【第19話:お夜のブランディング作戦】
第19話です。
今回は情報戦の真骨頂、現代で言う「SNSマーケティング」をお夜が江戸時代に仕掛けます。
鳩をアイドルのように扱い、お上を牽制する作戦です。
「非公認の怪しい鳥など、お上の胸三寸でいつでも処分できるのだ。
今回は、たまたま鷹に食われなんだだけのこと。
次はないと思え」
江戸城の御用部屋。
老中・衣笠は、冷徹な目をいささかも揺らすことなく、
梛木統次郎を冷ややかに見下ろした。
その双眸には、先の最速勝負で味わった大恥を力尽くで揉み消そうとする、
理不尽な権力者の驕りがぎらぎらと宿っていた。
「衣笠様、
我が一族の伝路は、神君家康公より裁許状を賜った公なる──」
「黙れ。
そのような古い紙切れ、今の世に何の意味がある。
商人の不義なる博打の道具を擁護せねばならぬほど、
御公儀は落ちぶれてはおらん。下がれ」
言い捨てる衣笠の言葉には、
飛脚に圧勝した事実をも力尽くで握りつぶそうとする、
不条理な権力の冷酷さが満ちていた。
公儀の面目という壁が、統次郎の前に立ちふさがっていた。
「……あの分からず屋のドケチ老中、どこまで強情なんだい!」
常盤橋の袂にある大鳩舎に戻るなり、
お初が小刀を机にきつめの音を立てて突き立て、
隠密の血に流れる怒りを爆発させた。
「お初、落ち着け。
衣笠の言う通り、お上が『非公認の妖鳥』と言い張れば、
力を持たない我らはいつでも踏みつぶされる。
あの男は、最初から四角四面な理屈で動いていないんだ」
統次郎は、机の上に広げた古い血統図を見つめながら、
悔しさに唇を強く噛みしめた。
「だったらさ、
理屈じゃない方法で、あの老中の鼻をへし折ってやればいいじゃないの」
部屋の障子を勢いよく開けて入ってきたのは、
刷り上がったばかりの和紙を小脇に抱えたお夜だった。
その瞳には、江戸の街を昼夜問わず駆け回る瓦版屋の娘らしい、
不敵な輝きが満ちている。
「お夜か。
理屈じゃない方法とは、一体どういうことだ」
「簡単よ、統次郎さん。
ただ『速い』ってだけじゃ、お偉い方々は認めない。
だったらね、『江戸の庶民全員を、この鳥たちの味方につける』のよ」
「庶民を、味方に……?」
大鳩舎の奥から荒木弦蔵が顔を出し、
不思議そうに無精髭の混じった頭を掻いた。
「おいおい、お夜ちゃん。
江戸の町人がいくら騒いだところで、
お上の御触れ書き一枚で鳥どもは鍋の具だぜ。
どうやって味方にするってんだよ」
「そこは、あたしの瓦版の出番よ!
いい、弦蔵さん。
人はね、ただの事実には金を払わない。
だけど、『涙と笑いの物語』には、命がけで飛びつく生き物なのよ」
お夜は、統次郎の前に一枚の真っ白な和紙を広げ、
墨のたっぷりついた筆を握り直した。
「疾風二世がどれほど主人の統次郎さんを愛しているか。
大坂の厳しい空で、どれほど恐ろしい鷹や隼に襲われ、
大雨に羽を濡らしながらも、ただ一途に江戸を目指して戻ってきたか……。
その健気な姿を、面白おかしく劇化して江戸中にばら撒くの!」
「お、お夜、それはあまりに誇張が過ぎるのでは……」
統次郎が気圧されたように声をすぼめる。
「誇張じゃないわよ、商売の知恵!
名付けて『お鳥様の健気な大冒険・江戸恋しや百里の空』!
これで江戸中の涙を絞り取ってあげるわ!」
お夜の筆は、恐ろしいほどの速さで和紙の上を躍り始めた。
江戸前の気風が、白い紙をまたたく間に黒く染めていく。
数日後、江戸の街は一変した。
「さあさあ、お立ち会い!
日本橋の商人も涙した、常盤橋の『お鳥様』の感動物語だよ!
