【第20話:白い黄金「グアノ」の発見】
第20話です。
ブームの裏で起きた糞害というリアルな問題。
しかし統次郎は、先祖のメモからそれを「最高の宝」に変える錬金術を思いつきます。
内政無双の始まりです。
「……おい、梛木。
常盤橋の袂が、えらい有様になってるぜ。
町方からの苦情の山で、勘定所の机が埋まりそうだ」
江戸城の勘定所。
引き継ぎの帳面をこれみよがしにバサリと広げた同僚の長谷川が、
心底うんざりした顔で梛木統次郎に声をかけた。
その声は低かったが、周囲の役人たちの視線を集めるには十分な重みを持っていた。
「長谷川殿、一体何が起きたというのですか。
私の大鳩舎に何か不手際でも?」
「何が、ではない!
お主らの仕掛けたあの空前の鳩大はやりのせいだ!
町中で飼育される鳩が爆発的に増えたのはいいが、
今度はその大量の餌代で日本橋の大棚の財布が悲鳴を上げている。
それだけならまだしも、あの白くへばりつく、深刻な糞害を見よ!
日本橋の通りから常盤橋の城門にいたるまで、
おびたただしい糞の山で見上げるような有様だぞ。
そこら中の町人や家主からお上へ、毎日毎日、臭くて敵わん、
身動きが取れんと苦情が相次いでおるのだよ」
統次郎は、手元に広げた数高帳をじっと見つめながら、
静かに、しかし激しい悔しさのあまり唇を強く噛みしめた。
地上の人々を完璧に味方につけたはずのお夜の『評判の仕掛け』が、
まさかこのような形で仇となり、
お上に付け入る隙を与えることになるとは、
いささか思いもよらぬ不覚の展開であった。
「ハハハ! 見たか!
これぞ天罰、不浄なる獣を囲うた因果応報というものよ!」
江戸城の御用部屋。
老中・衣笠は、机の上に山積みにされた町方からの苦情の書状を乱暴に放り出し、
冷酷な笑みを浮かべながら居並ぶ近習たちを見渡した。
その双眸には、先の最速勝負で味わった大恥を雪ぐ好機を得た、
獰猛な光がぎらぎらと燃え盛っていた。
「梛木の小倅め、
瓦版で民草をどれほど上手く騙せても、
この不浄な糞害という厳然たる不始末までは隠せまい。
町を汚し、公儀の威信を損なう妖鳥どもなど、
今度こそ一羽残らず根滅やしにしてくれるわ。
これを天の与えた好機と捉え、直ちに常盤橋の大鳩舎を排除し、
一族を処罰する仕組みを完璧に整えよ!」
衣笠の瞳には、かつて100年前の先祖が味わった失脚の屈辱を晴らすべく、
底知れぬ執念の火種が再び苛烈に燃え上がっていた。
お上の「大義名分」という最も恐ろしい牙が、
常盤橋へ向けて静かに剥かれようとしていた。
「統次郎、ごめんよ……。
あたしの瓦版が盛り上げすぎたせいで、
江戸中の商人が競って鳩を飼い始めて、
こんな一大事になっちゃうなんて……。
あたしのせいで、また鳥たちが……」
常盤橋の大鳩舎。お夜が刷りかけの和紙を胸に強く抱きかかえたまま、
今にも泣き出しそうな、悔しさに震える顔で統次郎の前に立ち尽くしていた。
「いや、お夜のせいじゃない。
数が増えればいずれ直面する、
これは我らの見通しの甘さが招いた境だ。
自分を責めるな」
「だけどさ、統次郎さん!
言い訳してる場合じゃないよ!
衣笠の息の掛かった町方の役人どもが、
もうそこらの角まで迫ってきてるんだよ!
糞を撒き散らす有害な獣は処分するって、
大義名分を得たあのドケチ老中、
今度はまことの力尽くでここを取り潰しに来るよ!」
お初が、梁の上からしなやかに床へと降り立ち、
小刀をきつめの音を立てて鞘に収めながら、
焦りの声を鳩舎の梁に響かせる。
「梛木の旦那、おれが我が子のように育ててきた可愛い鳥どもを、
本当に守りきれねえのかよ……。
毎日毎日、手が擦り切れるまで床を磨いても磨いても、
白い糞の山がうず高く積もっていく。
これじゃあ、お役人が踏み込んできた時に何の言い開きもできねえ……」
頑強な体躯の荒木弦蔵までもが、
鳥豆の袋を白くなるほど強く握りしめたまま、
無精髭の混じった顔を激しく歪めて床を睨みつけていた。
一族未曾有の危急。
だが、統次郎は絶望に沈むことなく、
先祖の遺した埃っぽい古い書き付けの束の前に座り込み、
必死に指先を動かして紙切れをめくり続けた。
「……何かあるはずだ。
先祖の統真様が、ただ鳥を飛ばすだけのために、
あの過酷な戦国を生き抜いたはずがない。
鳥のすべてを、愛しておられたはずだ」
統次郎は、100年前の戦火の匂いが残る巻物の、
一番端の、擦り切れた隅の頁に目を留めた。
そこには、細筆で走り書きされた、
実にもつれた奇妙な一文が残されていた。
『鳥の糞、ただの不浄にあらず。
時に、土を肥やす無上の力あり。
作物の芯を温める極上の滋養なり』
「土を、肥やす……?
