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第2話 魔術師の値段

「辞退します」


翌朝。


レオンは召集令状を机の上へ置いて言った。


ミリアはパンをちぎる手を止めた。


「昨日、ちょっと嬉しそうだったのに?」


「嬉しそうじゃない」


「口角が上がってた」


「上がってない」


「上がってたよ」


「人の顔をあんまりジロジロ見ないでもらえます?」


「じゃあ辞退するんだ」


「します」


レオンは固いパンをスープに沈めた。


少し待つ。


持ち上げる。


まだ固い。


この教会では、水分に浸してさえ己を曲げないことがパン職人の信仰なのかもしれない。


「どうやって?」


「何が」


「召集令。王国法だと、治癒師と上級魔術師は戦時召集の拒否できないでしょ」


レオンは黙った。


「知ってた?」


「もちろん」


「じゃあ辞退できないじゃない」


「できるかもしれない」


「どうやって?」


「病気になる」


ミリアはレオンを見た。


「治癒師なのに?」


「だからこそ説得力があるでしょう」


「ないよ」


「重い持病ということにして」


「昨日、地下闘技場で三人倒してきた人が?」


レオンの匙が止まった。


「……何で三人って知ってるんです?」


「当たった」


「今のは卑怯でしょう」


「本当に三人だったんだ」


ミリアが笑う。


レオンはスープを飲んだ。


ぬるかった。


「とにかく、行きたくない」


「戦場が怖い?」


「別に」


「じゃあ王都?」


「別に」


「昔の人に会いたくない?」


「別に」


「勇者パーティのみんなとか」


「別に」


「王様とか」


「しつこいな」


少し強く匙を置いた。


木の卓に音が響いた。


ミリアはそれ以上追及しなかった。


その代わり、少ししてから言った。


「私は行くよ」


レオンが顔を上げる。


「何で」


「召集だから」


「それは理由になってない」


「十分じゃない?」


「ならない。戦場ですよ」


「知ってる」


「人が死ぬところです」


「知ってるよ」


「治癒院じゃない。野戦救護ですよ。矢も飛んでくるし、魔術も飛んでくる。前線が崩れたら治癒師から殺される」


「うん」


「うん、じゃなくて」


「レオン」


「何です」


「私、子供じゃないよ」


レオンは口を閉じた。


「それに、怪我した人がいるんでしょう」


ミリアはそれだけ言って、残りのパンを食べた。


レオンは少しの間、その顔を見ていた。


「……そういう理由で死ぬ奴、嫌いなんですよ」


「どういう理由ならいいの?」


答えが出なかった。


ミリアは椅子から立ち上がった。


「患者さん来るから、片づけて」


「俺が?」


「昨日、当番代わったでしょ」


「俺、元勇者なんだけど」


「だから何?」


レオンは黙って皿を持った。


*


昼までに診た患者は二十三人だった。


熱病が四人。


切創が六人。


腰痛が三人。


骨折が一人。


咳が二人。


歯痛が一人。


残りは、レオンの基準では「寝れば治る」。


最後の一人は十歳くらいの少年だった。


「痛い?」


「痛くない」


「嘘つけ」


「痛くない!」


「じゃあ帰っていいですよ」


「痛い!」


少年は右膝を押さえた。


擦り傷。


大したものではない。


ただ、砂がかなり入っている。


「転んだ?」


少年は頷く。


その隣で母親らしい女が頭を下げた。


「すみません。こんな怪我で」


「別に。洗います」


レオンは水を張った盆を引き寄せた。


少年が警戒する。


「しみる?」


「しみます」


「嫌だ」


「じゃあ砂が入ったままになります」


「魔術で治してよ」


「できますけど」


「じゃあそれで!」


「砂も一緒に皮膚の中に閉じ込めますよ」


少年の顔が引きつった。


「……洗う」


「賢い」


傷口へ水を流す。


少年が歯を食いしばる。


「痛い?」


「痛くない!」


「そう」


「いたっ!」


「はい」


「今わざと強くやった!」


「気のせいです」


「絶対やった!」


母親が慌てて頭を下げる。


レオンは気にせず、最後の砂粒を取り除いた。


「もう魔術使える?」


少年が訊いた。


「使えます」


「すごいやつ?」


「まあ」


「火出せる?」


「出せます」


「雷は?」


「出せます」


「飛べる?」


「少しなら」


少年の目が輝いた。


その瞬間、母親が困ったように笑った。


「この子、最近ずっと魔術に夢中で。父親に練習用の魔導器を買ってもらったんです」


少年は得意げに腰の袋を探った。


取り出したのは、拳ほどの円盤だった。


表面に三本の導線。


廉価な児童用魔導器。


レオンは見覚えがあった。


「火が出るんだ」


「へえ」


「見てて」


「室内ではやめてください」


「ちょっとだけ!」


