決断
誰もすぐには答えなかった。
黒い柱の数字だけが進む。
八十九。
レオンは杖を向けたまま、ユリウスを見る。
「少しくらい?」
「ああ」
「病院が止まってるんですよ」
「全部じゃない」
「だから?」
ユリウスの顔が歪んだ。
「数時間だ」
「何がです?」
「数時間、魔導器が使えなくなる。それだけだ」
レオンは一瞬、言葉を失った。
「それだけ?」
「昔はなくても生きてただろ」
「今はある前提で生活してる」
カイが言った。
ユリウスがそちらを見る。
「だから何だ」
「急に止まったら困ります。水も、輸送も、治療も」
「困るだけだ」
レオンの眉が動いた。
ユリウスは続ける。
「街がなくなるわけじゃない。国が滅びるわけでもない」
「人は死ぬかもしれない」
ミリアが言った。
ユリウスは黙る。
「治療中の人もいる」
ミリアの声は静かだった。
「数時間が命取りになる人もいるよ」
「……分かってる」
「分かってて止めないの?」
ユリウスは答えない。
九十。
レオンはゆっくり杖を下ろした。
攻撃するためではない。
話すために。
「ユリウス」
「何だ」
「何時間ならいいんです?」
「……は?」
「一時間?」
返事はない。
「三時間?」
ユリウスが顔をしかめる。
「そういう話じゃない」
「じゃあ一日?」
「レオン」
「どこまでなら『少しくらい』なんですか」
「数字の話をしてるんじゃない」
「なら何の話です?」
ユリウスが口を開く。
閉じる。
九十一。
レオンは待った。
今度は急かさなかった。
しばらくして。
ユリウスが黒い柱を見る。
「一度くらい」
「何が?」
「止まればいいと思っただけだ」
「なぜ」
「……」
「なぜです?」
「便利すぎるんだよ」
レオンは黙る。
「何でも魔導器だ」
ユリウスが言った。
「火をつけるのも。水を出すのも。荷物を運ぶのも。治療も。戦争も」
「便利だから使われてるんでしょう」
「ああ」
ユリウスは笑った。
笑っているようには見えなかった。
「便利だからな」
その言葉だけで終わった。
レオンには、それ以上があると分かった。
だが、今は聞く時間がない。
九十二。
ボルグが工具を握り直す。
「レオン」
「はい」
「続けるぞ」
ユリウスが一歩動いた。
レオンも同時に杖を上げる。
「止めないでください」
「まだ間に合う」
「何が?」
「調べるんだ」
「もう十分調べました」
「足りない」
「病院まで止まってる」
「まだ死者は確認されてない!」
「人を殺す気か!」
声が重なる。
その瞬間。
ユリウスの顔に、はっきりと怒りが出た。
「死んだら急に問題になるのかよ」
レオンが止まる。
「……何?」
ユリウスも自分の言葉に気づいた。
だが、今度は引っ込めなかった。
「死ななきゃ問題じゃないのか?」
「何の話をしてるんです」
「仕事を失うくらいなら?」
レオンの目が細くなる。
「家を失うくらいなら?」
「ユリウス」
「魔術師が何千人いらなくなっても、それは人が死んでないから問題じゃないのか?」
ついに出た。
だが。
まだ叫んではいない。
ユリウスの声はむしろ静かだった。
その方が重かった。
レオンはすぐに返せなかった。
「……それとこれとを一緒にするんですか」
ようやく言う。
「してない」
「してます」
「違う」
「じゃあ、なんで今それを言ったんです?」
ユリウスが黙る。
ガレスが少し離れたところで二人を見ている。
ミリアも何も言わない。
誰も助け舟を出さなかった。
ユリウスが息を吐く。
「……忘れろ」
「無理です」
「今は装置の話だ」
「だからしてる」
レオンは黒い柱を指す。
九十三。
