【第26話:明治維新と新しい風】
第26話です。時代は明治へ!
文明開化の華やかな空気の中、統次郎たちは新政府の
「通信省」設立という国家事業に関わることになります。
新しい時代の始まりです。
「……おいおい、梛木の旦那。
見ろよ、あいつらの頭。
二百六十余年続いた徳川の世が終わった途端に、
チョンマゲを綺麗さっぱり切り落としちまいやがってさ。
妙な黒い筒みたいな帽子に、
仕立てのやたら硬そうな洋服ってやつをまといやがって、
滑稽極まりねえぜ」
常盤橋の大鳩舎の縁側。
すっかり白髪交じりになった無精髭をじりじりと乱暴に掻きながら、
荒木弦蔵が使い古された樫の木の棍棒を、
板床にコツンと乾いた音を立てて突き立てた。
その濁った、しかし獲物を狙う鷹のような鋭い眼光は、
通りを歩く奇妙な姿の男たちを忌々しそうに見つめていた。
「弦蔵、そうへそを曲げるなよ。
あれが新政府の触れ回る『文明開化』というやつだよ。
私たちが守り抜いた江戸の街は、
本当に『東京』へと名を変え、古い世は完全に崩壊したんだね」
老眼鏡の位置を細い指先で静かに直しながら、
机の上に広げられた新政府の太政官布告の書状に視線を落としたのは、
梛木統次郎だった。
かつての気鋭の青年も、いまや激動の波を乗り越え、
老練な年輪を重ねた老兵となっていた。
だが、その瞳の奥に灯る軍配者の光はいささかも衰えてはいない。
「寂しがったり、文句を言ったりしてる暇なんてないわよ、お二人さん。
ほら、見てみなよ、今日の日本橋や常盤橋の凄まじい賑わい。
かつてあたしたちが命を懸けてばら撒いた瓦版の代わりに、
新政府の『新聞』ってやつが、朝から飛ぶように売れてる。
街の有様が一瞬で塗り替えられていくんだから、
うちらもこの新しい風にうまく乗らなきゃ、
あっという間に置いていかれちゃうわ」
白髪をきつめの簪で執念深くまとめ、
不敵にして艶やかな笑みを浮かべた老女
──お夜が、刷り上がったばかりの新しい活版文字の並ぶ新聞を、
統次郎の大福帳の上にバサリと勢いよく広げた。
「──梛木統次郎殿。ならびに荒木殿、お夜殿。
お初殿の血を引く若きお初殿も。お揃いでございますな」
大鳩舎の戸口から、石を叩くような規則正しい硬い靴音とともに
声をかけてきたのは、新政府の駅逓司に籍を置く若き役人たちだった。
チョンマゲのない頭を誇らしげに揺らし、
黒い洋服の胸元を張った彼らの手には、
西欧の進んだ通信制度が記された分厚い書状が抱えられていた。
「……これは、新政府の役人様。
我が常盤橋の古い大鳩舎に、一体いかなる御用でしょうか」
統次郎が老いた体を静かに、しかし凛とした威厳を保ちながら起こし、礼を尽くした。
「梛木殿、お上の新たなる大号令にございます。
我が新日本が欧米の列強に追いつき、対等に渡り合うためには、
諸国を結ぶ新たなる通信の便の整備が、一刻の猶予もございません。
そこで……先の江戸無血開城の折、
地上の道が完全に閉ざされた暗闇のなかで、
勝安房守様と西郷先生の間を天の直路でひと飛びに繋ぎ、
百万の生霊を救ったお主たちのあの驚異的な鳥の伝路の功績が、
新政府の重職たちの間で極めて高く評価されたのです」
若き役人は、統次郎の前に太政官の朱印が押された、
重々しい特大の辞令の書状を恭しく差し出した。
「お主たちの積年の力を借りたい。
新設される『駅逓司』の立ち上げに加わり、その大本の仕掛け作りに、
お主たちが100年守り抜いた鳥調練の知恵を、
新政府に代わって貸してほしいのです」
「……まことか、役人様。お上のために闇を調え、
博打の道具と蔑まれた我が翼を、まことに必要としてくれるのか」
統次郎の老いた声が、微かに、しかし深い感動を孕んで震えた。
「おうよ、まことだ!
旦那、じいさんたちが命懸けで守り抜いたあの翼が、今度は新政府の世の中でも、
堂々たる公なる『天下の伝路』として必要とされてるんだぜ!
