金庫
王室顧問会の区画は、王城の西側にあった。
レオンも何度か来たことはある。
ただし、子供の頃は大抵、入口で追い返された。
「懐かしいですね」
「何がだ」
エドガーが訊く。
「昔ここに入ろうとして、三回くらい捕まりました」
「何故入ろうとした」
「陛下を探してて」
「陛下は顧問会の構成員ではないだろう」
「子供だったので」
「嫌な子供だな」
廊下の先には兵士が二人。
王室直属の警備兵。
その横で、一人の老人が待っていた。
ローデリヒだった。
「レオン様」
「こんにちは」
「昨日は薬を受け取っていただけなかったようで」
「あ」
忘れていた。
エドガーを見る。
「まだ使ってないのか」
「忘れてました」
「ミリア殿に知られたら殺されるぞ」
「治癒師が人を殺しちゃ駄目でしょう」
「お前が言うな」
ローデリヒが小さく笑う。
「昔から、ご自分の傷には無頓着ですな」
「昔も?」
「十一歳の頃、腕を切ったまま軍議に出ておられました」
「そんなことありましたっけ」
「ございました」
「よく覚えてますね」
「私が包帯を巻きましたので」
「ああ」
何となく。
記憶の底にある。
大きな会議室。
机の下。
血。
誰かに腕を掴まれた。
「会議が終わるまで待つと言って聞かなかった」
ローデリヒが言う。
「大事な話だったので」
「傷口から血を垂らしながら聞く必要はありません」
「今思うとそうですね」
「成長されましたな」
エドガーが横から言う。
「あまり褒めるな。調子に乗る」
「貴方は俺の保護者なんですか」
「違うのが心底喜ばしい」
そんなことを話しながら。
顧問会の執務区画へ入る。
中は静かだった。
ベルクマンの拘束はすでに広まっているらしい。
廊下を歩く文官たちは、レオンたちを見るたびに声を落とす。
その視線の多くは。
レオンの手首へ向いた。
拘束具。
そして顔。
「あれが」
「本当に?」
小声。
聞こえる。
レオンは気にしない。
一番奥。
ベルクマンの執務室。
扉には封印が貼られている。
そのすぐ外に。
問題の文書箱があった。
木製。
腰ほどの高さ。
上部に細長い投入口。
側面に鍵。
見た目は。
普通だった。
「これ?」
「そうだ」
エドガーが答える。
「ベルクマン宛ての機密文書は、基本的にここへ入る」
レオンはしゃがむ。
投入口を見る。
拘束された両手では触りにくい。
「外してくれません?」
「駄目だ」
「見るだけですよ」
「目で見ろ」
「横暴だなあ」
仕方なく。
顔を近づける。
木。
金属。
内側。
「最近交換した?」
「何を」
「投入口の金具」
エドガーが文書管理官を見る。
若い男だった。
緊張した顔で帳簿を確認する。
「いえ。記録上は三年前から同じものです」
「そうですか」
レオンはさらに見る。
「じゃあ何で、こっちだけ傷が新しいんだろ」
エドガーが寄る。
「どこだ」
「ここ」
投入口の内側。
端。
ほんの小さな擦り傷。
「書類を入れたら普通につくものだろう」
「紙なら」
レオンが言う。
「でもこれ、金属で擦った跡です」
ローデリヒが少し屈む。
「鍵のようなものですかな」
「多分」
エドガーが管理官を見る。
「この投入口から中の鍵へ触れられるか」
「通常は不可能です」
「通常は?」
「箱の内側に遮蔽板がありますので」
レオンが笑う。
「通常じゃなければ?」
管理官の顔が強張る。
箱を開ける。
封印を確認。
鍵を回す。
中は空だった。
レオンが覗き込む。
遮蔽板。
確かに。
上から手を入れても、鍵の機構には触れられない。
普通なら。
「外せますね、これ」
レオンが言った。
「何が」
「遮蔽板」
板の端。
小さな留め具。
工具を使えば外せる。
「でも箱を開けずに?」
エドガーが訊く。
「細い工具があれば」
レオンは投入口を見る。
「多分」
管理官が青ざめる。
「そんなことは」
「やったことあります?」
「ありません!」
即答。
レオンは見る。
嘘ではない。
「この人はやってません」
エドガーが眉を寄せる。
「またそれか」
「意外と便利でしょう?」
「認めたくはない」
ローデリヒが箱の側面を見る。
「この型は、王城内で他にも使われていますか」
「はい」
管理官が答える。
「古い機密文書箱は同じ規格です」
「誰が整備を?」
「王室営繕局です」
レオンとエドガーが同時に見る。