「あなたはこれを止めたくない」
「違う」
「じゃあ退いてください」
ユリウスは動かない。
それが答えだった。
レオンは少しだけ目を伏せた。
「そうですか」
「レオン」
「ボルグさん」
「何だ」
「作業を続けてください」
ボルグが頷く。
工具が黒い留め具へ入る。
ユリウスが手を上げた。
魔力が集まる。
今度は明確だった。
攻撃の準備。
ガレスが剣を抜く。
「やるのか」
ユリウスはガレスを見ない。
レオンだけを見ている。
「やめろ」
「嫌です」
「一回止まれば分かる」
「何が?」
「どれだけ頼ってるかだ」
「そんなことを証明するために王国中の人を危険に晒すんですか?」
「危険なんてどこにでもある!」
声が荒くなる。
「魔術師が前線に送られるのは危険じゃないのか!」
レオンの顔が変わった。
「何で今、前線の話が出るんです」
ユリウスの口が止まる。
遅かった。
カイも気づいている。
ミリアも。
ユリウスが苦い顔をする。
「……王国は都合が良すぎる」
レオンは何も言わない。
「平和な時はいらない」
一言。
「戦争になったら呼び戻す」
もう一言。
「それだけだ」
さっきより深いところまで出た。
レオンは慎重に聞く。
「それが、第三経路を止めない理由ですか」
「理由の全部じゃない」
「じゃあ何割です?」
ユリウスが少しだけ笑った。
「相変わらずいけ好かないガキだ」
今度の笑いには、わずかに昔の面影があった。
レオンも少しだけ表情を緩めた。
だが一瞬だった。
九十四。
「退いてください」
「退かない」
「ユリウス」
「俺はまだ、止めるべきじゃないと思ってる」
「技術的に?それとも私怨?」
沈黙。
その答えは、もう出なかった。
レオンは杖を握る。
「分かりました」
「何がだ」
「もう技術の話だけじゃないってことです」
ユリウスの顔が険しくなる。
「勝手に決めるな」
「なら退いてください」
「嫌だ」
「じゃあ止めます」
魔力が集まる。
今度はレオンの杖にも。
ミリアが一歩出る。
「待って」
二人とも見る。
「ここで戦ったら装置壊れない?」
レオンが止まった。
ユリウスも。
正しい。
中央装置。
六百年前の器。
中心を壊せば、繋いだ先へ流れる。
最悪の場所だった。
ガレスが周囲を見る。
「外に出すぞ」
「誰を?」
カイが聞く。
「二人ともだ」
「ガレス」
レオンが言う。
「何だ」
「ユリウスがここから動くと思います?」
全員がユリウスを見る。
ユリウスは答えない。
代わりに。
足元へ魔術式が広がった。
円形。
青白い光。
レオンがすぐに分かった。
「転移じゃない」
「何だ?」
ガレスが聞く。
「封鎖です!」
光が走る。
ボルグがいる装置側と、レオンたちの間。
透明な壁が立ち上がった。
「ボルグさん!」
レオンが走る。
間に合わない。
結界が閉じる。
ボルグと装置だけが向こう側。
こちらにレオン、ガレス、ミリア、カイ。
そしてユリウス。
「何してるんです!」
レオンが叫ぶ。
ユリウスは苦しそうに息を吐いた。
腹の傷が開いたのか、包帯に赤いものが滲む。
それでも魔術を維持している。
「時間を稼ぐ」
「何の!」
「第三経路が開くまでだ」
黒い柱。
九十五。
レオンは結界へ杖を向ける。
「解除してください」
「嫌だ」
「ユリウス」
「数分だ」
その言葉で。
レオンの表情が変わった。
ユリウスは続ける。
「数分だけ、見ろ」
「何を」
「王国が」
魔力がさらに強くなる。
「魔術師なしで、どこまでやれるか」
九十六。
レオンはもう説得しなかった。
杖を構える。
ユリウスも。
昔の友人同士。
初めて、明確に敵として向き合った。




