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ハーゲン・バルグン

「扉の前に、ユリウスの血が落ちてた」


レオンは立ち上がった。


「量は?」


ドルガンが一瞬だけ詰まる。


「そこまで多くない」


「まだ生きてる可能性は高い?」


「分からん」


「分かりました」


レオンは杖を持つ。


ミリアもすぐに立った。


「行くんでしょ」


「はい」


「じゃあ私も行く」


「危ないですよ」


「今さら?」


「それはそうなんですけど」


ガレスが剣を腰に差す。


「俺も行く」


カイも続いた。


「自分も」


レオンが見る。


「カイは――」


「さっきと同じ話なら聞きませんよ」


「まだ何も言ってません」


「言おうとしてました」


レオンは諦めた。


「じゃあ行きます」


ボルグも帳面を箱へ戻す。


「俺もだ」


ドルガンがすぐに止めた。


「主任は残ってください」


「旧工房の構造を知ってるのは俺だけだ」


「さっき崩れたんですよ」


「だからだ」


二人が睨み合う。


最終的にドルガンが折れた。


「……絶対に前に出ないでくださいよ」


「お前は俺の母親か」


「死なれたら報告書を書くのは俺なんです」


「それはすまんな、手間をかける」


「そう思うなら手間をかけさないでください」


保管庫を出る。


第七区画へ戻る道は、さっきよりさらに騒がしかった。


設備の停止は続いている。


作業員たちは外へ出され、保安兵が通路を封鎖していた。


だが完全な避難にはなっていない。


工場を止めたことで、別の問題も出ている。


炉の温度管理。


換気。


地下水。


停止した昇降機。


ボルグが歩きながら何人かへ指示を飛ばす。


レオンは周囲を見た。


便利なものは、止めれば終わりではない。


動いていることを前提に街そのものが作られている。


「先生」


カイが小さく言った。


「何です?」


「これ、全部止めたら結構まずいですよね」


「まずいです」


「じゃあ早く直さないと」


「そうですね」


カイはそれ以上言わなかった。


魔導器を壊せばいい。


そんな話ではないと改めて思う。


やがて旧区画の入口へ着いた。


さっき崩れた鉄扉の周辺は、応急的に補強されている。


その横。


別の通路に、新しい扉が開いていた。


「こっちだ」


ドルガンが言う。


レオンは床を見る。


血。


小さな赤い点が続いている。


「確かにユリウスのものかな?」


「服に残ってた血と色は同じだ」


「本人のものかは?」


「そこまでは調べてない」


「なら断定しない方がいいですね」


ドルガンが嫌そうな顔をする。


「お前、本当に細かいな」


「重要です」


通路へ入る。


今度の道は狭い。


壁も古い。


人が二人並んで歩ける程度。


ところどころに、昔の採掘跡が残っている。


だが。


その壁に沿うように、新しい黒い管が走っていた。


「またこれか」


ガレスが言う。


レオンは頷く。


「旧工房へ繋がってるんでしょうね」


「おそらくな」


ボルグが答えた。


血痕は奥へ続く。


途中で一度途切れた。


カイがしゃがむ。


「ここ、何か引きずった跡があります」


床。


砂埃の中に線が二本。


その先でまた血が始まる。


「ユリウスが誰か運んだ?」


ミリアが言う。


「逆かもしれません」


「ユリウスが運ばれた?」


「可能性はあります」


レオンは先を見る。


足跡が混じっている。


小柄な靴。


ドワーフ。


それより大きい靴。


人間。


「二人以上ですね」


「現当主もここに?」


ガレスが聞く。


「たぶん」


「また、たぶんか」


「断定できません」


「分かってるよ」


数分進む。


通路の先に、広い空間が見えた。


鉄の扉。


その上に、円と三本線の古い工房印。


「ここだ」


ボルグが言った。


「グラド・バルグンの旧工房」


レオンは扉へ近づく。


鍵は壊れている。


血痕も中へ続いている。


「開けます」


「待て」


ガレスが前へ出る。


「俺が先だ」


「でも――」


「お前は後ろから魔術を撃て」


「別に前でも撃てます」


「そういう話じゃない」


ガレスが扉を押す。


軋んだ音。


中は暗い。


カイが灯りを点ける。


「……広いですね」


想像していた工房とは違った。


炉が一つ。


作業台がいくつか。


壁際には古い工具。


六百年前のものだろう。


だが中央だけ異様だった。


巨大な円形の設備がある。


新しい。


明らかに、この部屋の他の物とは年代が違う。


黒い金属管。


銅線。


人間式の魔導器部品。


ドワーフ式の歯車。


そして中央に、一本の太い柱。


ユリウスが話していた装置。


「これか」


ガレスが低く言う。


「近づかないでください」


レオンが止める。


探査魔術を流す。


弱く。


表面だけ。


「動いてはいません」


「安全?」


カイが聞く。


「それは別です」


「ですよね」


床に血がある。


円形設備の横へ続いている。


「ユリウス!」


レオンが呼ぶ。


返事はない。


さらに奥。


作業台の陰。


ミリアが先に気づいた。


「いる!」


全員が走る。


