崩落
「……六百年前から?」
レオンの声だけが、地下保管庫に残った。
金属板に刻まれた紋章。
第三砦で見たものとよく似ている。
魔族の旧王家に連なる印。
ガレスが横から覗き込む。
「同じなのか?」
「似ています」
「またそれか」
「大事なんですよ」
レオンは指先で紋章の輪郭を追う。
触れはしない。
「六百年前の印と、今の印が完全に同じとは限りません。王家の紋章なんて、代替わりで変わることもあります」
ボルグが帳面を見た。
「だが魔族の依頼だった可能性はあると?」
「それは高いと思います」
「旧王家が六百年前から今まで、この仕組みを準備していたとか?」
カイが聞く。
「そこまでは飛びすぎです」
レオンはすぐに答えた。
「六百年ですよ。途中で国も王も技術も変わってる。昔の技術を、今の誰かが見つけて使ったと考える方が自然です」
ミリアが横から帳面を見る。
「じゃあ、グラドって人は魔族に頼まれて作っただけ?」
「それもまだ分からない」
レオンは次のページをめくった。
何枚かは普通の記録だった。
炉の温度。
鉱石の割合。
失敗した合金。
注文数。
生活感のある記録が続く。
その途中。
また一か所だけ、大きく削られていた。
「ここも消されてますね」
ボルグが顔を寄せる。
「後からだな」
「グラド本人が?」
「分からん。削り方だけでは判断できん」
レオンは光を斜めから当てた。
削られた文字の溝が、少しだけ残っている。
「読めます?」
「全部は無理だ」
ボルグが金属板を傾ける。
「……『七』」
「七?」
「いや、違う。古い表記だ。『束』か」
しばらく黙る。
「『束ねた魔力は、戻らない』」
レオンの手が止まった。
ミリアも顔を上げる。
「戻らない?」
「続きは?」
「消えてる」
ボルグが眉を寄せる。
その次の行。
さらに深く削られている。
だが端に数文字だけ残っていた。
レオンでも読める共通語の数字。
十二。
「十二人?」
カイが言った。
「かもしれません」
レオンは古代片を取り出した。
エルフから借りた金属片。
六百二十一年前。
複数の者の魔力を接続した魔族の魔法。
そこに使われた器。
そしてグラドの記録。
『人の魔力を束ねる器』
『束ねた魔力は、戻らない』
嫌な言葉だった。
「事故があった?」
ミリアが聞く。
レオンはしばらく考えた。
「可能性はあります」
「十二人が?」
「数字が人数かも分かりません」
「でも、十九年後には後悔してたんだよね」
「はい」
そこはエルフ側の記録にある。
グラド・バルグンは十九年後、エルフ領へ現れた。
あの器を作ったことを悔いている。
同じものは二度と作らない。
理由は書かれていない。
ガレスが腕を組む。
「だいぶ繋がってきたな」
「繋がってきたからこそ危ないんです」
「何がだ?」
「俺たちが都合よく繋ぎすぎることです」
レオンは帳面を閉じかけて、やめた。
もう一冊ある。
「少なくとも今分かってるのは、六百年前にグラドが魔力を束ねる器を作った。それが魔族の何かに使われた可能性がある。その後、グラドは後悔した」
「そして今、似たものが人間の魔導器とドワーフの工場にある」
カイが続ける。
「そうです。でも、間の六百年が空いてる」
レオンは二冊目を開く。
最初の数ページは同じような工房記録。
だが途中から、急に書き方が変わっていた。
注文の記録が減る。
代わりに、実験の失敗が増えている。
『第三試験、失敗』
『器の外へ漏れる』
『生体側の経路が耐えない』
レオンの目が止まる。
「生体側」
ミリアが小さく言った。
「やっぱり人に使ってた?」
「少なくとも、生き物へ繋ぐ前提だったみたいですね」
次。
『魔法側の術者は問題ないと言う』
『だが、問題がないとは思えない』
ガレスが読む。
「魔法側の術者?」
「魔族でしょうね」
「共同研究か」
「たぶん」
レオンはさらに進める。
一行。
『私は器を作る。魔法を作るのは彼らだ』
その次。
『それで責任が分かれると思っていた』
ページが終わる。
レオンはしばらく動かなかった。
ミリアが言う。
「思ってた、ってことは」
「思えなくなったんでしょうね」
次のページ。
そこだけ文字が乱れていた。
『十二』
