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永眠

ルクレチアとの不穏な「おしゃべり」を終えたサモは、中央の殺風景な敷地を這うような高さで、ふわリと浮遊していた。濡れた髪を夜風になびかせ、向かう先は「あの場所」だ。

――だが。

サモの視界の端、月明かりの届かない影の中で、モゾモゾと不自然に蠢く「小さな塊」が引っかかった。

「……ん? そこの君、何してるのかなー?」

サモが音もなく降下し、後ろから覗き込むように声をかける。

「ひやっ!?」

影の中から飛び跳ねたのは、私――ヴェロニカだった。

胸元から『カチ、カチ……』と静かな機械音を響かせながら、私は月明かりの影に縮こまっていた。

手術は成功したばかりのはずだ。腹を切られ、毒胞子(麻酔)を呷り、焼き肉のように術部を炙られた5歳の身体。痛みは麻痺しているとはいえ、身体の不快感を押して、私は夜の闇に紛れてサモ邸を脱出し、ここまで足を運んでいた。

「ヴェロニカちゃん? 君、昼間に手術したばっかりでしょ? なんでここにいるの? ベロビーが見たら泡吹いて倒れちゃうよ」

サモ様がくすくす笑うと、私は胸の機械心臓を押さえ、背筋を伸ばして重い息を隠しながら、決意の固い目で大魔導師を見上げ返した。

「……うご、動けるようになったから……忍び込みました」

「忍び込んだって……ここ、中央の重要区画だよ? 5歳児が散歩に来る場所じゃないよ」

「母に、会うためです」

私の声に、一切の迷いはなかった。

「村が焼かれて……お母さんは『苗床(ナサリー)』として中央に連れていかれたって聞きました。ベロビーさんは『雑用して働け』って言ってたけど……じっとしてたら、お母さんがどうなっちゃうか分からない」

前世の大人としての思考があろうと、今の幼い私にとっての母親を想う必死な叫び。

それを受け止めたサモ様の黒い瞳の奥で、ぬらりとした闇がわずかに蠢いた。

「……ふーん。お母さん、ねぇ」

サモ様は小さく首を傾げると、私の前にかがみ込み、その小さな頭をポンポンと雑に撫でた。

「あのね、ヴェロニカちゃん。あそこはね……君が思ってるような『お母さんが囚われてるお城』じゃないんだよ?」

「……あーあ。厄介なことになっちゃったなぁ」

サモ様は私の小さな頭に置いた手のひらに、ほんのわずかに溜息を吐き出した。

目の前で必死に「お母さん」を求める5歳の私。しかし、中央の『苗床(ナサリー)』がどういう場所で、そこに送られた女性が今どういう状態になっているのか――大魔導師であるサモ様はすべてを知っていた。知っているからこそ、いま私をそこに行かせるわけにはいかなかったのだ。

(ここで本当のことを教えて発狂させるのも面倒だし、連れて行って『あれ』を見せるわけにもいかないしねぇ)

サモ様はくすりと笑うと、ポンポンと撫でていた手のひらから、無色無臭の『水気』をふわりと漂わせた。

「あのね、ヴェロニカちゃん。今日はもうおねむの時間だよ」

「え……っ、なにか、あたまが――」

視界がぐにゃりと歪んだ。胸の機械心臓が『カチ、カチ』と規則正しい音を刻む中、耐えがたい猛烈な眠気が私の意識を塗りつぶしていく。

ガクリと膝から崩れ落ちる私の小さな身体を、サモ様は抱きとめるでもなく、水の手でふわりと受け止めて地べたに横たえた。

「んー……よし」

横たわる私を見下ろしながら、サモ様は指先を唇に当てる。

「せっかく命拾いしたのに、『母親を助ける』なんて目的を持たせたままにしておいたら、また明日にも脱走して中央に突っ込んじゃうよね」

指先から伸びた糸のような魔力が、睡眠中の私の額へとすり抜けるように潜り込んでいく。

「消しちゃおう、『お母さん』の記憶」

術式を編み上げながら、サモ様は少しだけ考え込んだ。こういう記憶操作の術には、特定のトリガーで封印が解ける「解除キー(キーワード)」を設定するのが魔導のセオリーだ。

(……ううん、解除される仕掛けなんて作らなくていっか)

サモ様の瞳から道化の光が消え、暗く冷たい深海のような闇が覗く。

(思い出すきっかけ(キーワード)なんて、残さない方がこの子のために良いと思うな)

残酷で、けれどサモ様格の「気まぐれな慈悲」。

私の脳裏から「連行された母親」に関する一切の記憶が、波に洗われる砂の城のように綺麗さっぱり消し去られていく。愛おしかった面影も、救い出したいという切迫感も、すべてが泡となって弾け飛んでいった。

「さーて。ベロビーに『迷子の点検漏れだよー』って届けてあげなきゃね」

サモ様はぐっすりと眠り込む私の首ぐねぐねの身体をひょいと持ち上げると、夜の闇の中へ消えていった。

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