大坂の鬼瓦のような鷹の襲撃を交わし、
愛する主人のために命を懸けて翔け抜けた、健気な灰色の翼!
読まなきゃ江戸の男がすたるよ!」
お夜の仕掛けた瓦版は、文字通り江戸中で空前の大ヒットを記録した。
「おい、聞いたか?
梛木様とこのお鳥様、大坂の空で片羽を傷つけながらも、
主人の形見の文を守り抜いて飛んできたんだってよ……」
「なんて健気なんだ。
それに比べて、お上の役人どもは、あんなに偉いお鳥様を
汁の具にしようとしてるんだろ?
人間の風上にも置けねえや!」
日本橋の魚河岸から、大棚の奥座敷、長屋の裏井戸に至るまで、
江戸中の人々が疾風二世の物語に涙し、笑い、熱狂した。
評判の仕掛けの勢いは、もはや誰にも止められなかった。
町中には、疾風二世を模した伝書鳩の絵が溢れ返り、
手習い所の子供たちは、鳩を応援する歌を自作して通りを練り歩くようになった。
「お鳥様をいじめる悪いねずみは、お空の神様がお仕置きするぞ!」
子供たちの無邪気な歌声が、江戸城の城門を越えて響き渡る。
「……統次郎さん、見たかい。これが『評判』の力だよ」
大鳩舎の縁側で、お夜が満足そうに腕を組んだ。
「ああ、驚いた。まさか、ここまで世間の評判が鳩の味方になるとは……」
統次郎の肩の上で、疾風二世がクックッ、と誇らしげに喉を鳴らす。
「これじゃあ、お上の役人も安易に手を出せないね」
お初が、小刀で爪をいじりながら不敵に笑った。
「そうよ。
もし今、衣笠がこの鳥たちを一羽でも殺してみなさいな。
江戸中の町人が黙ってないわ。
最悪、打ちこわしが起きかねないもの。お上だって、御府内の騒動が一番怖いんだから」
その言葉通り、江戸城の御用部屋では、老中・衣笠が届けられた瓦版を握りつぶし、苦虫を噛み潰したような顔で畳を睨みつけていた。
「おのれ、梛木の小倅め……。
瓦版ごときで民草を動かし、公儀を脅かすとは、いささか卑しき仕業。
……だが、これほど世が騒いでしまっては、下手に動けばこちらの面目が丸潰れか」
衣笠は、忌々しそうに拳を机に叩きつけた。
「衣笠様、いかがいたしますか。
常盤橋へ役人を差し向けますか」
近習の問いに、衣笠は冷酷な声を絞り出した。
「いや、今は待て。
民草の熱など、喉元を過ぎればすぐに冷める。
……必ず、あの鳥どもの致命的な『弱点』を見つけ出し、
今度こそ根絶やしにしてくれるわ」
夕暮れの光が、常盤橋の大鳩舎を美しく染め上げていく。
統次郎は、集まってきた多くの鳩たちの羽をそっと撫でた。
「お夜、お前のおかげで、ひとまずこの子たちの命は救われた。本当に感謝する」
「お礼なんていいわよ、統次郎さん。
あたしは、面白い江戸が見たいだけ。
地上の古い道しか見えない堅物どもに、空の広さを教えてあげたかったのよ」
お夜は、夕日に輝く空を見上げて悪戯っぽく笑った。
「だが、弦蔵。
鳥たちの数が増えれば、それだけ別の問題も出てくる。
餌の工面や、小屋の有様……
衣笠が次の一手を打ってくる前に、我らはさらに先へ進まなければならない」
統次郎の瞳には、勝利の喜びだけでなく、
次なる嵐を予期する冷徹な軍配者の光が、変わらず宿っていた。
泰平の世の穏やかな風のなか、
人と鳥の絆を守るための戦いは、民草の歌声とともに、
より深く、より見えざる歴史の裏側へと、その根を張り巡らせていくのだった。
お夜のプロデュース力、恐るべし!
江戸中が鳩のファンになってしまいました。
しかし、鳩が増えすぎたことで次なる問題が発生します。
次回、まさかの「糞」が世界を救う!?




