さらに上
「それで?」
レオンが訊いた。
「俺を呼んで、何を確認したかったんです?」
ベルクマンは答えない。
薄く笑ったまま、レオンの顔を見ている。
エドガーが口を開く。
「質問しているのはこちらだ。ユリウス・レーヴェンについて、どこで知った」
「報告書かもしれない」
「全文を閲覧できる人間は限られている」
「なら、その限られた誰かから聞いたのだろう」
「誰だ」
「覚えていないな」
エドガーの顔から、僅かに温度が消えた。
レオンは横目で見る。
「怖い顔しますね」
「黙っていろ」
「でも喋るために呼ばれたんですけど」
「必要な時だけ喋れ」
「僕には向いてませんね」
ベルクマンが笑った。
「変わらないな、君は」
レオンが視線を戻す。
「昔の俺を知ってるみたいに言いますね」
「知っているとも。直接話したことがなくても、人となりくらいは分かる」
「軍議で見てただけでしょう?」
「それだけではない」
ベルクマンは椅子の背へ寄りかかった。
「十一で勇者パーティに入り、十二で北部戦線の補給魔術を再設計した。十三で軍用治癒術式の規格改定に口を出し、十四では兵士相手に教官までしていた」
後ろに立つハイネの顔が少しだけ引きつった。
レオンは気づいたが、触れなかった。
「詳しいですね」
「君は有名だった」
「昔の話です」
「王国にとってはそうでもない」
ベルクマンの目が細くなる。
「君が自分で思っている以上に、この国には君の跡が残っている」
レオンは一瞬だけ黙った。
対魔術師訓練。
軍用術式。
治癒規格。
魔導器が普及した今も残っているものはある。
その事実を、今朝初めて実感したばかりだった。
「だから何です?」
「怖くないのかと思ってな」
「何が」
「自分が作ったものに、自分が追われることが」
エドガーが眉を寄せる。
「どういう意味だ」
ベルクマンは答えなかった。
代わりにレオンを見る。
「分からないか?」
「分かりませんね」
「なら、まだその時ではない」
「そういうもったいぶった言い方、あんまり好きじゃないんですよ」
レオンは机に肘を置こうとして、拘束具が当たった。
乾いた音がする。
「言いたいことがあるなら言ってください」
ベルクマンの笑みが消えた。
「……君は、自分がこの国から切り離されたと思っている」
レオンは何も言わない。
「追放され、王都を離れ、勇者パーティからも外れた。だから自分はもう王国の外側にいると」
「いつそんなこと言いました?」
「顔に書いてある」
「それは初めて言われました」
「だが違う」
ベルクマンは続ける。
「君はまだ、この国の中にいる。それも、かなり深いところに」
エドガーが低い声を出す。
「話を逸らすな」
「逸らしてはいない」
「では第三経路について話せ」
空気が変わった。
ベルクマンが黙る。
エドガーは机に一枚の紙を置いた。
ベルクマンの私室から見つかったもの。
《第三経路》
その文字がある。
「知らないでは通らん」
「知らない」
「自室にあった」
「置かれたものだ」
「誰に」
「知らない」
「黒い部品も?」
「知らない」
「ハルトマンとの接触は」
「会った」
初めて。
ベルクマンが認めた。
レオンが顔を上げる。
エドガーは表情を変えない。
「何のために」
「命令を伝えた」
「誰の命令だ」
ベルクマンは口を閉じる。
「王家か」
沈黙。
「軍か」
反応なし。
「王室顧問会か」
レオンは見た。
そこに混じる、エドガーでさえ気づかない嘘に。
「顧問会なんですね」
レオンが言う。
ベルクマンがこちらを見る。
「何故そう思う」
「今ので」
「何が」
「秘密です」
ベルクマンの眉が僅かに寄る。
後ろでハイネが小さく息を吐いた。
レオンは続ける。
「でも、あなた自身が命令を作ったわけじゃない」
返事はない。
「ハルトマンに伝えただけ」
沈黙。
「三七二号を潰せと」
ベルクマンの目が変わる。
わずか。
それで十分だった。
「当たり」
「勝手に決めるな」
「じゃあ違うって言えばいいでしょう」
「……」
「言わない」
エドガーがレオンを見る。
止める気はないらしい。
レオンはベルクマンへ向き直る。
「あなた、全部知ってるわけじゃないですよね」
「何故そう思う」
「知ってたら、自分の部屋にあんな証拠置かせないからです」
「置かれたと言っただろう」
「だからですよ」
レオンは拘束された両手を机に置いた。
「あなたを切る準備だったんでしょう」
ベルクマンの顔から、今度こそ笑みが消えた。
「黒い部品。第三経路の紙。全部、見つかればあなた一人で説明がつく」
エドガーも黙って聞いている。
「検査官の照会を潰した王室顧問会の書記長。自宅には黒い部品。第三経路との接点まである」
レオンは少し首を傾けた。
「綺麗すぎる」
ベルクマンが低く言う。
「想像に過ぎない」
「じゃあ聞きます」
レオンは即座に返した。
「あなた、黒い部品の使い方を説明できます?」
ベルクマンが止まる。
「第三経路が何と何を繋いでいたかは?」
答えない。
「グラド・バルグンの装置で、返還経路を塞ぐと何が起きる?」
ベルクマンの目に。
初めて。
