食or子
……次に私が目を覚ましたのは、サモ邸の自分のベッドの上だった。
窓からは柔らかい朝の光が差し込んでいる。胸元に手を当てると、『カチ、カチ……』という金属音とともに、新しく移植された機械心臓が快調に脈打っていた。身体の痛みも引き、あんなに苦しかった息苦しさも綺麗に消えている。
(あ……私、生き延びたんだ)
感動が胸を満たす。だが――同時に、猛烈な「違和感」が頭を支配した。
(……あれ? 私、なんでこんなに命に固執して、脱走しようとしてたんだっけ……?)
命が助かったことは何より嬉しい。だけど、何か一番大事な「行動の理由」が、ぽっかりと抜け落ちている気がする。
「ヴェロニカ様。目覚められましたか」
ノックもなしに扉が開き、不機嫌そうなベロビーがトレイを持って入ってきた。
「体調はどうです。稼働データ収集のため、今日からみっちり屋敷の雑用をこなしていただきますよ。……サモ様が『庭で倒れてたよ~』と貴女を抱えて戻ってこられた時は、本当に胃が痛みました」
「ベロビーさん……私、なんで外に出てたの?」
私が首を傾げて尋ねると、ベロビーは心底呆れたように鼻を鳴らした。
「知るわけがないでしょう。ただの徘徊か、夢遊病の類です。くだらない真似は二度とおやめください」
「……そっか」
頭の中をいくら探っても、そこには何もなかった。
ただ、胸の奥で機械心臓が『カチ、カチ』と寂しげな音を立てているだけだった。
母を救うという目的を失い、自分の本当の存在理由も分からぬまま――私はサモ邸での「タダ飯食らいの雑用係」としての生活をスタートさせることになる。
そしてその頃、ルクレチアはサモの「予言」と中央の影を追い、着々と調査を進めていた。
交わるはずのない二人の運命が、中央の隠す「世界の歪み」を前に、再び大きく動き出そうとしていることも知らずに――。
朝の光が差し込むサモ邸の廊下に、サモ様とベロビーの会話が静かに落ちていた。
「ベロビーちゃん」
サモ様は浮遊したままクルリと向き直り、ぐっすりと眠る私を雑にベッドへ放り投げた後、筆頭使用人へ向かって唇に人差し指を当てた。
「昨日の夜、ヴェロニカちゃんが外に出てたこと……他の誰にも言っちゃダメだよー? もちろん、ベロビーちゃん自身の胸の中にしまっておくの」
ベロビーは眉間に深い皺を刻み、不機嫌さを隠そうともせずに冷たい視線をサモ様へ向けた。
「サモ様……このガキは義心臓の手術直後に脱走を試みたのですよ? 監視を強めるべきではありませんか。それに、食事を担当しているシメにも伝えて厳重に注視させねば――」
「ううん、シメちゃんにも伝えませ~ん」
サモ様は語尾を伸ばしながら、無邪気に首を振ってみせた。
「シメちゃんはさぁ、ちょっと臆病で優しすぎるからねぇ。余計なことを知ったら動揺して、美味しいお粥に塩を入れすぎちゃうかもしれないでしょ? だから、なーんにも言わなくていーの。ヴェロニカちゃんは『ただの夢遊病で庭を散歩してただけ』。いーね?」
「……ハァ。御意のままに」
ベロビーは深く深呼吸をし、心底不満そうに舌打ちを一発鳴らしてから、それ以上追及するのを諦めたのだった。




