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アルノー・ケスラー

翌朝。


アルノー・ケスラーは、自分の執務室で拘束された。


逃げなかった。


証拠も燃やさなかった。


抵抗もしなかった。


ただ、王室監察官が入ってきた時。


「ようやくですか」


そう言ったらしい。


その一言の意味を確認するため、レオンはまた尋問室へ連れていかれた。


「最近ここに来る回数が多くないですか」


「お前が余計なものを見つけるからだ」


エドガーが答える。


「俺のせい?」


「半分は」


「残りは?」


「犯人のせいだ」


「ならよかった」


扉が開く。


中にいた男は、五十歳前後だった。


白髪交じり。


細身。


文官らしい柔らかな手。


机の向こうに座り、レオンを見る。


「レオン・アルヴェイン」


「初めまして」


「私は何度か見ている」


「よく言われます」


「君が人を覚えていないだけだ」


そこは否定できなかった。


ケスラーはエドガーを見る。


「それで、何を訊きたいのです」


「マティアス・クレーベルに文書箱を改造させたな」


「はい」


あっさり認めた。


エドガーが僅かに眉を動かす。


「目的は」


「通常の記録経路を通さず、書類を投函するためです」


「何の書類を」


「命令書です」


「誰の命令だ」


「知りません」


レオンはケスラーを見る。


嘘ではない。


「本当に知らないですね」


ケスラーの目がレオンへ向く。


「噂は本当らしい」


「何の?」


「君は嘘が分かる、と」


エドガーが低く言う。


「質問に答えろ」


ケスラーは少し笑った。


「答えています」


レオンが訊く。


「誰から受け取ったんです?」


「決まった場所に置かれていました」


「どこですか?」


「旧西棟の保管庫」


「誰が置くんでしょう?」


「知りません」


本当。


「受け取り方は?」


「月に一度、第二鐘のあとに確認する」


「何もなかった月は?」


「あります」


「最初にそれを教えた人は?」


ケスラーが黙った。


レオンは待つ。


「……ベルクマン卿ではありません」


「それは分かってます」


「何故」


「今の言い方だと、別にいますよね」


ケスラーは僅かに息を吐く。


「名前は知らない」


本当だった。


「顔は?」


「見ていない」


「声は?」


「聞いていない」


「じゃあ、どうやって始まったんです?」


ケスラーは机を見る。


「十年ほど前です」


レオンが少しだけ姿勢を変える。


十年。


思ったより古い。


「私の机に、一通の書簡が置かれていた」


「内容は?」


「私が過去に不正をしていたことが書かれていました」


エドガーの目が細くなる。


「何をした」


「帳簿を一件、書き換えました」


「理由は」


「弟の借金です」


ケスラーは淡々としていた。


「金を用意するため、業者から賄賂を受けた」


「それで脅された?」


「最初は」


「最初は?」


ケスラーが少し笑う。


「その後は、金も受け取りました」


レオンは黙って見る。


そこに嘘はない。


「脅されて仕方なく、だけじゃないんですね」


「ええ」


ケスラーはレオンを見返す。


「便利だったのです」


「何が」


「金も入る。邪魔な審査は飛ばせる。上からは仕事が早いと評価される」


「人が死んでも?」


「最初から死ぬとは思っていませんでした」


「途中からは?」


ケスラーが黙る。


レオンには分かった。


「知ってた」


ケスラーの顔から、初めて余裕が消えた。


「いつからです?」


「……三年前」


「何があった」


「一人、消えた」


「誰が」


「顧問会の下級書記です。命令書の出所を調べようとした」


エドガーが訊く。


「死亡記録は」


「事故死です」


「本当に事故か」


ケスラーは答えない。


レオンが言う。


「事故じゃないと思ってる」


今度も。


否定はなかった。


「それでも続けたんですね」


「もう戻れなかった」


昨日のベルクマンと。


同じ言葉。


ただ。


声は違った。


ベルクマンには恐怖があった。


ケスラーには。


もっと諦めがあった。


「マティアスに会った時、一緒にいた黒い外套の男は?」


レオンが訊く。


「私は知りません」


本当。


「あなたが連れてきたんじゃない?」


「違います」


本当。


エドガーが腕を組む。


「では何故同席した」


「指定されたからです」


「どこで」


「書簡に」


また。


紙。


誰かが。


顔を見せず。


声も聞かせず。


人間だけを動かしている。


レオンは訊いた。


「その書簡、残ってます?」


「燃やすよう命じられていました」


「毎回?」


「はい」


「一通も?」


ケスラーの目が僅かに動いた。


レオンはすぐに言う。


「残してますね」


沈黙。


エドガーがケスラーを見る。


「どこだ」


「……自宅の床下です」


「何故残した」


「保険です」


「誰に対する」


