予算
翌朝。
レオンは机に向かっていた。
目の前には分厚い本が三冊。
王国刑法。
軍法規則。
戦時特別法。
昨日頼んだものだった。
「……多いな」
一冊目だけで嫌になってきた。
拘束具をつけたままページをめくる。
国家命令違反。
軍令違反。
公務執行妨害。
国外への不法逃亡。
禁制術式使用。
探せば探すほど増える。
「死刑になる?」
カイが横から覗き込んだ。
「朝一番にする質問ですか?」
「気になったので」
「組み合わせ次第では」
「なるんですか?」
「らしいです」
カイの顔が固まる。
レオンは本を閉じた。
「まあ、今すぐ首を切られることはないでしょう」
「何でそんなに平然としてるんですか」
「騒いで刑が軽くなるなら騒ぎますよ」
向かいではミリアが朝食のパンをちぎっていた。
「そういう問題じゃないと思う」
「じゃあどういう問題です?」
「普通はもう少し怖がる」
「怖いですよ」
「見えない」
「内面が豊かなので」
ガレスが窓際から言った。
「そういう奴が一番信用ならねえんだよ」
「皆して朝から酷いな」
扉が叩かれた。
返事をする前に開く。
セイル。
その後ろにエドガー。
さらに兵士が二人。
セイルの腕には昨日より多い書類が抱えられている。
レオンは刑法を横へ退けた。
「何か出ました?」
「出た」
セイルが書類を机へ置く。
「先に全員出ろ」
カイが不満そうな顔をした。
「俺たちも?」
「機密だ」
「昨日まで一緒に調べてたんですけど」
「ここは王都だ」
短く返される。
ガレスはすぐ立った。
「俺は面倒だから行く」
「潔いですね」
「昼飯になったら呼べ」
ミリアも立ち上がる。
レオンを見る。
「無理しないでね」
「座って話すだけですよ」
三人が出ていく。
部屋にはレオン、セイル、エドガー。
ヴァルトは当然のようにエドガーの横へ伏せた。
セイルが一枚目を開く。
「黒い部品の発注に使われた予算を辿った」
「昨日の研究予算ですね」
「ああ。予算そのものは実在する」
項目名が書かれている。
《遠隔魔力供給系統・共同規格化試験》
レオンが読む。
「聞いたことないです」
「当然だ。二年前に終了している」
「終了?」
レオンが顔を上げる。
「じゃあ、どうやって金を出したんです」
「再開されたことになっている」
次の書類。
日付は四か月前。
王国と魔族の戦争が本格化した頃だった。
「戦時特例?」
レオンが読む。
セイルが頷く。
「戦時中、停止中の研究計画を軍事上必要と判断した場合、簡略な手続きで再開できる」
「便利ですね」
「今の王国はそれで回っている部分も多い」
「誰が再開させたんです?」
「そこが問題だ」
セイルは三枚の書類を並べた。
研究再開申請。
予算執行許可。
国外搬出許可。
それぞれ。
違う部署。
違う責任者。
違う印章。
「全部本物?」
「印章はな」
「署名は?」
「二人は自分のものだと認めた」
レオンが眉を寄せる。
「じゃあ関係者じゃないですか」
「本人たちは、別件だと思って承認したと言っている」
「別件?」
セイルが研究再開申請を指す。
「技術局では、前線の魔導器へ遠隔で魔力を補給する試験」
次。
「軍需局では、ドワーフ製部品の耐久試験」
さらに次。
「国外搬出時には、鉱山設備用の予備部材」
レオンは三枚を見る。
「説明が全部違う」
「だが、それぞれの部署だけ見れば不自然ではない」
エドガーが言った。
「誰も全体を見ていなかった」
「それで通るんですか?」
「通ったからここにある」
嫌な話だった。
黒魔術でもない。
高度な偽造術でもない。
一人ずつ。
必要な部分だけ見せる。
「……役所を使ったんだ」
レオンが呟く。
セイルが見る。
「何?」
「誰か一人を騙したんじゃない」
レオンは書類を順番に並べ直す。
「部署ごとに、別の正しい仕事に見えるようにしてる」
技術局。
軍需局。
税関。
ドワーフ側。
どこでも。
目の前の紙だけなら、おかしくない。
「これを作った奴」
レオンが言う。
「王国の行政をかなり分かってますよ」
「同意見だ」
セイルが答えた。
「外の人間には難しい」
エドガーが言う。
「内部協力者がいる」
「一人とは限りませんね」
「むしろ一人で全部やれば目立つ」
レオンは書類を見る。
何人かが。
自分の担当だけをこなした。
その中に。
意図を知っていた者が何人いるのか。
「戦時特例を最初に指定したのは?」
レオンが訊く。
セイルが別の紙を出す。
そこだけ。
署名がない。
代わりに番号。
《第二種緊急技術指定》
「これが付くと」
セイルが説明する。
「安全保障上の理由で、通常の審査をいくつか飛ばせる」
「誰が付けられるんです?」
「国王」
一人。
