【第2話:愛する家(巣)を作る者】
第2話です。
今回は鳩通信の要となる「鳩の気持ち」に迫るお話です。
ただの道具ではなく、生き物として鳩と向き合う統真たちの奮闘をぜひご覧ください。
──クックッ、クゥ。
薄暗い鳩小屋の中で、鳥たちの呑気な鳴き声だけが響いている。
梛木統真は、頭を抱えて冷たい板床に座り込んでいた。
「猶予をもぎ取ったはいいが……さて、どうしたものか」
衣笠陣烈に大見得を切り、己の首を賭けて勝ち取った鳩たちの命。
だが、現実は非情だった。
統真は軍配者として兵法の書物を読み漁ってはいたが、
それは陣形や天候の吉凶、日柄の知識に過ぎない。
実際に鳩を遠方から呼び戻す具体的な「使役の術」など、
一行も記されていなかったのだ。
籠に入れ、ただ遠くで放せば戻るのか。
いや、そんな簡単なものなら、すでに諸国の名将がやっているはずだ。
「……おい。そこで何をごちゃごちゃと悩んでおる」
不意に、背後から地を這うような野太い声が掛けられた。
振り返ると、そこには薄汚れた木屑を頭から被り、
無精髭を生やした老人が立っていた。
懐に手を入れたまま、鋭い眼光で統真を睨みつけている。
城内で偏屈者として遠ざけられている男、
鳥刺し出身の飼育員・荒木弦介だった。
「荒木殿!
探しましたぞ、あなたにぜひ協力を……」
「断る」
弦介は統真が言葉を言い切る前に、吐き捨てるように拒絶した。
くるりと背を向け、小屋の隅にある餌箱の掃除を始める。
「待ってくだされ、まだ何も言っていない!」
「言わでも分かる。
お前ら軍配者や武士の考えることなど一つしかねえ。
衣笠の旦那にそそのかされたか知らんが、
その鳥どもを戦の道具として使い潰す算段だろう。
鳥をただの道具として使役する傲慢な男に、
貸す耳など持ち合わせておらん」
「道具扱いなどしていない!」
「嘘を言うな!」
弦介が激しく振り返り、手に持っていた竹箒を床に叩きつけた。
「その眼を見れば分かる。
お前はただ、自分の首が懸かっているから焦っておるだけだ。
鳥の命など、これっぽっちも考えておらんだろうが!」
胸を突かれ、統真は言葉を失った。
確かにその通りだった。
失敗すれば首を刎ねられる。
その恐怖が頭を支配し、
いかに兵法の規律に当てはめて鳥を操るかばかりを考えていた。
だが、ここで諦めればすべてが終わりだ。
統真は深く息を吸い、弦介の前に一歩踏み出して、その場に両膝を突いた。
「確かに、私は己の命が惜しい。だが、それだけではないのだ」
「ふん、命乞いか」
「違う!
衣笠様は、この鳩たちをすべて締め殺し、鳥汁の具にせよと命じた。
私はそれが耐え難かったのだ。
この小さな命には、戦を引っくり返すほどの、誰も見たことのない力が眠っている。
ここで肉として消費されてたまるものか。
荒木殿、頼む。
あなたの知恵が必要だ。
この鳥たちの可能性を、私と共に証明してくれ!」
床に頭を擦りつける。
額に砂が乗るが、構わず下げ続けた。
静寂が、息苦しいほどに小屋を支配する。
クックッ、と鳩が羽ばたく音だけが聞こえた。
やがて、深く、重い溜息が頭上から降ってきた。
「……面を上げろ、梛木」
統真が恐る恐る顔を上げると、
弦介は腕を組み、呆れたような顔で統真を見下ろしていた。
「お前、本当に阿呆だな。
弓矢を誇る侍の端くれが、我らのような鳥刺し風情に畳に額を擦りつけるとは」
「背に腹は代えられぬ。
いや、それ以上の価値が、あなたにはある」
「口の上手い若造だ。
……いいだろう。そこまで必死なら、一つだけ大本を教えてやる」
弦介は、近くの横木に止まっていた一羽の鳩を、
優しく大きな手で包み込むように撫でた。
「お前は、鳩をただ遠くへ飛ばせば、
勝手にここへ戻ってくると思っておるだろう」
「……違うのか? 生まれ持った習性だと聞いたが」
「習性がありゃあ、命を懸けるか?
