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第10話 王都

王都が見えたのは、昼を少し過ぎた頃だった。


丘の向こう。


白い城壁。


その奥に並ぶ尖塔。


さらに高い場所に、王城がある。


レオンは足を止めた。


「……着きましたね」


カイが隣に立つ。


「はい」


「懐かしいですか?」


「全然」


「即答ですね」


実際。


懐かしいという感情は、あまりなかった。


見慣れている。


それだけだった。


六歳でここへ来た。


魔術学校へ入った。


資格を取った。


国の仕事をした。


勇者パーティに入った。


追放された。


全部、この街だった。


「俺は嫌いだ」


ガレスが後ろから言った。


「聞いてないです」


「人が多い」


「そこですか」


「酒が高い」


「もっとどうでもいいですね」


ミリアは王都を見ながら、少し不安そうな顔をしている。


「本当に、このまま行くの?」


「そのつもりです」


「門から?」


「はい」


「変装とかは」


「しません」


「裏道は?」


「使いません」


ガレスが眉を上げる。


「珍しいな」


「何がです」


「逃亡犯らしくない」


「逃亡犯らしく王都へ侵入したら、話を聞いてもらえないでしょう」


「まあな」


レオンは背負った荷物を見る。


証拠。


それだけは、何があっても失えない。


ドワーフ領を出てから、何度も確認した。


グラド・バルグンの記録。


第三経路の測定記録。


黒い追加部品。


工事記録。


発注書。


王立魔導技術局の印章。


王国側で起きた停止時刻との照合。


全部ある。


それでも。


これを持って帰れば無罪になるわけではない。


逃げたことも。


軍命令に従わなかったことも。


禁じられた術式を使ったことも。


消えない。


レオンは歩き出した。


「行きましょう」


街道を下る。


王都へ近づくにつれて、人が増えた。


商人。


荷車。


旅人。


兵士。


そして。


検問。


以前より明らかに多い。


城門のかなり手前から兵士が立っている。


「……多いですね」


カイが言う。


「戦時中ですから」


レオンは答えた。


だがそれだけではない。


街道脇。


掲示板。


紙が何枚も貼られている。


その一枚に。


見覚えのある顔があった。


レオンは足を止めた。


「先生?」


カイも見る。


似顔絵。


あまり似ていない。


名前。


レオン・アルヴェイン。


その下。


国家命令違反。


重要参考人。


拘束命令。


「……もうちょっと格好よく描いてほしいですね」


レオンが言った。


ミリアが呆れた顔をする。


「気にするところ、そこ?」


「鼻が変です」


「本人より良く描かれてるんじゃねえか」


ガレスが言う。


「目、大丈夫ですか?」


「喧嘩売ってんのか」


「先に売ったのはそっちでしょう」


カイは紙の下を読んでいた。


表情が変わる。


「先生」


「何です」


「これ」


指を差す。


《抵抗した場合、武力行使を許可する》


レオンも読む。


「……」


「これって」


「書いてある通りでしょう」


「でも」


「まだ死刑とは書いてないですよ」


「そこじゃないです」


ミリアがレオンを見る。


「引き返す?」


「せっかく我が家に帰ってきたのに?」


「冗談じゃなくて」


「分かってます」


レオンは掲示から目を離した。


「行きます」


街道の先。


城門。


兵士。


そのさらに向こう。


王都。


「ここで戻ったら、ユリウスが死んだ意味もなくなる」


ミリアは何も言わなかった。


レオンも、それ以上言わなかった。


歩き出す。


検問まで、あと百歩ほど。


兵士の一人がこちらを見る。


まだ気づいていない。


五十歩。


別の兵士も見る。


二十歩。


一人の表情が変わった。


「止まれ!」


声が飛ぶ。


周囲の兵士が一斉にこちらを向く。


槍。


剣。


魔導器。


レオンは立ち止まった。


両手を上げる。


「レオン・アルヴェインだな!」


「はい」


兵士たちがざわめく。


「武器を捨てろ!」


レオンは腰の杖を見る。


外す。


地面へ置く。


それから。


もう一本。


ユリウスの杖。


一瞬。


手が止まる。


だが。


それも置いた。


「他には!」


「ありません」


「荷物を下ろせ!」


「それは嫌です」


空気が変わった。


魔導器の照準が上がる。


カイが息を呑む。


「先生」


レオンは動かない。


「この中に、王国の安全保障に関わる証拠があります」


兵士が怒鳴る。


「命令だ! 下ろせ!」


「下ろします。ただし、これは機密情報です。責任者の立ち会いをお願いします」


「貴様――」


「触らせるな」


別の声がした。


兵士たちの動きが止まる。


街道の向こう。


城門側から、一人の男が歩いてくる。


長身。


濃紺の外套。


腰には細身の長剣。