「王太子」
二人。
「軍最高司令部」
三つ。
「王室顧問会」
レオンの目が止まる。
「広いですね」
「意図的に広くしてある。戦争中、国王一人の決裁を待っていたら間に合わない」
「陛下は?」
「指定していないと言っている」
「王子殿下も?」
「同じだ」
「軍は」
「記録がない」
レオンは番号を見る。
「じゃあ王室顧問会」
「そちらも記録上はない」
「誰もやってない?」
「なのに指定番号は正規のものだ」
レオンは椅子へ深く座った。
「嫌になってきた」
「珍しいな」
エドガーが言う。
「もっと楽しそうにするかと思った」
「俺を何だと思ってるんです?」
「面倒事を見ると、おもちゃを見つけた子供のように首を突っ込む人間だ」
「否定しづらい」
扉が軽く叩かれた。
兵士が開ける。
「失礼いたします」
昨日の男が入ってくる。
灰色の衣。
国王の側近。
腕には古い帳簿を抱えていた。
「ローデリヒ様」
セイルが立つ。
レオンも顔を上げた。
ローデリヒ・ヴァイス。
王室顧問。
国王に仕えて三十年近い。
レオンが王都へ来た時には、すでに国王の隣にいた。
「お邪魔でしたかな」
「いえ」
セイルが答える。
「何か?」
「昨日、レオン様からグラド・バルグンという名を聞きまして」
ローデリヒが帳簿を机へ置く。
「少し気になったものですから、古い外交記録を探しておりました」
レオンが目を丸くする。
「一晩で?」
「年寄りは朝が早いのですよ」
「限度があるでしょう」
ローデリヒは笑った。
「残念ながら、グラド本人について王国側の記録はほとんどありませんでした。ただ」
帳簿を開く。
「別のものを見つけました」
古い工事記録。
十七年前。
王国とドワーフ領を結ぶ最初期の魔導器中継線。
レオンが身を乗り出す。
「これが?」
「今回使われた搬入経路と、ほぼ同じです」
セイルが帳簿を取る。
ページをめくる。
表情が変わった。
「旧中継線か」
「現在は使われていないはずですがな」
レオンも見る。
王国。
山間部。
ドワーフ領。
今回の黒い部品が通った経路と重なる。
「誰がこの記録を見られるんです?」
「王室文書庫に入れる者なら」
「人数は」
「それなりに」
また。
絞れない。
ローデリヒがレオンを見る。
「焦ってはいけませんよ」
「俺、焦って見えます?」
「六歳の頃から見ておりますので」
「それを言われると弱いな」
「あなたは答えが見え始めると、その先を急ぎすぎる」
レオンは少し黙った。
最近。
似たようなことばかり言われている気がする。
「今回は」
ローデリヒが穏やかに続ける。
「あなた一人で調べる必要はないのです」
レオンは帳簿から顔を上げた。
「……そうですね」
「ええ」
ローデリヒは微笑んだ。
「そのために帰ってきたのでしょう」
レオンは少し考えて。
頷いた。
「多分」
「なら結構」
セイルが帳簿を読み進めていた。
突然。
手が止まる。
「待て」
レオンが見る。
「何です?」
セイルは答えず。
一枚の紙を抜いた。
新しい。
十七年前の帳簿には明らかに合わない紙。
「これ」
机へ置く。
ドワーフ領から王国へ送られた報告書。
日付。
三人の設備検査官が死ぬ二日前。
レオンの表情が変わる。
件名。
《未登録配管に関する照会》
「……届いてた?」
誰も答えない。
王国側へ。
検査官は報告していた。
黒い配管を見つけた。
正規の設備ではない。
確認を求める。
その下。
王国側の処理。
《既報告案件との重複につき、照会不要》
さらに。
《処理済》
レオンが紙を見る。
「誰が処理したんです」
セイルが裏返す。
「担当者名がない」
「そんなことあるんですか」
「ない」
エドガーの声が低くなる。
レオンは日付を見る。
二日後。
三人は死んだ。
つまり。
「王都に」
レオンが言った。
「知ってた奴がいる」
部屋が静まる。
黒い配管が見つかったことを。
検査官が疑ったことを。
王国へ報告したことを。
誰かが知った。
そして。
報告を止めた。
二日後。
三人が殺された。
ローデリヒの顔からも笑みが消えている。
「これは」
低い声。
「陛下へすぐに」
「待ってください」
レオンが言った。
全員が見る。
「原本ですか」
セイルが紙を見る。
「おそらく」
「複製を取る」
レオンは言った。
「何部か」
エドガーが眉を上げる。
「なぜ」
「消えたら嫌なので」
短い沈黙。
ローデリヒが。
ほんの少し笑った。
「それでよろしい」
レオンを見る。
「今度は、慎重になられましたな」
レオンは報告書から目を離さなかった。
王都。
この城。
技術局。
軍。
官僚。
誰かがいる。
その事実だけが。
ようやく。
紙の上に姿を現した。