明確な困惑が出た。
レオンは背もたれへ身体を預ける。
「知らないんだ」
「……」
「本当に」
それが少し意外だった。
少なくとも。
現場の技術についてはほとんど知らない。
ベルクマンは命令を通した。
書類を消した。
誰かと誰かを繋いだ。
だが。
何を作っていたのかまでは知らされていない。
「何て説明されたんです?」
ベルクマンは答えない。
「国家機密?」
反応なし。
「戦時中の極秘技術?」
まだ。
「他国に漏れれば軍事的損失になる?」
ベルクマンの顎が僅かに強張った。
レオンは息を吐いた。
「なるほど」
「何がだ」
「そう言われたんですね」
「……」
「それで検査官の照会を潰した」
ベルクマンが机を睨む。
「三人が死ぬとは知らなかった」
部屋が静まり返った。
エドガーの目が鋭くなる。
レオンはベルクマンを見る。
「今、初めてまともに答えましたね」
ベルクマンも気づいたらしい。
顔が歪む。
「検査官が死んだことは、あとから知ったんですか」
「……」
「誰に聞いたんですか?」
「知らん」
「またそれ」
ベルクマンが急に顔を上げた。
「知らんものは知らん!」
声が響く。
今までで一番大きかった。
「私は命令を受けた! 必要な処理だと言われた! 王国の防衛に関わる、余計な詮索をさせるなと!」
エドガーが訊く。
「誰に」
ベルクマンは口を開く。
だが。
声が出ない。
その顔を見て。
レオンは少しだけ眉を寄せた。
怯えている。
黙秘しているのではない。
言えない。
「殺される?」
ベルクマンの目がレオンへ向く。
それだけだった。
十分だった。
「あなたが喋ったら」
レオンが言う。
「誰かに殺されると思ってる」
ベルクマンは俯いた。
「……君には分からない」
「何が」
「この城で三十年生きるということがだ」
レオンは返事をしなかった。
六歳から。
十一年。
自分も十分長いと思っていた。
だが。
ベルクマンはその三倍近くいる。
「誰を信用していいか分からなくなる」
ベルクマンが小さく言った。
「ある日、命令が来る。正規の書式だ。正規の印だ。確認しても、確認先が同じことを言う」
レオンは黙って聞く。
「だから処理する。それが仕事だ」
「その結果、人が死んでも?」
「知らなかったと言った!」
「でも死んだあとも続けた」
ベルクマンが止まる。
そこだった。
知らなかった。
最初は。
なら。
検査官三人の死を知ったあと。
なぜ抜けなかった。
「何でです?」
レオンが訊く。
ベルクマンの肩が僅かに落ちた。
「……怖かった」
初めて。
王室顧問会書記長ではない声だった。
「もう戻れなかった」
レオンは何も言えなかった。
ベルクマンは机を見る。
「君は強いから分からんだろう」
「そうでもないですよ」
「嘘だ」
「俺も結構逃げてます」
「それは追手からだ」
ベルクマンは自嘲するように笑う。
「私が逃げたかったのは、自分が選んだことからだ」
その言葉だけ。
レオンの中に残った。
ユリウス。
国王。
自分。
選んだこと。
エドガーが静かに訊いた。
「最後だ。誰から命令を受けた」
ベルクマンは長く黙った。
そして。
ゆっくり顔を上げる。
「名前は知らない」
エドガーの眉が動く。
「ふざけるな」
「本当だ」
「三十年王城にいて、名前も知らない相手の命令を受けたと?」
「直接ではない」
ベルクマンは言った。
「書類だ」
レオンが訊く。
「どんな?」
「王室顧問会の内部回覧」
「署名は」
「なかった」
「印は?」
ベルクマンが目を閉じる。
「王家の紋章」
昨日から何度も出てくる。
同じ印。
「でも、それだけじゃ命令として弱いでしょう」
「添付されていた」
「何が」
ベルクマンは目を開いた。
「陛下しか知らないはずの情報が」
部屋の空気が止まった。
エドガーの表情が変わる。
「何の情報だ」
「軍議の内容。非公開の外交交渉。王族しか知らない予定。時には」
ベルクマンは一度言葉を切った。
「陛下と王子の、私的な会話まで」
レオンから。
さっきまでの軽さが消えた。
それは。
官僚一人の横流しでは説明しにくい。
王城の。
もっと内側。
「だから」
ベルクマンが言う。
「私は信じた」
誰かは分からない。
だが。
王家の意思だと思った。
あるいは。
そう思いたかった。
エドガーが扉を見る。
「この話を知っている者は」
「今ここにいる者だけです」
ハイネが答える。
エドガーは即座に命じた。
「全員、ここのことは誰とも話すな。記録官も王室直属に替える」
ベルクマンが笑った。
弱い笑いだった。
「無駄だ」
「何が」
「もう知っている」
エドガーが振り返る。
「誰が」
ベルクマンは首を振った。
「それが分からないから、私は黙っていたんだ」
レオンは。
尋問室の扉を見る。
その向こうには。
王城がある。
国王。
王子。
テア。
ローデリヒ。
官僚。
軍人。
兵士。
昔から知っている人間も知らない人間も大勢いる。
その誰かがずっと。
王家のすぐ近くにいる。
ベルクマンを捕まえたことで、ようやく一段上へ進んだ。
だが、そこから先は。
今までよりずっと狭くて危険だった。




