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『通信の鳩、食料の鳩 〜戦国の兵糧から米相場、大正の災害まで。鳥の「愛」とフンで日本を救った4代の歴史〜』  作者: 塩塚 蘭仮名


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【第16話:江戸の世と贅沢禁止令】

ここから第2章【江戸・泰平編】の開幕です!

主人公は統真のひ孫・統次郎。平和な時代だからこそ起きる「経済と政治の戦い」に、

再び衣笠の影が立ちはだかります。

「梛木、お主の家で飼うているあの鳥ども、

いよいよ年貢の納め時かもしれんな」


「……長谷川殿、それは一体どういうことにございますか」


江戸城の勘定所。

薄暗い行灯の光が、床に転がった無数の算盤と山積みにされた

大福帳を寒々しく照らしている。


梛木統次郎は、手元に広げた数高帳からゆっくりと顔を上げ、

同僚の長谷川に視線を向けた。


その目は、100年前の過酷な戦国を生き抜いた先祖・統真譲りの

冷徹な光を帯びていたが、胸の奥では微かな不穏の火種が、

パチパチと音を立てて爆ぜ始めていた。


「これを見よ。

いましがた表向きに下された、老中・衣笠様からの直々の御触れ書きだ」


長谷川が周囲を気にするように声を一段と潜め、懐から差し出したのは、

まだ墨の匂いも新しい一枚の和紙だった。


統次郎がそれを受け取り、目を落とした瞬間、

そこには驚くほど冷酷で容赦のない文字が並んでいた。


『江戸市中における伝書鳩の飼育を一切禁ずる。

商人の不義なる博打に荷担し、

毎日大量の無駄飯を食らう有害なる獣など、

この泰平の世には不要。


市中の鳩は一羽残らず捕らえて処分し、

鳥汁にして家臣に配るべし』


「鳥汁、に……。

お上は本気でこのようなことを仰せなのですか」


「そうだ。冗談などであるものか。

梛木、お主の家が常盤橋の袂で、

神君家康公から賜った御朱印を盾に、

大量の鳩を囲い込んでいるのは皆が知るところ。


だが、衣笠様は今回の苛烈を極める倹約令で、

真っ先にお主を槍玉に挙げてこられたのだ」


統次郎の指先が、和紙を掴んだまま怒りで小さく震えた。

衣笠。

その名を聞だけで、一族の血統図とともに

伝わる苦い記憶が呼び覚まされる。


100年前、小田原の戦いにおいて、

飢えた籠城戦のなかで先祖たちの前に立ちはだかり、

鳩を「無駄飯を食う肉」と罵って失脚した悪徳武将、衣笠陣烈。


その不名誉な血を引く末裔が、

いまや老中として御公儀の権力を握り、


ふたたび「質素倹約」という

四角四面な大義名分を掲げて、

梛木家の翼を根こそぎ毟り取ろうとしているのだ。


「梛木、お主は真面目だけが取り柄の、

ただの勘定下役だ。


お上の方針に逆らえば、お主自身の身分も、

家禄も危ういぞ。


鳥などさっさと諦めて、

御触れ通りに首を差し出すのが賢明というものだ」


長谷川の言葉は、役人としての至極まっとうな正論だった。

地上の掟に従い、平穏を貪るのが

この世の世渡りというものだ。


だが、統次郎の腹の底に眠る「軍配者の血」が、

その卑屈な妥協をどうしても許さなかった。


「……長谷川殿、これだけは言わせていただきます。

老中・衣笠様は、何も見えておられない」


「何だと? 

滅多なことを言うな! 