「やめろ」


少年の指が止まった。


レオン自身も、少し驚いた。


声が強すぎた。


少年が円盤を握りしめる。


さっきまでの笑顔が消えていた。


「……すみません」


母親が言った。


「違う」


レオンは眉間を押さえた。


「君が悪いんじゃない」


少年は黙っている。


レオンは円盤を指した。


「それ、貸して」


おそるおそる差し出される。


レオンは裏返した。


量産品。


玩具に近い。


だが安全装置はきちんとしている。


魔力の放出量も、子供では火傷させるほどにはならない。


昨日、街で売られていたものと同じ系列だ。


「ここ」


レオンは側面の小さな刻印を指した。


「指を置く場所、少しずれてる」


「え?」


「親指はこっち。そうすると魔力が真ん中を通る」


少年が円盤を受け取る。


「こう?」


「そう」


「先生もこれ使う?」


「使いません」


「なんで?」


「自分でできますから」


「やっぱり魔術師の方がすごいじゃん」


レオンは一瞬、答えに詰まった。


母親が苦笑する。


「この子、魔術学校に入りたいって言ってるんです」


「魔力は?」


「ほとんどありません」


少年がうつむく。


十年前なら、そこで話は終わっていただろう。


まともに魔力がない。


なら魔術師にはなれない。


才能がない。


諦めろ。


そういう世界だった。


「別にいいんじゃないですか」


少年が顔を上げた。


「魔導技師になればいい」


「まどうぎし?」


「魔導器を作る人。下手な魔術師よりずっと魔術に詳しい人もいる」


「先生より?」


「それは……」


レオンは少し考えた。


「分野によっては」


「いるんだ!」


なぜそこだけ嬉しそうなのか。


少年は母親の袖を引っ張った。


「俺それになる!」


「昨日は騎士だったでしょう」


「両方なる!」


「大変だねえ」


母親が笑った。


診療を終えて二人が帰る。


少年は扉の向こうへ消える直前、振り返った。


「先生!」


「何」


「ありがとう!」


「どういたしまして」


扉が閉じた。


レオンはしばらくそこを見ていた。


背後からミリアの声がした。


「優しいところあるじゃない」


「盗み聞きですか?」


「隣の部屋まで聞こえてた」


「壁が薄いんですよ」


「魔導器、嫌いなのに」


「だから嫌いじゃないって言ってるでしょう」


レオンは使った器具を洗い始めた。


「便利なものは便利です。才能がない奴でも魔術を使える。それの何が悪いんです」


「じゃあ、何で見るたびに嫌そうな顔するの?」


水の音だけが続いた。


「……気に入らないから」


「何が?」


レオンは答えなかった。


自分でも、どこまでが本当なのか分からなかった。


術式が気に入らない。


構造が気に入らない。


自分に理解できないことが気に入らない。


それだけならよかった。


たぶん。


*


日が沈む頃、レオンは教会を抜け出した。


正面からではない。


裏門から。


「今日は散歩?」


背後から声がした。


レオンは振り返った。


二階の窓からミリアが顔を出している。


「そうです」


「拳から転ばないようにね」


「善処します」


「明日の朝、包帯交換あるから遅刻しないで」


「分かってます」


「あと神父様にばれてるよ」


レオンの足が止まった。


「何が」


「全部」


「全部って」


「地下闘技場」


「……いつから?」


「最初からじゃない?」


「何で止めないんですか」


「知らない」


ミリアは窓を閉めた。


レオンはしばらく教会を見上げた。


「何なんだよ……」


*


王都南区。


夕方を過ぎると、表通りの店は次々と扉を閉じる。


代わりに、路地裏の店が開く。


酒。


賭博。


娼館。


薬。


喧嘩。


そして、闘技場。


入口は古い染物工房の地下にあった。


錆びた扉を開けると、熱気と歓声が吹きつけてくる。


「お、来たな」


受付の禿頭の男が笑った。


「今日は遅いぞ、先生」


「仕事です」


「立派なことで」


男は帳簿をめくる。


「相手は?」


「誰でも」


「魔術あり?」


「なし」


「またかよ」


「魔術使ったら勝負にならないでしょう」


「お前が言うと嫌味だな」


男がニコニコと言うと、レオンは銀貨を置いた。


男は受け取らない。


「今日は参加費はいらん」


「何で?」


「客がついてる」


「俺に?」


「元勇者様が素手で殴り合うんだぞ。そりゃ人気も出る」


レオンの顔から笑みが消えた。


受付の男はすぐに両手を上げた。


「悪かった悪かった」


「別に」


「そう怒るなよ」


「怒ってません」


「今日の相手は少し面白いぞ」


男は地下の奥を顎で示した。


「元魔術師だ」

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