「整備記録」
エドガーが言った。
「全部持ってこい」
「は、はい」
管理官が走る。
待っている間。
レオンは執務室の中へ入る。
ベルクマンの机。
棚。
椅子。
昨日、一度調べられている。
それでも。
レオンはゆっくり見る。
ローデリヒが後ろから訊いた。
「何か気になりますか」
「分かりません」
「その答えは昔から変わりませんな」
「昔も言ってました?」
「ええ」
ローデリヒは懐かしそうに笑う。
「物を探す時、まず分からないと言う」
「変ですか?」
「いいえ」
「決めつけると見落とすので」
「それも昔、よく仰っていました」
レオンは少しだけ笑った。
「俺、あんまり変わってないですね」
「そうでもありません」
「そうでしょうか?」
ローデリヒは少し考える。
「昔は、分からないことがあると眠らなかった」
「今も割と」
「昨日は眠られたでしょう」
レオンが止まる。
「何で知ってるんです?」
「今朝、テオファニア王女殿下が嬉しそうに話しておられました」
「何を話したんですか」
「ご心配なく。詳しいことは何も」
レオンは嫌な予感がした。
エドガーが遠くから言う。
「顔が赤いぞ」
「うるさいですよ」
そこへ。
文書管理官が戻ってきた。
帳簿を持っている。
「ありました」
エドガーが受け取る。
文書箱の整備記録。
過去三年。
定期点検。
錠前交換。
蝶番の修理。
そして。
四か月前。
一件だけ。
《遮蔽板調整》
レオンが指を置く。
「これだ」
担当。
王室営繕局。
作業責任者。
名前がある。
《マティアス・クレーベル》
「知ってます?」
レオンが訊く。
エドガーは首を振る。
ローデリヒも。
「営繕局の技師でしょう」
管理官が言う。
「今もいる?」
「確認します」
再び帳簿。
名簿。
ページをめくる。
そして。
管理官の手が止まった。
「……三週間前に退職しています」
「理由は」
「故郷へ戻るため、と」
「故郷は?」
「南部のローレン村」
エドガーが兵士へ命じる。
「所在確認。まだ王都にいる可能性も含めて探せ」
「はっ」
兵士が走る。
レオンは整備記録を見る。
四か月前。
戦況が悪化し。
例の研究計画が再開された時期とほぼ同じ。
偶然か。
違うか。
まだ分からない。
「作業には一人で入ったんですか」
「いえ」
管理官が別紙を見る。
「補助技師が一名」
「名前は?」
「……」
管理官の顔色が変わる。
「どうした」
「空欄です」
エドガーが紙を取る。
確かに。
責任者はある。
補助技師欄だけ。
名前がない。
「あり得るのか」
「通常はありません」
昨日から。
何度目か分からない言葉だった。
通常はない。
名前がない。
記録がない。
それでも。
何かは動いている。
レオンは紙を見る。
「マティアスを見つければ早いですね」
エドガーが頷く。
「生きていればな」
その言葉で。
少しだけ空気が重くなる。
ハルトマン。
三人の検査官。
倒れた記録管理官。
ベルクマン。
これまで。
事情を知った人間は順番に消されている。
ローデリヒが静かに言った。
「ならば、急ぎましょう」
エドガーを見る。
「ただし、表立って軍を動かすべきではありません」
「理由は」
「相手はこちらの動きを知るのが早い」
エドガーは黙る。
「大人数を出せば、探していると教えるようなものです」
「同感です」
レオンが言った。
エドガーが二人を見る。
「誰を使う」
ローデリヒが少し考える。
「王室監察官を二名。それ以上は知らせない方がよいでしょう」
「俺は?」
「お前は帰る」
「何でです?」
「拘束中だからだ」
「もうそろそろ解放してくれてもよくないですか?」
「もっと大人だったらあるいはな」
レオンは文書箱をもう一度見る。
小さな傷。
たった一つ。
それだけだった。
でも。
誰かが。
ここを開けた。
正規の鍵を使わず。
正規の記録にも残らず。
ベルクマンのもとへ。
命令を入れた。
「エドガーさん」
「何だ」
「マティアスが見つかったら」
少し考える。
「最初に、俺に会わせてください」
「何故」
「嘘をつくかもしれないので」
エドガーは嫌そうな顔をした。
だが。
今度は断らなかった。
「生きて見つかればな」
王城の窓から。
昼の光が入っている。
その言葉だけが。
妙に冷たく残った。