壁に耳があるのだぞ」


「地上の泥道しか見えぬから、

このような愚策を平気で打てるのです。

この鳩には、単なる愛玩や博打の道具を超えた、

天下の商いを左右する本当の価値がある。

それを、私は必ずや証明してみせます」


仕事を切り上げた統次郎は、

夜の帳がどっぷりと下りた常盤橋の街道を、

急ぎ足で駆け抜けた。


袂にそびえる梛木家の大鳩舎に飛び込むと、

そこには懐かしい、しかし主人の動揺を察したかのような、

どこか落ち着かない羽音が満ちていた。


クックッ、クゥ。

暗闇のなかで、灰色の美しい若鳥──

初代『疾風(ハヤテ)』の気高き血を最も濃く継いだ見事な鳩が、

統次郎の肩へとひらりと舞い降りる。


鳥の体温が、統次郎の冷えかけた肩にじんわりと伝わった。


「統次郎、顔色が悪いぞ。

城で何か面倒なことでもあったのかい」


大鳩舎の奥、薄暗い灯火の下で、

先祖が命懸けで遺した『鳩通信の術』の巻物を

一本ずつ丁寧に手入れしていた従姉のお初が、

怪訝そうに眉をひそめた。


彼女は、かつて戦場を風のように駆けた初代お初の名前と、

その鋭い勘を色濃く受け継いだ娘だった。


「お初、衣笠が……老中・衣笠が動いた。

江戸中の鳩を一羽残らず捕らえ、

鳥汁にして食らうという御触れを出したんだ。


常盤橋のここも、

お上の処分役人がいつ踏み込んできてもおかしくない」


「はあ!? 

鳥汁だって!? 

あの無粋なドケチ老中、ついに気が触れたのかい!」


お初が手にした鳥の羽ペンを、

大きな音を立てて机に叩きつけた。


その瞳には、かつて闇を這った隠密のような、

鋭く燃え盛る怒りの炎が宿っている。


「じいさんたちが大嵐のなかを命懸けで守り、

神君家康公から『天下の眼』として認められたこの子たちを、

汁の具にするっていうのかい! 


冗談じゃないよ。もしそんな役人どもがここへ来たら、

うちの忍びの技で、まとめて袋叩きにしてお仕置きしてやる!」


「待て、お初。

力尽くで御公儀に逆らえば、それこそ一族全員が打ち首、

伝路は永遠に途絶える。


衣笠の狙いは、倹約という正論で我らの言い開きを封じ、

先祖の遺産であるこの空の直路(ひたみち)を

完璧に潰すことにあるんだ。


感情に任せて動けば、奴の思うツボだ」


統次郎は、壁に掛けられた長大な『諸国街道絵図』を見つめた。

東海道の数々の難所、箱根の険山、大井川の川止め。

そしてその先にある大坂・堂島。


いまや天下の商いは、地上の武士の刀ではなく、

あの堂島で動く米の価格に完全に支配されている。


「お前が首を懸けて守ってきたこの翼が、

お上からは商人の博打の道具だと笑われている。


だが、大坂の相場がその日のうちに関東へ届けば、

どれほどの商人が古い情報での大損から救われ、

どれほど御公儀の勝手元(台所事情)の差配が確実になるか……。


地上の仕組みしか信じぬ衣笠には、それが全く分かっていないのだ」


「じゃあ、どうするんだい、統次郎。お上の命令は絶対だよ。


一刻も早く、誰もが認めざるを得ない『本当の価値』とやらを

目の前に突きつけなきゃ、

この子たちは全員鍋の中に放り込まれるよ。

時間がないんだ」


お初の焦りに満ちた声が、鳩舎의 梁に低く響く。

統次郎は静かに拳を握りしめ、肩の上の若鳥を優しく、

しかし確かな覚悟を込めて撫でた。


鳥の黒い瞳は、

かつて大嵐の暗黒を睨みつけていた先祖と同じ、

圧倒的な気高さと不屈の光を宿していた。


「あいつらが地上の道しか信じないのなら、

信じざるを得ないほどの圧倒的な結果を、

この手で創り出すまでだ。

空の広さを、教えてやる」


統次郎の静かな、しかし確信に満ちた声が、

薄暗い鳩舎の隅々にまで響き渡る。


100年の時を経てふたたび幕を開けた、

衣笠一族との不条理な闘い。


だが、梛木統次郎は決して退かない。

泰平の世の冷たい嵐のなか、人と鳥の絆を未来へ繋ぐため、

若き軍配者の末裔は、密かに天下を揺るがす逆転の計略を、

完璧に練り始めるのだった。

またしても衣笠から「鳩鍋にしろ」との命令が!

この一族は100年経っても変わっていませんね(笑)。

次回、統次郎のもとに心強い職人と美少女(?)の仲間が集結します!

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