ざまを見やがれってんだ!」
弦蔵が、鳥豆の匂いの染みついた汚れた手を叩いて豪快に笑った。
「冗談じゃないよ。
博打の道具だ、汚い鳥汁の具だって衣笠みたいな奴らに
蔑まれていたあの子たちが、新しい日本の仕組みそのものになるなんて……
これ以上の痛快はあるまいね!」
大鳩舎の太い梁の上から、初代お初の面影を色濃く残す孫娘の
若きお初がひらりと一枚の木の葉のように滑り降り、
その瞳を爛々と輝かせた。
「ああ、そうだね。衣笠のような理不尽な奴らが再び現れようとも、
この新しい世の法度が、あいつらの命を、
核心たる我らの伝路を永遠に守ってくれる」
統次郎の瞳には、老境に達してもなお、冷徹なる軍配者の光と、
人と鳥の絆を永劫に守り抜くという、100年の執念の炎が、
変わらず鮮烈に灯り続けていた。地上の理不尽を、彼らはついに完全に超越したのだ。
翌日から、新設された駅逓司の裏舞台で、
血の滲むような新時代の国造りが始まった。
「いいか、新政府の若大将たち!
風の通り道にそんな不格好な鳩小屋を建てちゃダメだ!
北風が直に当たれば、鳥が患うだろうが!
命を預かる気配りってやつを学びな!」
大鳩舎の床下、せっかくの洋服を泥だらけにした
新政府の若き役人たちに向けて、
弦蔵の容赦のない怒号が日々響き渡る。
「荒木先生、この鳥の羽の生え変わりの時期と、
東海道を越える際の寒暖の関係について、もう一度ご教授ください!」
「よく聞け! 初代『疾風』から受け継いだ、
鳥の心を調える気配りの秘訣はな……」
老人となった統次郎と弦蔵は、未来を担う若い役人たちに、
これまでの鳩通信の調練の妙術を、惜しみなく、
一粒残らず教え込んでいった。
一方、お夜は新しい新聞の縦横なる伝路を駆使して、
情報の捌き所を完璧に耕し続けた。
「いいかい、これからの東京の商人はね、
一刻を争う速さが命よ。大坂の直が
その日のうちに正確に届くこの仕組みを、新政府の郵便として、
誰もが使えるように広くお触れを出すのさ」
古い皮を脱ぎ捨て、新しく生まれ変わる日本。
地上の人間たちがチョンマゲを切り落とし、ガス灯を眩しく灯し、
馬車を泥を跳ね上げて走らせている、まさにその真上で。
統次郎たちが100年の執念を懸けて紡ぎ上げた空の伝路は、
新政府の駅逓司の大本の仕組みとして、その不滅の根を、
大地の底にまで完璧に張り巡らせつつあった。
「……すごいね、統次郎さん。あたしたちの創った通信の網の目は、
誰にも引き裂けない、御公儀をも超えた本物になったよ」
夕暮れの赤い光が、新しく整備された大鳩舎の美しい木肌を
染め上げていく。
お夜が、統次郎の隣に静かに並び、眩しい明治の太陽を見上げた。
「ああ。時代がどれほど激動しようとも、
人と鳥が紡ぎ上げた意地と執念は、決して消えることはない。
我らが守り抜くべきこの翼には、大自然の猛威をも、
人間の傲慢をも跳ね返す、不滅の命が宿っているのだからね」
統次郎は、肩の上の灰色の若鳥──
『疾風』の気高き血を引く相棒の頭を、愛おしそうに優しく撫でた。
クックッ、クゥ。若鳥は、主の覚悟を映したかのような
鋭い眼光で高らかに喉を鳴らし、
新時代の東京の広大な空へと力強く、
どこまでも自由に羽ばたいていった。
「見てみなよ、あの子たちの飛び方。
やっぱり100年前の初代の疾風にそっくりだねえ」
お夜が目元に深い皺を寄せ、これ以上ないほど温かい笑顔を見せた。
「ああ。地上の人間たちがどれほど新しい便利な道具を作り出そうとも、
空を駆けるあの純粋な翼を止める術は、
天下の誰一人として持ち合わせていない。
……私たちは、自分たちの愛する鳩たちが、
新政府の世の中でも『大切な翼』として必要され続ける未来を、
今、確かにこの目で見据えているんだ」
統次郎の瞳には、過去の因縁をすべて跳ね返し、
未来の空の伝路を確信する、冷徹にして至高なる軍配者の光が鮮烈に灯り続けていた。
古い世が終わり、新しい日本の幕が開けるその真上で。
100年の絆を抱いた空の伝路は、新しき世の、
明治の泰平の空を支える「偉大なる翼」として、
いま、最高の、そして不滅の第一歩を、どこまでも美しく踏み出すのだった。
武士の世が終わっても、統次郎たちの技術は必要とされています。
しかし、文明開化は同時に「最大のライバル」を連れてきます。
次回、町中にあの「柱」が立ち並ばれます。




