【第3話:忍びの少女と「疾風」】
第3話をお届けします。
今回はヒロイン枠でもある忍びの少女・お初と、本作のもう一羽の主人公とも言える伝説のドバト「疾風」が登場します。
──バサバサバサッ!
薄暗い小屋のなかで、数羽の鳩が勢いよく羽ばたき、
新しく設えられた横木へと着地した。
クックッ、と喉を鳴らすその姿には、以前のような怯えはない。
梛木統真はそれを見届け、小さく息を吐いた。
「どうだ、荒木殿。
鳩たちは随分とこの場所を『我が家』と認め始めたようだが」
「ああ。梛木、
お前が泥にまみれて藁を集めた甲斐はあったな。だが……」
荒木弦介は白髪交じりの無精髭をなでながら、
厳しい視線を木枠の向こうへと向けた。
「塒を覚えたところで、次の難所だ。
この鳥どもをどうやって『城の外』へ連れ出す?
地上の囲いは鉄壁だ。
人間が籠を背負って歩けば、一歩目で蜂の巣にされるぞ」
「それは……分かっている。
だが、誰かが包囲網を潜り抜けねば、そもそも便り筋が通らぬ。
命がけの役目になるが、誰か……」
「なら、その大役、うちが引き受けようか?」
天井の梁から、鈴の転がるような軽い声が降ってきた。
統真と弦介が驚いて見上げると、
そこには漆黒の忍び装束に身を包んだ小柄な影が、
音もなくしゃがみ込んでいた。
しなやかな身のこなしで床へ飛び降りたのは、くノ一のお初だった。
「お初!?
いつからそこに……」
「さっきから。
ねえ、軍配者様。
お上の者たちは、そなたらの試みを『鳥の阿呆』と笑うておるが、
うちは面白いと思うんだよね」
お初は悪戯っぽく笑い、統真の顔をのぞき込んだ。
その瞳には、危険な任務を前にした怯えなど微塵もない。
「地上の兵どもは、空を飛ぶ鳥を捕まえられない。
だから、うちがその鳥たちをこっそり外へ連れ出して、
城外の味方に預ければいいんでしょ?
命がけの忍び働き、喜んで手を貸してあげる」
「本当か、お初!
しかし、敵の目は厳重だぞ」
「うちを誰だと思ってるの?
風の隙間を抜けるなんて、お手の物だよ。
……それに、ただで行ってきたんじゃつまらないからさ。
ほら、これもうちの分捕り物さ」
お初は背負っていた大きな竹籠をどさりと床に置いた。
蓋を開けると、
そこにはお初が城外のあちこちから密かに捕らえてきた、
野生のドバトの群れがうごめいていた。
「外の様子を見るついでに、
使えそうなのを搦め捕ってきた。
この城の鳩だけじゃ数が足りないでしょ?」
「これは……ありがたい!