また同じ数字。
今度は、その先が残っている。
ボルグが読み上げた。
「『十二の命を、一つの器へ流した』」
誰も喋らなかった。
カイの顔から血の気が引く。
「命って……魔力じゃなくて?」
「古い表現かもしれません」
レオンが答える。
だが、自分でも苦しいと思った。
『命』という言葉を、わざわざ魔力と同じ意味で使う理由は薄い。
さらに下。
『止めろと言った』
『彼らは止めなかった』
『器は成功した』
そこで記録が途切れている。
次のページは、丸ごと失われていた。
切り取られている。
ガレスが低く息を吐く。
「成功、ねえ」
「技術的には成功したんでしょう」
レオンは言った。
「人が死んでも」
ミリアが返す。
レオンは答えなかった。
技術的成功。
それ自体はありえる。
目的を達成した。
でも、使った人間は死んだ。
だからグラドは後悔した。
「先生」
カイが三冊目を指す。
「それも見ます?」
「見ます」
三冊目は薄かった。
晩年の記録らしい。
文字も以前より少ない。
新しい注文。
修理。
弟子への指示。
過去の件にはほとんど触れていない。
何ページか進んだところで、レオンが止まった。
「ここ」
短い一文。
『同じ器を求める者が来た。断った』
次の年。
『また来た。断った』
さらにその次。
『名は変わっていた。印も違った。だが、求めるものは同じだった』
レオンの目が細くなる。
ガレスが横から読む。
「同じ連中じゃない?」
「そうとも限りません」
「でも怪しいだろ」
「怪しいです」
レオンは続きへ進む。
最後の記録。
『私は作らない』
『だが、いつか誰かが作る』
『技術は、知れば消せない』
その下。
少し間を空けて。
『ならば、作られた時に止める方法を残す』
レオンの手が止まる。
「止める方法?」
ボルグが帳面を奪うように覗き込む。
「続きは?」
ない。
そのページで終わっている。
「別の記録は?」
レオンが聞く。
「これで全部だ」
「本当に?」
「保管庫にあるものはな」
言い方に引っかかった。
「保管庫にあるものは?」
ボルグが黙る。
ドルガンはいない。
この場には、レオンたちとボルグだけ。
ガレスが気づく。
「他にもあるのか」
「あるかもしれん」
「どこに?」
ボルグは嫌そうな顔をした。
「バルグン家の旧工房だ」
「第七区画?」
「もっと下だ」
レオンが立ち上がる。
「旧採掘区の中?」
「そうだ」
さっき崩れた場所。
黒い管が集まっていた場所。
ユリウスが三日間潜っていた場所。
そして。
黒衣の魔族の声が聞こえた場所。
「ユリウスは知ってました?」
「旧工房のことなら知っていた」
「いつ知った?」
「俺が教えた」
ボルグの顔が険しくなる。
「消える前の日だ」
レオンは帳面を見る。
『作られた時に止める方法を残す』
ユリウスはこれを読んだ。
そのあと、旧工房の場所を知った。
そして一人で地下へ入った。
「……逃げたんじゃない」
ミリアが言った。
レオンが見る。
「何?」
「ユリウス」
「どういう意味?」
「さっき私たちから逃げたんじゃなくて、また旧工房へ向かったんじゃない?」
レオンは固まった。
可能性はある。
崩落の混乱。
別の通路。
ユリウスは地下構造を三日間歩いている。
自分たちより詳しい。
「まずい」
レオンが帳面を閉じる。
ガレスが立つ。
「今度は何だ」
「ユリウスが止める方法を知ってるなら、一人でやるつもりかもしれない」
「一人で?」
「やりますよ、あの人なら」
ガレスがレオンを見る。
「お前が言うと説得力あるな」
「嬉しくないです」
レオンは古代片を包み直す。
その時。
保管庫の外から、激しい足音が聞こえた。
扉が開く。
ドルガンだった。
息を切らしている。
「ボルグ!」
「どうした!」
「第七区画でまた一人消えた」
レオンの顔が上がる。
「誰です?」
ドルガンが答える。
「バルグン工業組合の現当主だ」
一瞬。
誰も動かなかった。
ドルガンは続けた。
「それと、旧区画の封鎖扉が開いてる」
「誰が開けた?」
「分からん」
レオンは杖を掴んだ。
ドルガンがさらに言う。
「ただ――」
一度、息を整える。
「扉の前に、ユリウスの血が落ちてた」




