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『通信の鳩、食料の鳩 〜戦国の兵糧から米相場、大正の災害まで。鳥の「愛」とフンで日本を救った4代の歴史〜』  作者: 塩塚 蘭仮名


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【第27話:電信柱の登場】

第27話をお届けします。文明開化の光と影。

最新技術「有線電信」の登場により、鳩たちは三度目の不要論に晒されます。

デジタルに対するアナログの危機の到来です。

「……ふん、妙な丸太が街中ににょきにょきと生えやがったな。

まるでおおがかりな鳥罠(とりわな)だぜ、梛木の旦那。

見ているだけで胸クソが悪くなってきやがる」


 常盤橋の大鳩舎の縁側。

すっかり白髪交じりになった無精髭を乱暴にかきながら、

荒木弦蔵が使い古された樫の木の棍棒を、

板床にコツンと乾いた音を立てて突き立てた。


その濁った、しかし鋭い眼光は、

青く晴れ渡った東京の空を遮るように立ち並ぶ、

無数の巨大な木柱を見つめていた。


新しき世の象徴とされるそれが、

彼には一族の絆を切り裂く不気味な牙に見えていた。


「弦蔵、そう睨みつけるなよ。

あれが新政府が息を弾ませて進める開化の世の象徴として、

大々的に触れ回っている『電信柱』というやつだよ。


無数の黒い電線が、まるで巨大な蜘蛛の巣のように、

この東京の空を隅々まで覆い尽くしつつあるんだ」


 老眼鏡を細い指先で押し上げ、

深く、重い溜息を漏らしたのは、梛木統次郎だった。


かつての鋭い気鋭の若者も、いまや老練な年輪を重ね、

時代の激変のなかで一族の行く末を静かに見据える老兵となっていた。

だが、その瞳の奥に宿る軍配者の光は、少しも衰えてはいなかった。


「本当に驚いたねえ。

あの細い黒い線の中を、目を目ぬ電気とやらが走って、

大坂の直(ねだん)を一瞬にして伝えるんだってさ。


新聞の記者たちも、

こぞってあの洋風のからくりを神様みたいに崇め奉ってるよ。

かつてあたしたちの鳥が命懸けで運んだ真実を、

ただの鉄の線が横取りしていくんだから、

おかしな世の中になったもんだわ」


 白髪をきつめの簪(かんざし)で執念深くまとめ、

袂から新しく刷り上がったばかりの新聞を取り出したのは、

老女となったお夜だった。


その瞳には、かつて江戸の庶民を

完璧に味方につけた時代の流行を見極める、

深い知恵が宿っている。


「──梛木統次郎殿。ならびに荒木殿、お夜殿。

お揃いでございますな。

本日を以て、駅逓司におけるお主たちの役目はすべて終わりでございます」


 規則正しい、石を叩くような硬い靴音とともに

大鳩舎へ踏み込んってきたのは、黒い洋服の胸元を張り、

チョンマゲを落とした頭を誇らしげに揺らす、

新政府の若き役人たちだった。

その手には、西欧の通信制度が記された冷たい書類が握られている。


「……これは、役人様。我が一族の伝路に、

何か不手際でもございましたでしょうか。

我が鳩たちは、今日も一分の狂いもなく大坂からの報せを繋いでおりますが」


 統次郎が老いた体を静かに震わせ、静かに問いかけた。

その立ち姿には、二百六十余年の歴史を背負った一族の、

凛とした威厳が満ち満ちていた。


「不手際? いや、そうではない。時代が変わったのです、梛木殿。

これからは電気の時代だ。

電気を以て文字の信号を伝える電信という洋の妙術の前に、

お主たちの鳥など、もはや過去の遺物。


わざわざ餌を食わせ、小屋を調え、

調練に何ヶ月も費やすような古臭い仕組みなど、

新しい日本には不要なのです。

これからはすべて、あの蜘蛛の巣が万事を片付ける」


 若い役人は、手にした西欧のからくりの図面を

机に叩きつけるようにして、薄笑いを浮かべた。

その傲慢な態度には、生身の命への敬意など微塵もなかった。


「お主たちが先の無血開城で密偵(みってい)の目を盗み、

手柄を立てたことは認めましょう。

新政府の直属の指図役とするという布告もありましたな。


だが、生身の獣には限界がある。鳥の時代は完全に終わったのです。

これからは、この電線が天下の命脈を握る。

お主たちの鳩は、一羽残らずこの常盤橋から退去していただく」


「何だと、てめえ……!

俺たちの鳥を、また無駄飯食い呼ばわりするか!

じいさんたちの遺産を、過去の遺物だと!」


 弦蔵が激昂し、樫の木の棍棒を拳が白くなるほど

強く握りしめて役人に一歩詰め寄った。

その体から放たれる凄まじい威圧感に、

役人たちが一瞬、怯えたように身を引く。


「弦蔵、やめろ。それ以上は不調法になる」


 統次郎がその細い手を静かに伸ばし、弦蔵の頑強な腕を遮った。


「しかし、旦那! こいつら、何も分かっちゃいねえ!