ケスラーが笑った。


「全員に対してですよ」


その日の昼。


ケスラーの自宅から、十三通の書簡が見つかった。


すべて同じ紙。


同じ筆跡。


署名なし。


王家の印もない。


内容は短い。


《第二倉庫の承認を優先せよ》


《第三七二号を既報告案件として処理せよ》


《クレーベルに文書箱の調整を依頼せよ》


そして。


最後の一通。


四か月前。


《第三経路の再開に伴い、旧規格を適用せよ》


レオンは机の上に並べられた書簡を見る。


ようやく。


一本になった。


ケスラー。


ベルクマン。


ハルトマン。


マティアス。


それぞれが。


全部を知っていたわけではない。


必要な作業だけを。


別々にやらされていた。


「筆跡鑑定は?」


レオンが訊く。


セイルが答える。


「始めている。ただ、期待はするな」


「偽筆?」


「その可能性が高い」


「ですよね」


ここからさらに。


紙の製造元。


インク。


筆跡。


また一つずつ追うこともできる。


でも。


レオンは書簡を見ながら。


少し違うことを考えていた。


「これ」


「何だ」


セイルが見る。


「十年も続いてるなら」


一番古い書簡を指す。


「今回の第三経路だけのためじゃないですよね」


部屋が静かになる。


「十年前には、グラドの装置を使う計画なんてまだなかったかもしれない」


エドガーが言う。


「つまり」


「もっと前から、王国の中に何か作ってた」


レオンは答えた。


人。


経路。


弱み。


金。


書類。


必要になった時に使えるように。


その時。


廊下を走る足音が聞こえた。


昨日から増えた音だった。


伝令。


扉が叩かれる。


兵士が入る。


「失礼します。エドガー様、セイル様。軍議室より召集です」


エドガーが立つ。


「西部か」


「はい」


「何があった」


兵士が一度だけレオンを見る。


それから。


「第二軍が後退を開始しました」


セイルの顔が変わった。


「昨日の突破地点か」


「それだけではありません。敵軍が南側にも展開。補給路を切られる恐れがあります」


「砦は」


「二つ放棄が決まりました」


エドガーがすぐに歩き出す。


セイルも続く。


レオンは呼び止めなかった。


今は。


自分の出番ではない。


夕方。


王城の鐘が鳴った。


普段とは違う。


長く。


三度。


レオンが窓を見る。


廊下から。


人の声がする。


兵士が走る。


扉の前の警備兵に訊いた。


「何の鐘です?」


「非常招集です」


「軍の?」


兵士は少し迷った。


「予備役も含みます」


レオンの表情が変わる。


「魔術師も?」


兵士は答えなかった。


それで。


十分だった。


夜。


テアが来た。


今日は。


籠も。


酒もなかった。


入ってきて。


椅子へ座る。


それだけ。


レオンも。


何も訊かず。


向かいへ座った。


しばらくして。


テアが言う。


「父様と兄様が喧嘩した」


「そうですか」


「昔からだけど、今回は結構ひどかった」


レオンは黙って聞く。


「兄様は、登録されている魔術師を全員一度召集するって」


「全員?」


「戦える人だけじゃない」


治癒。


運搬。


通信。


結界。


設備保守。


魔術を使えるなら。


必要な場所へ配置する。


「陛下は?」


「反対」


「全面的に?」


「違う」


テアは首を振る。


「志願者を増やす。報酬を上げる。家族への補償も出す。それでも足りないなら、段階的にって」


「兄上は待てない」


テアが見る。


「そう」


西部戦線。


昨日。


砦が落ちた。


今日。


第二軍が後退した。


明日は。


どうなるか分からない。


「兄様の言ってることも」


テアが小さく言った。


「分かるの」


レオンは何も言わない。


「分かるから、嫌なの」


「はい」


「全部間違ってたら、怒ればいいだけなのに」


レオンは少し笑った。


「世の中は綺麗なことばかりじゃないらしいですよ」


テアが顔を上げる。


「父様の真似?」


「よく分かりましたね」


「似てない」


「残念」


少しだけ。


テアが笑う。


そのあと。


また静かになった。


「レオン」


「はい」


「もし」


言いかけて。


止まる。


「何です?」


「……ううん」


レオンには。


それが嘘ではないことしか分からなかった。


言わないと決めた。


それだけ。


嘘を見抜けても。


言葉にされなかったことまでは分からない。


だからレオンは追及しなかった。


ただ。


拘束された手を。


机の上へ置く。


テアがそれを見る。


少し迷ってから。


その上に。


自分の手を重ねた。


拘束具の冷たい金属越しだった。


それでも。


温かかった。


窓の外で。


また鐘が鳴る。


今度は。


西部へ送る兵を集めるための鐘だった。

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