不浄の塊が、大地を潤すというのか」
統次郎の目が、その一文に鋭く反応した。
頭の中で、江戸近郊の農村の困窮と、
目の前の白い山が一本の天の直路として繋がったのだ。
「おい、弦蔵! すぐに来てくれ!
大鳩舎の底に溜まった、
あの大量の白い糞を、一粒残らず木桶に回収するんだ!」
「はあ!?
旦那、何狂ったこと言ってんだよ!
お上の役人が刀を鳴らして来るって時に、
糞掃除なんてのんびりしてる場合かよ!」
「いいから急ぐんだ、弦蔵!
この不浄の災いであり、誰もが忌み嫌った不浄を、
天下を覆す最大の仕掛けに変える!」
統次郎は弦蔵を伴い、悪臭の立ち込める鳩舎の床下へ潜り込み、
独自の工夫による調合を始めた。
糞を乾燥させ、特定の火加減で煎じ、
細かく砕いて純白の粉末へと仕上げていく。
「統次郎さん、まことかい……。
この怪しい白い粉が、
あの高価な金肥の代わりになるなんて、
とても信じられないわ」
お夜が、恐る恐る乾燥させた白い粉の入った袋を覗き込んだ。
「ああ。当家の帳面を調べたが、
今、江戸近郊の百姓たちは干鰯などの肥料の高騰で、
田畑を潤す術を失い、飢えに震えている。
だが、この鳩の糞を独自の火加減で乾燥させ、
使いやすく加工したこの粉には、
豊富な『極上の滋養』が含まれていることが判明したんだ。
海外の古い記録にもこれに似た話がある」
「極上の滋養、ねえ……。
つまりね、これがあれば作物が爆発的に育つってことかい?」
お初が梁から身を乗り出し、目を輝かせた。
「さよう。
これこそが、海外の歴史の記録において
『白い黄金』と呼ばれる天然肥料、
すなわち異国の白い黄金だ。
ただのゴミであり、誰もが忌み嫌った不浄の塊だった鳩の糞が、
天下の農業を救う本物の『価値』に生まれ変わるんだよ。
衣笠の鼻をあかす材料は揃った」
「やったぜ、旦那!」
弦蔵が、汚れた手を叩いて豪快に笑った。
その顔にはいつもの頑固な自信が戻っていた。
「俺たちの鳥が、無駄飯を食うどころか、
飯を生み出す神の翼になるってわけだな!
よし、お夜ちゃん、
すぐにこの『鳩糞肥料』の凄さを伝える瓦版を仕込むぞ!」
「任せときなさいな!
江戸中の百姓たちが腰を抜かすような、最高の評判を届けてあげるわ!」
平和な、しかしそれ故に伝統と理詰めのなかに閉じこもった江戸の中期。
お上の権威を以て梛木家を圧殺せんとする衣笠に対し、
統次郎たちは、目に見えぬ空の伝路から、
今度は地上の大地を豊かにする逆転の計略を、完璧に創り上げたのである。
「衣笠様、常盤橋の梛木より、至急の申し開きがございますと、
直々の書状が届いております」
江戸城の御用部屋。
近習の言葉に、衣笠は苦虫を噛み潰したような顔で鼻で笑った。
「ふん、命乞いか。
糞害の言い訳など、聞く耳は持たん。
直ちに役人を差し向けて大鳩舎を叩き潰せ」
「それが……梛木は命乞いではなく、
この糞を以て、我が御公儀の直面する深刻な大不作を救う、
画期的な『農政の仕掛け』を献上すると申しておりまして……。
すでに農政方の役人も、その劇的な効能に驚愕しております」
「何だと……!? 鳥の糞が、農政を救うだと……!?」
衣笠の顔から、一瞬にして冷酷な余裕が消え去り、
小手がガタガタと震え始めた。
手元に届けられた統次郎の報告書には、
ただの博打の道具と蔑まれた鳥たちが、日の下一の肥料を生み出す、
国家の基盤を揺るがすほどの重き価値が、克明に記されていた。
常盤橋の大鳩舎の縁側で、統次郎は肩の上の若鳥──疾風二世の頭を優しく撫でた。
「お夜、お前のおかげで、また一歩先へ進めたよ。
命が繋がった」
「あたしはね、統次郎さん、
あんたたちの創る新しい江戸が、ただ見たかっただけ。
ねえ、見てみなよ、あの空を」
お夜が指差した先、夕日に照らされる江戸の広大な空を、
無数の灰色の影が、美しい螺旋を描いて力強く、
どこまでも自由に羽ばたいていた。
「ああ。
衣笠がどれほど嫌がらせをしようとも、もう手出しはできない。
この鳥たちは最速の情報を運ぶ通信だけでなく、
大地の守り神として、歴史の礎にその名を深く刻んだのだから」
統次郎の瞳には、冷徹な軍配者の光と、
人と鳥の絆を永劫に守り抜くという、100年の執念の炎が、
変わらず鮮烈に灯り続けていた。
人と鳥の絆は、大地の底にまでその不滅の根を、完璧に張り巡らせていくのだった。
ゴミを資源に変える、これぞエコでスマートな内政改革!
次回、この肥料が日本の農業、そして飢饉にあえぐ小村を救う感動のエピソードへと繋がります。