外の空にはな、ハヤブサもいれば、腹を空かせた野武士もいる。
嵐も吹く。
そんな命懸けの空を、なぜ鳥が飛ぶと思う」
「それは……」
「『家』があるからだ」
弦介の言葉に、統真はハッと息を呑んだ。
「居心地の良い巣があり、
そこに自分を待ってくれる、愛するつがいがいる。
だからこそ、鳥はどれほど遠くへ引き離されようとも、
死に物狂いでここへ帰ろうとするんだ。
恐怖や命令、兵法の規律なんかで鳥は動かん。
『愛の情熱』こそが、あいつらの羽を動かす大本よ。
お前がやるべきは訓練じゃない。
まずは、あいつらが命懸けで帰ってきたくなるような、
戻るべき揺るぎなき塒を仕立てることだ」
戻るべき塒。
統真の頭の中にあった、数式のように鳥を動かそうとする兵法の概念が、
ガラガラと音を立てて崩れ去った。
生き物を動かすのは規律ではない。心なのだ。
「気づかされた……。
私は、なんて傲慢な男だったんだ」
「気づけば上等だ。ほら、突っ立ってんじゃねえ。
時を直すなら、まずは材料集めだ」
「あ、ああ!
何を集めればいい!?」
「城内の廃材だ。
藁でも木屑でも、あいつらが落ち着くものを片っ端から集めるぞ」
それからの数日間、統真と弦介の姿は、
城内のあちこちで見られるようになった。
二人は、壊れた陣屋の端材や、
馬小屋の古い藁、果ては煮炊き場の消し炭まで、
ありとあらゆる廃材を集めて回った。
それはすべて、鳩たちが安心して過ごせる環境づくり
──いわば「鳩の心を調える気配り」のためだった。
「おい、見ろよ。
武功なき辻占の梛木だぞ」
「飢えで頭がいかれたか。
この非常時に、鳥のためにゴミ拾いとはな」
「荒木の偏屈爺さんとお似合いの、鳥の阿呆どもめ」
通りすがる足軽や重臣たちが、
容赦ない嘲笑を投げかけてくる。
城内は飢えと絶望で殺気立っており、鳥のために奔走する二人を、
誰もが「飢えているのに鳥に尽くす阿呆」と蔑んだ。
だが、統真は耳を貸さなかった。
それどころか、背負った籠から零れ落ちそうな藁を抱え直し、
弦介に向かって不敵に笑ってみせた。
「荒木殿、あいつら、言いたい放題ですな」
「気にするな。
あいつらは鳥の温もりも知らん、哀れな骸骨どもだ」
「ふはは、手厳しい。
ですが、この藁の敷き方一つで、鳩たちの鳴き声が変わりました。
本当に、心が調っていくのが分かります」
「おうよ。鳥は正直だ。手をかけた分だけ、必ず応えてくれる」
弦介は、無骨な手で統真の肩を叩いた。
最初の拒絶が嘘のように、その掌は温かかった。
嘲笑に囲まれながらも、
小さな鳩小屋の中だけは、確かな熱が灯っていた。
生き物を育てる者として、
そして、誰も信じない未来を信じる者として、
統真と弦介の間には、奇妙で、
しかし決して切れることのない深い信頼関係が芽生えつつあった。
「よし、梛木。巣箱の具合は完璧だ」
夕暮れ時、新しく作り直された美しい鳩舎を見つめ、
弦介が満足げに呟いた。
「ありがとうございます、荒木殿。
……これで、第一歩ですね」
「ああ。だが、本当の試練はこれからだぞ。
最高の家はできた。
次は、この家からどうやって鳥を外へ連れ出すか、だ」
統真は、夕日に照らされる鳩たちの美しい羽を見つめながら、静かに頷いた。
城を囲む敵の包囲網は、今なお鉄の如く強固である。
だが、彼らの心には、その壁を突き破るための確かな「翼」が、育ち始めていた。
ご覧いただきありがとうございました!
弦介という頑固だけど頼れる職人が仲間になりました。
次回、この鳩たちを敵陣の裏へと運び出す、非常にスリリングな新キャラクターが登場します!




