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『通信の鳩、食料の鳩 〜戦国の兵糧から米相場、大正の災害まで。鳥の「愛」とフンで日本を救った4代の歴史〜』  作者: 塩塚 蘭仮名


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【第14話:泰平の世へ向けて】

第14話です。

戦が終わり、のんびりとした空気が流れる江戸の町。

統真、弦介、お初の3人がこれまでの技術をまとめ、未来の子孫たちへバトンを渡す準備を始めます。

──カン、カン、カン、カン。 


遠くの街道から、

規則正しい馬のいななきと、荷車の軋む音が響いてくる。 


かつて地鳴りのような砲声と

兵たちの怒号に包まれていた小田原の城下町、


あるいは広大な関東の平野は、

いまや徳川家康の開いた江戸の活気へと塗り替えられつつあった。


「……随分と、静かな空になったもんだな」 


新しく拝領した常盤橋の袂(たもと)の大鳩舎。

その縁側に腰掛け、荒木弦介がぽつりと呟いた。


無精髭の混じった顎をなでるその手には、どこか力が抜けている。 


関ヶ原の戦いが終わり、天下の事業は急速に動き始めていた。

それは平和の訪れを意味していたが、


同時に、武功による出世だけを信じて刀を振るってきた者たちにとっては、

己の居場所を失うことを意味していた。


「なあ、梛木。

お前が首を懸けて守ったこの鳥どもも、ついに終わりかねえ」


「終わり、とは?」 


小屋の奥で、諸国の街道が描かれた大地図を広げていた梛木統真が、

静かに顔を上げた。


「言葉の通りよ。

戦がなくなれば、敵の包囲網を破る『胃袋の密書』も必要ねえ。


武将どもはみんな、鳥の恩なんて綺麗さっぱり忘れて、

これからは槍や鉄砲の数を減らすことばかりに躍起になる。


やはり、戦が終われば鳥は用済みか。

大飯を食らうだけのこいつらを、いつまで養ってやれるか分からねえな」


 弦介は寂しげに笑い、手元にいた灰色の鳩の頭をそっと撫でた。

大嵐を越えた、あの『疾風(ハヤテ)』の美しい羽を。


「ふふ、相変わらず心配性だね、親父どのは」


 天井の梁から、お初が音もなく飛び降りてきた。

忍び装束ではなく、町娘のような小袖を着流している。


「うちはむしろ、せいせいしてるけどね。

泥を這い回る忍び働きより、

こうして美味い果物でも齧ってる方が性に合ってる」


「お初、お前なぁ……」


「しかし、荒木殿」


 統真が地図の上に一本の筆を置き、二人の前に歩み出た。

その瞳には、かつて籠城戦の極限状態で


敵の裏をかいたときのような、

冷徹で、しかし凄まじい熱量を秘めた光が宿っていた。


「私は全く異なる行く末を描いているよ。

戦が終わるということは、破壊が終わり、

新たなる国造りが始まるということだ」


「国造りだと? 何を創るってんだ、軍配者様よ」


「天下の『新しい伝路』だ」


 統真は広げられた大地図の、

東国へ下る東海、東山の街道筋、

大坂へと続く太い線を指先でなぞった。


「戦がなくなれば、今度は諸国の商いや、

天下の政(まつりごと)の知らせがにわかに盛んになる。


大名たちは領地の勝手を気にし始め、

商人たちは一刻も早く上方の物価を知りたがる。


……だが、現在の地上の伝路はどうだ? 

