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『通信の鳩、食料の鳩 〜戦国の兵糧から米相場、大正の災害まで。鳥の「愛」とフンで日本を救った4代の歴史〜』  作者: 塩塚 蘭仮名


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【第21話:農政革新と飢饉の阻止】

第21話をお届けします。

冷害に苦しむ農村を救うため、統次郎の「鳩糞肥料」が火を噴きます。

圧倒的な収穫量アップで、国を飢饉から救う爽快な内政劇です。

「これ以上、冷害が続けば、この村は全滅だ。

秋の収穫など、逆立ちしても望めねえ……」


 江戸近郊の葛飾の農村。

ひび割れた冷たい土の上にへたり込んだ老農夫が、

泥にまみれた手で顔を覆って、絞り出すような絶望の声を漏らした。

その声は、重く湿った地面に吸い込まれていくようだった。


「……おい、お国。

泣いている暇があったら、一株でも多く藁を被せてやれ。


お上の役人が見回りに来る前に、少しでも見栄えを良くしておかねえと、

また何を言われるか分からねえぞ」


 隣の畑から、若い百姓が今にも倒れそうな声を振り絞り、

黄ばんだ稲株に泥をかぶせていた。


天を仰げば、初夏だというのに晩秋のような冷たい北風が

ヒューヒューと不気味に吹きすさび、灰色の分厚い雲が、

まるで見せしめのように低く重く垂れ込めていた。


長引くおびたたしい冷害。

青田であるはずの稲穂はことごとく枯れ果て、

このままでは誰もが飢え死にする未曾有の飢饉が、

すぐそこまで牙を剥いて迫っていた。


「……浅野殿、

これが私が調え上げた、鳩の糞を独自の火加減で調合した

『鳩糞肥料』にございます。


これを使えば、冷害に凍える大根も、

死にかけた稲も、必ずや息を吹き返すはずです」


 同じ刻限、村の外れに佇む質素な陣屋の一室。

梛木統次郎は、手元に広げた農政の帳面を前にして、


農林方の役人である浅野に真っ直ぐな視線を向け、強く詰め寄っていた。

行灯の火が、統次郎の頑なな横顔を赤く染めている。


「梛木、お主は正気か?

鳥の糞ごときを撒いて、この天下の天災に打ち勝とうなどと……。

そんな突飛な戯言、お上への申し開きが立つわけがなかろう。


老中・衣笠様からも、不浄な鳥どもは処分せよとの御触れが出ているのだぞ。

これ以上おかしな真似をして、お主自身の身分を危うくするつもりか」


 浅野は心底呆れ果てた顔で、

統次郎が差し出した白い粉の入った麻袋を指先で軽く弾いた。


「浅野殿、

綺麗事やこれまでの古き習わし、四角四面な理屈では、

この冷害による大不作は絶対に救えません!


すでに駿河や伊豆の金肥(かなごえ)は高騰し、

百姓たちは土を肥やす術を失って、ただ餓死を待つのみなのです。


もはや失うものは何もありません。

最も冷害の被害が深刻な、あの誰もが見捨てた痩せた畑を私に預けてください。

試みをする価値は、十分にございます」


 統次郎の瞳には、先祖統真から受け継いだ冷徹なる軍配者の光と、

目の前で死にゆく民草を何としても救わんとする、

凄まじい熱量が宿っていた。

その気迫に気圧された浅野は、しばらく沈黙したのち、苦渋の決断を下した。


「……ふん、そこまで言うなら好きにせよ。

ただし、結果が出ねばお主自身の職分もこれまでと思え。

お上がただちに常盤橋へ向かうぞ」


 ついに、小さな翼の生んだ『白い黄金』が、

凍える大地へと投入されることとなった。


「おいおい、梛木の旦那!

本当にこんな泥だらけの冷たい畑で、俺たちの鳥の価値が証明できるのかよ。

役人どもが鼻で笑ってやがるぜ」


 白い粉の袋を背中に担いだ荒木弦蔵が、

無精髭をじりじりと掻きながら、怪訝そうに統次郎を見た。


「弦蔵, 鳥の温もりを知らぬ奴らに、大地の有様は変えられない。

先祖の書き付けにあった通り、この糞には大根や稲の芯を温め、

劇的に実らせる極上の滋養が眠っているんだ。さあ、撒くんだ」


「何だ、ありゃ……。

お上の勘定方の役人が、鳥の糞を畑に撒いてるぞ。

飢えで気でも狂ったか」


 遠巻きに見ていた農民たちは、半信半疑どころか、哀れみの目を向けていた。

だが、統次郎たちは泥にまみれ、ただひたすらに、

一粒残らず白い粉を痩せた土壌へと馴染ませていった。


鳥の命を信じる者の、それは泥臭い戦いだった。

 ひと月後。葛飾の村に、文字通りの『奇跡』が舞い降りた。


「おい……嘘だろ……。

これ、本当にうちの、あの死にかけてた畑かよ……!」


 若い百姓が、青々と力強く育ち、天に向かって誇らしげに

葉を広げる稲株を前にして、腰を抜かしたようにその場に座り込んだ。


 周りの畑が冷害によって黄色く萎び、枯れ果てていく中、

統次郎の肥料を撒いた畑だけは、冷たい北風を跳ね返すかのように、

見事な、おびたただしい実りを迎えていた。


大根は地面から溢れんばかりに丸々と太り、稲穂は黄金色の頭を垂れ、

その収穫量は例年の数倍という、

誰も見たことのない劇的な記録を叩き出したのだ。


「神様だ……!

