【第5話:鍋の中から現れた逆転】
第5話、第1章最初の山場です!
敵陣のど真ん中で繰り広げられる、鳩鍋を舞台にした情報戦。統真の知略が敵と、
そして身内の宿敵に炸裂します。
──ガハハハハ!
見よ、この首を!
小田原の支城など、もはや熟しきって落ちるだけの柿よ!
敵の陣幕、その巨大な空間のなか。
連戦連勝に浮かれた武将たちが、
溢れんばかりの酒を酌み交わし、大音量で笑い声を轟かせていた。
床には豪奢な毛皮が敷かれ、
勝利を確信した者たちの傲慢な熱気が満ち満ちている。
「申し上げます!
前線の偵察兵が、城外にて見事な鳩を生け捕りにいたしました!
陣中の一興にと、大釜にて極上の鳥汁に仕上げてございます!」
「ほう、鳥汁か!
連日の干し肉には飽き飽きしていたところだ。
すぐに持ってまいれ!」
上座の敵将が、だくだくと垂れるよだれを拭いもせず怒鳴った。
運ばれてきたのは、もうもうと湯気を立てる大釜の煮込み料理。
立ち込める美味そうな匂いに、
群がる武将たちが一斉に箸を伸ばし、貪るようにその肉を食らい始めた。
「うむ!
これは美味い!
小田原の鳥はよく肥えているではないか!」
「ハハハ、これぞまさに腹の底まで満たされる美味
──ん? おい、釜の底に何ぞ固いものが沈んでおるぞ」
一人の武将が、汁をすくおうとした大きな柄杓の手を止めた。
柄杓の先が、釜の底でカン、と異様な硬さの物体に当たったのだ。
武将が不審に思いながらそれをすくい上げると、大釜の底から現れたのは、
黒い漆と蝋で塗り固められた、指ほどの大きさの筒状の異物であった。
「なんだこれは?
骨ではなさそうだが……」
「待て、漆塗りの文筒ではないか?
なぜこのようなものが鳥の腹のなかに……」
陣幕のなかの喧騒が、水を打ったように静まり返った。
熱い汁を滴らせる黒い筒を、敵将が不気味そうに受け取る。
荒木弦介が手塩にかけ、梛木統真が仕込んだ耐熱文筒。
それは、大釜の凄まじい熱湯のなかにあっても、
一切形を崩さずにその役目を果たし続けていた。
「おい、開けてみろ」
敵将の低い命に、側近の刃が筒の蝋を削り取る。
中から引き出されたのは、
熱の入った油紙に包まれた、一通の密書であった。
「……何だと? これは、城内の内通者と、衣笠陣烈の署名か!?」
紙面に目を走らせた敵将の顔が、一瞬にして土気色に変わった。
「馬鹿な……!
『自城を売り渡す密約書』だと!?
衣笠陣烈め、我らに城を明け渡す代償として、
我が軍の退路を奇襲する手筈を裏で整えていると書いてあるぞ!」
「何ぃ!?
烈が我が軍を嵌めるというのか!」
「待て!
あの衣笠陣烈が、これほど容易く城を売る約束をするはずがない。
我らを誘い出す罠ではないのか!」
陣幕のなかは、一瞬にして罵声と怒号が飛び交う大混乱へと叩き落された。
これこそが、梛木統真の仕掛けた最大の罠であった。
統真は事前に城内の内通者の筆跡を
完璧に真似て偽りの密約書を作り上げ、あえて敵の胃袋へ放り込んだのだ。
「裏切り者の裏切り」という、最も疑心暗鬼を生み出す毒を。
「衣笠陣烈め……!
やはり信用できん男だ!
全軍、突撃を中止せよ!
城内からの内応の報があるまで、一歩も動くな!」
「いや、むしろ陣烈の軍勢がいつ背後から襲ってくるか分からんぞ!
後方の防備を固めろ!」
鉄の結束を誇り、城をジワジワと干殺しにしていたはずの敵の包囲網。
そこに、一本の手紙が拭えぬ亀裂を入れ、
互いが互いを疑う泥沼の不信感が、敵の軍勢を内側から食い破り始めていた。
──その頃、小田原の支城の本丸御殿。
「衣笠様!
の包囲網が突如として乱れ、後方に陣を下げ始めております!
我が城の壁への攻め口が一気に霧散いたしました!」
息を切らせた伝令の報告に、広間の重臣たちが一斉にざわついた。
「何だと……?
敵が退がっただと?
梛木、お前はいったい何を仕掛けた!」
衣笠陣烈が、上座から身を乗り出して統真を睨みつけた。
「ははっ。
衣笠様、敵のなかに『あなた様が敵を嵌めようとしている』という偽りの密約書を、
あの鳩の胃袋を使って送り届けました。
今頃、敵の本陣はあなた様への恐怖と疑心暗鬼で、
まともに戦える状態ではございませぬ」
「な、何だと……!? 俺の名を使って偽りの密書をだと!」
陣烈の顔が、屈辱と驚愕で真っ赤に染まる。
「おのれ、梛木!
お前、お上の名を騙って敵を騙したというのか!
武士の風上にもおけぬ卑劣な真似を!」
「卑劣、と仰せですか」
統真は平伏したまま、しかし、その口元に冷徹な笑みを刻んだ。
「一兵も損なうことなく、
敵の大軍を揺るがし、城の包囲を解いてみせました。
これのどこが卑劣にございましょうか。
あなた様が鍋にしようとしたあの小さな鳥たちが、
この城の数千の兵の命を救ったのです」
「くっ……、おのれぇ……!」
陣烈は刀の柄に手をかけたが、周囲の重臣たちが一斉にそれを遮った。
「衣笠様、梛木殿の言う通りにございます! 現に敵は混乱しておる!」
「衣笠様の無謀なる差配に付き従えば、
この城は無駄死にを遂げるのみ!
梛木殿の知略こそ、城を救う一手よ!」
「お前たちまで……! ええい、離せ!」
恥をかき、味方からも完全に見限られた衣笠陣烈は、
ついにその指揮権を剥奪され、失脚の道を辿ることとなった。
御殿の外、夕暮れの冷たい風が統真の頬を撫でる。
鳩小屋へ戻ると、荒木弦介とお初が、静かに統真を待っていた。
「梛木、やったな。
お前の仕掛けた、
鳥の腑を借りた謀計、見事に敵の度肝を抜いてやったぞ」
弦介が、無骨な手で統真の肩を叩いた。
「うん、うちも一番良い場所で見届けてたけどさ、
敵の将軍たちの顔、本当に見ものだったよ。
鳥をただの肉だと見下した罰だね」
お初も梁の上で足を揺らしながら、愉快そうに笑う。
「ああ……。
だが、これで敵の足元が狂っただけだ。
兵糧の限界が近いことに変わりはない。
本当の逆転は、これからだ」
統真は、新しく設えられた巣箱の中で、
静かに明日を見据える「疾風」の瞳を見つめた。
一兵の血も流すことなく、
大軍の包囲を揺るがしてみせた、人と鳥の知略。
その小さな翼がもたらした奇跡は、
籠城戦の闇に、これ以上ない鮮烈な勝利の光を灯し始めていた。
見事なざまあ展開(笑)!
陣烈の鼻を明かし、敵の包囲網を大混乱に陥れました。
しかし、戦いはまだ終わりません。次回、さらなる試練として「大嵐」が城を襲います。