年齢は三十前後。


歩き方に迷いがない。


その隣を。


大きな灰色の獣が歩いていた。


狼。


いや。


狼に似ているが、普通の狼より一回り大きい。


肩の高さだけでカイの腰近くまである。


灰色の毛。


青い目。


額から首筋へ、細い魔術紋が走っている。


使い魔。


獣はレオンを見る。


鼻を鳴らした。


男が止まる。


「随分堂々と帰ってきたものだな」


レオンは顔を見る。


「誰ですか」


男の眉が動いた。


「……久しぶりの再会というのにいい度胸だな、知らないフリとは」


「知らないですね」


少し間があった。


明らかに気分を害している。


「ああ、エドガー・ヴァレンシュタインさんだ」


ヴァレンシュタイン。


その姓を知らないものなどいない。


侯爵家。


軍にも官僚にも人を出している古い名門一家だ。


「ようやく分かったか」


「お久しぶりですね」


「以前『俺のことは生涯忘れまい』と言ったことへの当てつけか?」


「そんなこともありましたっけ」


エドガーの目が細くなる。


ガレスが後ろで小さく笑った。


「貴様」


「何です」


「想像していた以上に無礼だな、相変わらず」


「何年かぶりでいきなり嫌味を言われたので」


「平民が侯爵家の人間と口を利ける時点で十分寛大だろう」


カイが固まった。


ミリアも顔をしかめる。


レオンは数秒、エドガーを見た。


「帰っていいですか?」


「なぜそうなる」


「話が進まないので」


「本当に腹の立つ男だな」


「相変わらず気が合いませんね」


「奇遇だな、珍しく」


灰色の使い魔が一度、低く鳴いた。


エドガーが視線だけを落とす。


「ヴァルト」


狼――ヴァルトは口を閉じた。


エドガーの左手が自然にその首筋へ触れる。


ほんの一瞬。


撫でる。


レオンはそれを見る。


エドガーはすぐ手を離した。


「荷物は私が確認する」


「嫌です」


「命令だ」


「あなたを信用する理由がない」


兵士たちがざわつく。


エドガーは怒るかと思った。


だが。


「当然だな」


レオンの方が少し驚いた。


「……意外ですね」


「国家反逆の疑いをかけられた人間が、証拠品を適当な軍人へ渡す方が問題だ」


エドガーは兵士へ向く。


「記録官を呼べ。開封から封印まで全工程を記録する。証人を三人」


「はっ!」


「それと魔導技術局の者は呼ぶな」


レオンの目が動く。


「なぜです?」


「お前の持っている証拠とやらが、本当にあの局に関係するものなら、最初に触らせる馬鹿はいないだろう」


レオンはエドガーを見る。


「話は聞いてるんですね」


「一部だけだ」


「どこまで」


「ドワーフ領で異常接続が発生したこと」


一歩。


「王国側の魔導器網が三十二秒停止したこと」


もう一歩。


「そして」


エドガーが荷物を見る。


「その直後、お前が王国へ向かったこと」


「監視されてました?」


「国境を越えて逃亡していた人間が言う台詞か?」


「質問に答えてください」


「ドワーフ側から正式な連絡が来た」


レオンは少し安心する。


少なくとも。


ボルグたちの記録は届いている。


「なら話が早い」


「早くはない」


エドガーが言った。


「お前は逮捕する」


カイが一歩出た。


「待ってください!」


ヴァルトが顔を上げる。


唸らない。


ただカイを見る。


それだけで。


カイの足が止まった。


エドガーが続ける。


「レオン・アルヴェイン。国家命令違反、軍規違反、禁制術式使用、拘束命令下からの逃亡」


「分かってます」


「加えて、国外への無許可出国」


「それも付くんですね」


「当然だ」


「多いな、いくつあるんだ?」


ガレスが呟く。


「数えないでください」


レオンが返す。


エドガーは腰から拘束具を取り出した。


金属ではない。


魔術師用。


手首を繋ぎ、魔力経路まで抑えるもの。


レオンはそれを見る。


「抵抗するか?」


「しません」


ミリアが振り向く。


「レオン」


「最初からそのつもりです」


「でも」


「王都へ入るために来たんです」


エドガーを見る。


「王の前まで連れていってくれるんでしょう?」


「それは私が決めることではない」


「じゃあ誰が」


「陛下ご自身だ」


レオンは少しだけ笑った。


「十分です」


両手を前へ出す。


エドガーが拘束具を嵌める。


冷たい。


魔力が沈む。


身体の奥が少し重くなる。


久しぶりの感覚だった。


「……性能上がりました?」


レオンが訊く。


エドガーが眉を上げる。


「分かるのか」


「前の型より干渉が均一です」


「試作品だ」


「王立魔導技術局?」


「違う」


「なら安心しました」


「お前」


エドガーが低く言う。


「この状況で、よくそんなことを言えるな」


「この状況だからこそでしょう」


拘束された手を見る。


「何もできないので」


「何も?」


エドガーが鼻で笑った。


「本気でそう思っているなら、私はここまで出てきていない」


レオンが顔を上げる。


エドガーは真顔だった。