じいさんたちが大嵐のなかを100年守り抜いたこの命を、

ただの紙切れみたいに扱いやがって……!

おれは納得がいかねえ!」


「いいのです、弦蔵。

……役人様、お上の仰せ、しかと承りました。

私たちはいつでも、この住み慣れた常盤橋を去る用意がございます。

天の広さを知らぬ者に、何を言っても詮無きこと」


 統次郎は、役人たちに向かって静かに一礼した。

その目は冷徹にして、どこか哀れみの光を帯びていた。


「ふん、物分かりが良くて助かる。

これからは、泰西の新たなる利器こそがこの国の基盤だ。

古き習わしにしがみつく老兵の出る幕など、どこにもないのだよ」


 若き役人たちは、せせら笑いながら大鳩舎を去っていった。

その傲慢な背中を見送りながら、お初の面影を色濃く残す

孫娘の若きお初が、梁の上からひらりと音もなく床へと滑り降りてきた。


「……統次郎さん。

あの堅物ども、本当に空の広さを何も分かってないね。

うちらの鳥が、どれほど凄まじい嵐を越えて、

地上の理不尽を跳ね返してきたか、綺麗さっぱり忘れちゃったんだ。

人間って、本当に愚かだね」


 お初の瞳には、悔し涙の代わりに、

かつての忍びのような鋭い怒りの炎が宿っていた。


「周囲がどれほどあの蜘蛛の巣に熱狂し、

私たちを時代遅れと見下そうとも、関係ないさ。

世の流行など、一瞬で移り変わるものだ」


 統次郎は歩み寄り、縁側の隅で、

寂しげに空の電線を見つめていた一羽の灰色の若鳥──

初代『疾風(ハヤテ)』の気高き血を最も濃く継いだ相棒を、

両手で優しく抱きかかえた。鳥の温もりが、

統次郎の老いた指先にじんわりと伝わる。


「……疾風。お前も、あの黒い線が邪魔かい。

天の直路(ひたみち)が汚されて、悲しいかい」


 クックッ、クゥ。若鳥は、統次郎の老いた指先をそっと突つき、

誇らしげに喉を鳴らした。

その黒い瞳の奥には、かつて戦国の不条理を跳ね返した先祖と同じ、

圧倒的な気高き光が宿っている。


「旦那、おれは本当に悔しいぜ。

戦が終われば用済み、糞を漏らせば不浄の災い、

放置すれば今度は電気のからくりに居場所をすべて奪われる。


なぜ、この国の人間の偉い奴らは、

いつも喉元を過ぎれば鳥の恩を忘れちまうんだ。

鳥汁にしようとした衣笠と、あいつらは何も変わらねえ!」


 弦蔵が、棍棒を床に叩きつけながら、

悔し涙を流して男泣きに暮れた。

その大きな背中が、激しく震えていた。


「弦蔵さん、泣くんじゃないよ。

意地を見せるのは、今じゃないわ」


 お夜が、弦蔵の大きな背中にそっと、優しく手を置いた。


「人はね、目に見える便利な仕組みができると、

すぐに生身の生き物の力を、その本当の恐ろしさを忘れるものさ。


戦国の時も、江戸中期の時もそうだったじゃないの。

……だけどね、統次郎さん。あたしは信じてるわ。

あの蜘蛛の巣がどれだけ東京を覆おうとも、本当の危急の時に、

天下を救うのはいつだって、この子たちの翼だってことをね。

機械には血が通っていないもの」


「ああ、その通りだ、お夜」


 統次郎は、腕の中の疾風の確かな温もりを噛みしめながら、

静かに、しかし地を走るような重みを持って呟いた。

その声には、100年の執念が凝縮されていた。


「泰西の理学がどれほど万事を理詰めのなかに閉じ込めようとも、

大自然の猛威を前にすれば、

あの細い鉄の線など一瞬で引き裂かれ、ただの無力な金屑に変わる。


その時こそ、先祖統真様から100年紡いできた、

この血の通う純粋な生き物たちの力が、

三度(みたび)天下に必要とされるはずだ。

我らは、その瞬間のために命を繋ぐんだよ」


 夕日に赤く照らされる東京の空。新しく立ち並んだ電信柱の影が、

大鳩舎の板床に長く、冷たく伸びていく。

地上の人間たちが、チョンマゲを切り落とし、慣れぬ洋服を着て、

新たなる時代の利器に浮き足立っている、まさにその真下で。


 梛木統次郎たちは、静かに、そして完璧に、

次なる世の足音を聴き取ろうとしていた。


周囲から過去の遺物と見下され、常盤橋を追われようとも、

人と鳥の絆の伝路は、100年の執念を秘めたまま、歴史の裏側で、

来るべき最大最後の逆転の奇跡の瞬間へ向けて、静かに、

しかし力強く、その爪を研ぎ澄まし始めるのであった。

電気の速度には流石の鳩も敵わないのか?

しかし、統次郎たち老兵の目は死んでいません。

次回、第2章の完結。来たるべき危機の時代への「誓い」の物語です。

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