お空の神様が、俺たちを見捨てずに救ってくれたんだ!」


 老農夫が涙をボロボロと流し、筵(むしろ)に額を擦りつけるようにして

統次郎の手を強く握りしめ、村中に歓喜の叫びが響き渡った。


お夜が裏で仕込んでいた「お鳥様の功徳」を伝える瓦版も手伝い、

百姓たちの間で鳩は一瞬にして救世主となった。


この驚異的な成果により、迫り来ていた大規模な飢饉は見事に阻止され、

多くの農民の命が救われたのである。


「浅野殿、これが見回りの帳面にございます。

ご確認ください」


 江戸城の勘定所。

統次郎が差し出した驚異的な収穫の報告書を前に、

浅野だけでなく、居並ぶ勘定方の役人たちが一斉にどよめいた。


「素晴らしい……。

梛木統次郎、お主は我が御公儀の農政を根底から立て直した、大功労者だ!

直ちに勘定組頭へと昇進させ、お上の直属の指図役とする!」


「恐れ入ります。

すべては、先祖から繋いだ翼のおかげにございます」


 統次郎は静かに一礼した。

これにより、鳩はもはや最速の情報を運ぶ「通信」の道具としてだけでなく、

国の基盤である「農業の救世主」として、

天下無双の地位を完璧に揺るぎないものとした。


「おのれ、梛木の小倅め……!

鳥の糞ごときで、ここまで天下の大出世を果たすとは……!」


 江戸城の御用部屋。

老中・衣笠は、届けられた統次郎の昇進の書状を拳の中で

怒りに任せて握りつぶし、

苦虫を噛み潰したような顔で畳を睨みつけていた。


「衣笠様、いかがいたしますか。

再び常盤橋の大鳩舎に難癖をつけ、役人を差し向けて処分を……」


 近習の青ざめた問いに、衣笠は冷酷な声を絞り出すことすらできなかった。

その小手が、ガタガタと激しく震えている。


「馬鹿者が!

いま、あの鳥に手を出してみろ!

命を救われた何万の百姓どもが、一斉に一揆を起こしてこの江戸城へ押し寄せるわ!


くそ、これではこちらの面目が完全に丸潰れではないか……。

梛木め、どこまでおれを虚仮(こけ)にすれば気が済むのだ」


 世間の評判だけでなく、幕府内部の農政方までもが完全に統次郎の味方となり、

衣笠がどれほど裏で嫌がらせをしようとも、

誰も統次郎の鳩に手を出せない、完璧な環境が整ったのだった。


衣笠の放った大義名分という刃は、完全にへし折られた。

 常盤橋の大鳩舎の縁側で、統次郎は肩の上の灰色の若鳥──

疾風二世の頭を愛おしそうに優しく撫でた。


「やったね、統次郎さん。

あたしの仕掛けた瓦版も、今度は『畑の守り神』として大繁盛よ。

日本橋の大棚からも、肥料を分けてくれって注文が殺到してるわ」


 お夜が、新しく刷り上がったばかりの鳩の絵が入った和紙を広げて、

これ以上ないほど温かい笑顔を見せた。


「ああ。村のあちこちに、鳩を祀る小さな祠が建てられたと聞いたよ。

先祖の守りぬいた命が、本当に日の下を救ったんだね」


 お初が、梁の上で足をぶらぶらと揺らしながら不敵に微笑む。

その手には、もう抜かれることのない小刀が静かに収まっていた。


「おうよ!

これでもう、あの無粋なドケチ老中も鳥汁なんて寝言は言えねえな!

ざまを見やがれってんだ!」


 弦蔵が豪快に笑い、特製の鳥豆の袋を統次郎に手渡した。

 夕日に照らされる江戸の広大な空を、無数の灰色の影が、

美しい螺旋を描いて力強く、どこまでも自由に羽ばたいていた。


「……だが、みんな、世界は常に移り変わる。

我らが手に入れたこの大成功を、裏で逆恨みし、

暗闇のなかで牙を研いでいる者たちが、必ずいるはずだ。地上の闇は深い」


 統次郎の瞳には、飢饉を阻止した栄誉に溺れることなく、

次なる世の不穏な足音を誰よりも正確に聴き取ろうとする、

冷徹な軍配者の光が、変わらず鮮烈に灯り続けていた。


泰平の世の穏やかな風のなか、人と鳥の絆の伝路は、

大地の底にまでその不滅の根を、完璧に張り巡らせていくのだった。

農民たちの笑顔が眩しい!

鳩が「通信」と「農業」の両方で神格化されました。

しかし、利権を奪われた者たちの恨みは深く……次回、悪徳業者が夜襲を仕掛けてきます!

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