「国選勇者パーティに十一歳で入り、六年間生き残った。数々の戦果をあげ、王国を救った英雄の魔術師だ」


周囲の兵士たちにも聞こえる。


「杖がなくとも術式を組む」


ヴァルトがレオンの匂いを嗅ぐ。


「黒魔術まで使う」


周囲のざわめきを無視してエドガーは続ける。


「拘束具一つで安心するほど、私は無能ではない」


レオンは少し黙った。


「評価してるんですか」


「能力だけはな」


即答だった。


「態度も思想も、何より身分が気に入らん」


「思想はまだ話してませんよ」


「顔を見れば分かる」


「無茶苦茶だ」


「だが能力は認める」


エドガーが背を向ける。


「だから私が来た」


ヴァルトも主人の隣へ戻る。


レオンはその背中を見る。


嫌な男だ。


かなり。


ただ。


馬鹿ではない。


それだけは分かった。


「他の四人は?」


エドガーが訊く。


ミリアが口を開く。


「私たちは」


「現時点では拘束命令は出ていない」


エドガーが言う。


「だが事情聴取は受けてもらう」


「同行していいんですか」


「勝手にしろ」


ガレスが肩を竦めた。


「貴族様は言い方を知らねえのか」


エドガーが振り返る。


「文字もおぼつかない冒険者に礼儀を説かれる日が来るとはな」


「喧嘩なら買うぞ」


「やめてください」


レオンが言う。


二人が同時にこちらを見る。


「何だ」


「何だよ」


「俺が一番まともに見える状況を作らないでください」


カイが吹き出した。


ミリアも口元を押さえる。


エドガーだけは笑わなかった。


「行くぞ」


一行が動き出す。


城門。


近づく。


レオンの顔に気づく人が増える。


視線。


囁き。


「レオン・アルヴェイン?」


「勇者の?」


「追放された奴だろ」


「捕まったのか」


「何で戻ってきた」


聞こえる。


レオンは前を見る。


門をくぐる。


王都。


六歳から十一年間いた街。


通りは変わっていた。


魔導器の街灯。


自走する小型運搬車。


店先の加熱器。


水を汲み上げるポンプ。


五年前には珍しかったものが。


今は。


どこにでもある。


子供が一人。


母親の手を握りながら、小さな魔導器を操作している。


火花。


露店の小さな炉へ火がつく。


子供が笑う。


レオンはそれを見る。


ユリウスの声が蘇る。


魔術師がいらなくなっても、お前だけはいらなくならない。


視線を逸らした。


「三十二秒」


前を歩いていたエドガーが言った。


「何です」


「先日の停止だ」


レオンが顔を上げる。


「王都でも止まった」


「……被害は」


「軽微」


レオンは息を吐いた。


「死者は?」


「確認されていない」


足が少し軽くなる。


だが。


エドガーは続ける。


「運が良かっただけだ」


レオンは黙る。


「軍施設も止まった。病院も一部。給水設備も」


「分かってます」


「分かっているならいい」


エドガーは前を見る。


「だからこそ、お前の証拠には価値がある」


「……」


「本物ならな」


「本物です」


「判断するのはお前ではない」


レオンは少し顔をしかめた。


だが。


反論しなかった。


ユリウス。


ハーゲン。


そして。


自分。


正しいと知っていること。


正しいと決めること。


同じではない。


「そうですね」


エドガーが僅かに振り返った。


「素直だな」


「俺だって成長するんですよ」


「気味が悪い」


「やっぱり気が合いませんね」


「俺は安心したぞ」


王城が近づいてくる。


見慣れた塔。


見慣れた旗。


見慣れた門。


そこへ続く道を。


レオンは両手を拘束されたまま歩いている。


六歳の時は。


迎えの馬車だった。


十一歳の時は。


勇者の一員として。


そして十七歳。


今度は。


逃亡犯として。


ヴァルトが一度、レオンを見る。


そのまま前を向く。


エドガーが言った。


「レオン・アルヴェイン」


「何です」


「ここから先は王城だ」


「見れば分かります」


「黙って聞け」


「はいはい」


「お前の知っている王都だと思うな」


レオンの表情が変わった。


「どういう意味です」


エドガーは答えなかった。


王城の門が開く。


その向こう。


整列した兵士たち。


そして。


一番奥に。


見覚えのある三人が立っていた。


レオンの足が止まる。


向こうも。


動かない。


何年ぶりだろう。


いや。


実際には。


それほど経っていない。


それなのに。


ひどく昔のように感じた。


旧第三国選勇者パーティ。


かつて。


自分がいた場所。


エドガーが振り返る。


「どうした」


レオンは答えなかった。


そのうち一人が。


こちらへ歩き出した。


レオンは拘束された両手を見た。


それから。


顔を上げる。


「……久しぶり」


返事は。


すぐには来なかった。

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