトはルクレチアの言葉を冷たく遮った。
「な……!? なぜですか! 騎士隊が全滅させられたのですよ!?」
ルクレチアが思わず声を荒らげると、メルトの背後にいた丸々と太った幹部の「おじさん」が、揉み手をしながら扇子で口元を覆い、ぬるりと前に出てきた。
「やあやあルクレチア監察官。相変わらず熱心で結構なことだがねぇ……サモ大魔導師の屋敷への立ち入りは、今日から『全面禁止』となったのだよ」
「……理由をお聞かせください」
ルクレチアのレイピアを持つ指先が、怒りで微かに震える。おじさん幹部はヘラヘラとした笑みを浮かべ、あからさまに今思いついたような、支離滅裂で強引な理由を宣い始めた。
「理由? ああ、理由かね! 実はだな……サモ邸の周辺は現在、えー……『希少な渡り鳥の繁殖期』に入っておりやすくてね! 我々中央としては環境保護の観点から、武装した監察官の立ち入りを厳重に制限しなければならんのだよ!」
「……は?」
ルクレチアは耳を疑った。渡り鳥の繁殖期?
血と潮の匂いが充満し、騎士たちが無残に肉塊に変えられた現場の目と鼻の先で、環境保護? あまりにも理不尽で、子供だましの言いがかりにも等しい強引な足止めだった。
「メルト上官! 本気でこのような戯言を受け入れるおつもりですか!?」
ルクレチアがすがりつくように上官へ視線を向ける。だが、メルトは苦々しい表情を浮かべつつも、冷酷に首を横に振った。
「……上層部の決定だ、ルクレチア。サモ邸への接近は固く禁ずる。破れば貴官の監察官権限を即座に剥奪する」
「……ハァ。完全に赤字ですよ、赤字」
サモ邸の地下作業室から出たフランケンは、油と血で汚れた工具箱を重そうに担ぎ直し、がっくりと肩を落としていた。
命がけで削り出し、精密な魔導回路を組み上げた特注の義心臓。サモからは「あ、ありがとねー」と軽い口約束だけでロクな報酬も支払われず、当のベロビーからは「タダ飯食らいに無駄な資産価値を組み込みやがって」と散々な嫌味を言われる始末だ。
(材料費どころか、途中で使った火炎魔導の触媒代すら出てない……。俺の技術をなんだと思ってるんだ、あの屋敷の連中は……)
トボトボとサモ邸の裏門へ向かって歩くフランケンの背中は、悲壮感に満ち溢れていた。このまま手ぶらで帰れば、自分の工房の家賃すら払えずに路頭に迷うことになる。
「あ、あの……! フランケン技師……っ!」
裏門の手前で、小走りに追いかけてくる影があった。屋敷の料理人であるシメだ。息を荒らげ、エプロンで手を拭いながらフランケンの前で立ち止まる。
「シメさん……? 何か忘れてましたか?」
「これ……っ! ほんの気持ちなんですけど、受け取ってくださいっ!」
シメが両手で差し出してきたのは、布に包まれた小さな袋だった。フランケンが戸惑いながら中身を確かめると、そこにはシメがコツコツと溜めていたと思われる、数千円相当の銅貨と銀貨がぎっしりと詰まっていた。