飛脚がどれほど俊足であろうとも、

大井川の川止めに遭えば何日も足止めを食らい、

関所の検問を受ければ時を費やす。


人の足による報せには、自ずと境(さかい)があるのだ」


「それは、そうだが……。それが鳥とどう繋がるんだ?」


 弦介が怪訝そうに眉をひそめる。


「人間が走る飛脚よりも、空を飛ぶ鳩の方が圧倒的に速い。

川の水量も関係なければ、地上の関所に遮られることもない。


……荒木殿、お前が仕込んでくれた

あの『低空の山谷の直路(ひたみち)』の技を使えば、

上方の商いの直(ねだん)を、その日のうちに関東へ届けることすら夢ではない。


私は、この平時における街道の伝路開拓を、天下の規模で行う算段だ」


「……おいおい、正気かよ」 


弦介の目が、驚愕に大きく見開かれた。


「戦の道具だった伝書鳩を、

今度は商人の商売や、お上の政の道具に使うってのか?」


「さよう。

これこそが、この鳥たちの命と血統を、

100年先まで絶やさずに守り抜く唯一の道だ」


「なるほどね……。

軍配者様の頭の中は、本当に退屈しないや」


 お初が不敵に口元を緩め、ぽんと統真の肩を叩いた。


「面白そうじゃん。

地上の飛脚どもが泥にまみれて走ってる上を、

うちらの鳥がひと飛びで追い抜いていくんだ。

その仕掛け、うちも一枚噛ませてよ」


「ああ、お前の足で、全国の街道に

信頼できる継所の番人を置いていってほしい」


 ──されど、胸に描いた図通りにはいかぬのが世の常であった。 

家康公から賜った「裁許状」を懐に、

統真はそれからの数ヶ月間、着古した直垂をまとい、

各大名家の留守居役や、江戸や堺の巨大な大棚の門を叩き続けた。

だが、返ってきたのは冷酷な拒絶だった。


「梛木殿、お話は分かったが……さすがに突飛が過ぎる」 


大名家の老臣の一人が、統真の差し出した書状を一瞥し、鼻で笑った。


「鳥が文を運ぶなど、戦場の極限状態だからこそ使えた奇策よ。

平時における公の書状を、そのような生身の獣に預けられるか。

万が一、途中で鷹に食われでもしたら、誰が申し開きをするのだ」


「戦の道具を商売に使うなど、いささか卑しき仕業(しわざ)」


 ある大商人の主も、冷ややかに首を振った。


「我ら商人は、古くから確実な飛脚宿を信用しております。

空を飛ぶ鳥の速度など、にわかには信じがたい」


行く先々で、冷遇と拒絶の嵐が統真を襲った。

周囲の武士たちからは「戦が終わったというのに、

過去の武功にしがみつき、

鳥を使って一儲けしようと企む落ちぶれ軍配者」と、陰口を叩かれる日々。 


どれほど有用性を説いても、

新しい時代の足音に気づかぬ者たちは、


古き習わしという名の殻に閉じこもり、

統真の言葉をただの戯言と切り捨てた。


 ある日の夕暮れ。

疲れ果てて鳩舎の奥へ戻ってきた統真の前に、

弦介が黙って一杯の白湯を差し出した。


「どうだった、梛木。

今日も全滅か」


「……ああ。

誰も、空を見上げようとはしない。

地上の道しか見えていないのだ」


 統真は悔しさに唇を噛みしめ、拳を強く握りしめた。


「ハハハ、上等じゃねえか」


 弦介が、無骨な手を統真の肩にどさりと置いた。


「お前が首を懸けて衣笠の旦那に挑んだときも、

最初は誰も信じちゃいなかった。


あの籠城の夜だって、

みんなお前を『鳥の阿呆』と笑っていたはずだ。


それがどうだ? 

最後には、あの強情鳥の疾風が、

すべての鼻をへし折ってやったろうが」


「荒木殿……」


「あいつらが馬鹿なのは今に始まったことじゃないよ、軍配者様」 


梁の上で足を揺らしながら、お初が不敵に微笑んだ。


「人間はね、実際に目の前で結果を見せつけられないと、

自分の間違いに気づけない生き物んだよ。

なら、焦る必要なんてないじゃん」


 二人の言葉が、統真の冷えかけた心に、再び鮮烈な炎を灯した。 

そうだ。


拒絶されたからといって、諦めるわけにはいかない。

戦が終わろうとも、人と鳥の絆の本質は変わらないのだ。


「……そうだ。

あいつらが信じないのなら、

信じざるを得ないほどの圧倒的な結果を、この手で創り出すまでだ」


統真は立ち上がり、机の上に一冊の白紙の巻物を広げた。


「泰平の世になれば、人は必ずこの過酷な戦を、

そして鳥たちと紡いだ技を忘れていく。


だが、いつかまた、地上の道が途絶える大乱や国難が来ぬとも限らん。


その時のために、この血統と術を、

梛木の一族の命綱として後世に残さねばならんのだ」


 統真は筆を墨に浸し、

巻物の初めに、力強い文字を刻み始めた。 


鳩を訓練するための鳥の心を調える気配り、

風土や日和の調え方、そして何より中央に、

一際大きく、誇らしげな名が据えられていく。

 

大嵐を生き抜き、城を救った伝説の異端鳥──『疾風』。 

その名を頂点として、一族が命懸けで守り抜いてきた

優秀な鳩たちの「血統図」が、

網の目のように詳細に書き残されていく。


「これこそが、私たちの生きた証。

そして、未来の空を開く調練の書となる」


 統真の静かな、しかし確信に満ちた声が、

夕暮れの大鳩舎に響き渡る。 


弦介が満足げに笑い、お初が楽しげにその様子を見守っていた。

 

周囲がどれほど嘲笑し、時代遅れと見下そうとも、

彼らは新しい世の足音を誰よりも正確に聴き取っていた。


天下統一の足音が地響きを立てて迫るなか、

梛木統真は、密かに100年先の

行く末へ向けた巨大な計画


──『鳩通信の術』の書を、歴史の裏側で着実に、

そして完璧に書き記し始めるのだった。

3人の穏やかな隠居生活に心が和みますね。

戦国を駆け抜けた彼らだからこその空気感です。

次回、ついに第1章の最終回。

代「疾風」との別れ、精度高く未来への誓いです。

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