荒木殿、見てくれ!」
統真が籠のなかに手を伸ばしようとした、その時だった。
一羽の鳩が、
他の鳥たちを押しのけるようにして、籠の縁へと飛び上がった。
「ぐっ……な、なんだ、この眼は……!」
統真は思わず息を呑み、伸ばした手を止めた。
その鳩は、灰色のがっしりとした体躯を持ち、
羽の一部が引きちぎれたように荒れていた。
しかし、何より異彩を放っていたのは、その「眼」だった。
折しも、小屋の薄い板壁を叩くように、
外では大嵐の雨風が吹き荒れ始めていた。
ガタガタと窓が鳴り、
他の鳩たちが一斉に首を縮めて怯えるなか、
その一羽だけは、びくりとも動かない。
それどころか、狂暴なまでの光を宿した瞳で、
吹き荒れる大嵐の空を、そして人間の統真を、真っ直ぐに睨みつけていた。
「凄まじいな……。
嵐の夜を恐れるどころか、空を睨みつけている」
「おいおい、梛木、
そいつは容易に人に懐くタマじゃねえ」
弦介が顔をしかめ、統真の前に出た。
「そいつはただのドバトじゃねえぞ。
目つきが野生の猛禽そのものだ。
噛み癖のある悪鳥よ。人の手で簡単に御せると思うな」
「いや、荒木殿。私はこいつに惚れた」
統真の胸の奥で、熱いものが火を噴いた。
冷遇され、武功なき辻占と泥を舐めてきた己の境遇と、
大嵐に向かって牙を剥くその鳥の姿が、完全に重なったのだ。
「この気高さ、この圧倒的な強さ……。
こいつなら、どんな逆境の空をも突き破れる。
お前は今日から『疾風』だ。
疾風、俺たちと共に戦ってくれ」
「クルルルッ!」
疾風は統真の言葉を拒絶するように激しく羽ばたき、
鋭いくちばしで統真の手の甲を激しく突いた。
「痛っ……! はは、本当に気性が荒いな」
「言わんこっちゃねえ。
どれ、俺が少し締めてやるか」
弦介が太い腕を伸ばして疾風を捕らえようとしたが、
疾風は鋭く鳴き、弦介の指に噛みつかんばかりに暴れ回った。
職人肌の弦介がどれほど声を荒らげても、決して心を開こうとはしない。
「くそっ、この強情鳥め!
これじゃあ塒を教え込むどころじゃねえぞ!」
「あはは!
おじいさんじゃ、怖がらせるだけだよ。ちょっと貸して」
見かねたお初が、懐から小さな包みを取り出した。
手のひらに載せたのは、城外の深い山奥でしか採れない、
独特の香りを放つ野生の木の実だった。
「ほらほら、疾風。
お腹空いたでしょ? これ、あんたの好きなやつだよ」
「……グルッ?」
疾風の動きが、ぴたりと止まった。
お初の手のひらをじっと見つめ、首を傾げる。
お初は優しく微笑み、声を和らげた。
「怖くないよ。
あんたをここまで連れてきたのは悪かったけどさ、
この人たちはあんたを鍋にしようとしてるわけじゃないんだ。
うちらの、大事な仲間になってほしいの」
「クルル……」
疾風はなおも警戒するように統真と弦介を一瞥したが、
やがて、お初の手のひらから、一粒の木の実をこつん、とついばんだ。
「あ、食べた……!」
「よし、いい子だね」
お初がそっと指先で頭をなでると、
疾風は目を細め、静かに羽を閉じた。
その様子を見ていた弦介が、感心したように声を漏らす。
「なるほどな……。
忍びの鼻は、鳥の好物まで嗅ぎ分けるか。
梛木、お前の言う通り、こいつは『食料』じゃねえ。
俺たちの仲間だ。時間をかければ、必ずこの巣を愛するようになる」
「ああ」
統真は、お初の手のひらで穏やかになった疾風を見つめ、
固く拳を握りしめた。
ただ大人しいだけの鳥では、敵の矢が飛び交う戦場の空は越えられない。
この大嵐を睨みつける異端の鳥
──「疾風」の覚醒こそが、この絶望的な籠城戦の運命を大きく変える、
確かな予兆となっていた。
「お初、明日からさっそく、この疾風を外へ連れ出す算段を立てるぞ。
頼めるか」
「うん、任せて。
この子が空を飛ぶ姿、うちが一番良い場所で見届けてあげるからさ!」
お初は疾風の頭をもう一度優しくなで、
夜の闇へと溶けるように梁の上へと消えていった。
吹き荒れる大嵐の音の向こうで、統真は確信していた。
この小さな小屋から、歴史を揺るがす大逆転の翼が、
いま、羽ばたこうとしているのだと。
お初と疾風、チームのピースが揃ってきました!
嵐を恐れない疾風の存在は、これからの戦いで大きな意味を持ってきます。
次回、ついに敵の包囲網を揺るがす「奇策」が発動します。