人が倒れていた。


ユリウス。


横向き。


腹部から血が出ている。


「ユリウス!」


レオンがしゃがむ。


ミリアがすぐに手を入れた。


「生きてる」


「傷は?」


「刺し傷。深い」


ユリウスの横に、血のついた短剣が落ちている。


ドワーフ製。


レオンが周囲を見る。


現当主の姿はない。


「ユリウス」


頬を叩く。


「起きてください」


反応。


わずかに目が開く。


「……レオン?」


「はい」


「……遅い」


「勝手に先に行った人が言わないでください」


ユリウスが薄く笑う。


すぐに顔が歪んだ。


ミリアが傷を押さえる。


「喋らないで」


「誰にやられたんです?」


「レオン」


ミリアが睨む。


「今聞く?」


「重要です」


「治療が先」


「……分かりました」


ユリウスが小さく首を振った。


「違う」


レオンが見る。


「何が?」


「刺されたんじゃない」


「じゃあその傷は」


ユリウスは床の短剣を見る。


「自分でやった」


全員が黙った。


ガレスが眉を寄せる。


「何のために?」


ユリウスは中央の装置を見る。


「繋がれた」


レオンの目が変わる。


「何に?」


「これに」


ユリウスは自分の腹を押さえる。


「黒い板が……入ってた」


レオンが傷を見る。


「取り出すために切った?」


「ああ」


ミリアが顔をしかめる。


「無茶しすぎ」


「死ぬよりマシだ」


「普通は医者を呼ぶの」


「時間がなかった」


レオンは傷の周囲へ探査をかける。


確かに。


魔力経路に細い損傷。


だが今は外部への流出が止まっている。


「板は?」


ユリウスが顎で指す。


床。


血の中に、黒い金属片が落ちている。


レオンは触らない。


「誰が刺したんです?」


ユリウスが黙る。


「現当主?」


「……違う」


「じゃあ誰?」


「分からない」


レオンが眉を寄せる。


「見てない?」


「気づいた時には刺さってた」


「どういうことです?」


「下を調べてた。気を失った。目が覚めたらここにいた」


「一人で?」


「そうだ」


「現当主は?」


ユリウスの顔が変わる。


「来たのか?」


「消えました」


「いつ」


「今日」


ユリウスが起き上がろうとする。


ミリアが押さえる。


「動かない」


「まずい」


「何が?」


「ハーゲンが来たなら――」


ボルグが反応する。


「ハーゲン?」


「現当主ですか」


レオンが聞く。


ボルグが頷く。


「ハーゲン・バルグン。今のバルグン工業組合の長だ」


ユリウスが息を整える。


「俺が呼んだ」


「何のために?」


「これを止めるためだ」


中央装置。


レオンが見る。


「止め方を知ってる?」


「グラドが残した」


「どこに?」


「工房の奥」


ユリウスが壁を指す。


古い工具棚。


その裏。


ボルグが近づく。


「こんな場所に何が」


工具棚を動かす。


重い。


ガレスも手を貸す。


二人でずらす。


その奥に、小さな金属扉があった。


工房印。


鍵はない。


代わりに、中央へ手を入れる形のくぼみがある。


「血統鍵か」


ボルグが呟いた。


「何です?」


カイが聞く。


「バルグン家の一部の古い保管庫に使われてた仕組みだ」


「じゃあ現当主しか開けられない?」


「少なくとも、バルグン家の者が必要だ」


ユリウスが頷く。


「だからハーゲンを呼んだ」


「来たんですか?」


「来るって返事はあった」


レオンが扉を見る。


開いている。


ほんの少し。


全員が気づいた。


「……もう来た?」


ミリアが言う。


レオンは立ち上がる。


「可能性は高いです」


ガレスが剣を抜く。


「中にいるか」


レオンはユリウスを見る。


「この先は?」


「知らない」


「本当に?」


「本当も本当だ」


「分かりました」


ミリアが治癒を続ける。


「ユリウスは私が見る」


「お願いします」


「レオン」


「何?」


「また一人で行かないで」


レオンは少しだけ止まる。


「行きませんよ」


ガレスを見る。


カイを見る。


ボルグを見る。


「一緒に行きます」


ガレスが笑う。


「それでいい」


金属扉を開く。


奥は狭い階段だった。


下ではなく。


さらに奥へ。


工房の壁の中を抜けるように続いている。


レオンたちは進む。


十数歩。


その先に、小さな部屋。


中央に一台の古い作業台。


上に、一枚の金属板が置かれている。


誰かが最近触った跡。


埃が払われている。


ボルグが近づく。


「グラドの文字だ」


「何て書いてあります?」


ボルグが読む。


ゆっくり。


「『器は、束ねることで力を得る』」


次の行。


「『ならば、束を解けば止まる』」


レオンが金属板を見る。


単純すぎる。


「具体的な方法は?」


「続きがある」


ボルグが読む。


「『中心を壊すな』」


ガレスが眉を寄せる。


「壊すな?」


「『中心を壊せば、繋いだ先へ流れる』」


レオンの顔が変わる。


「流れる?」


ボルグが続ける。


「『外から止めよ』」


カイが言う。


「さっき自分たちがやったみたいに?」


レオンも同じことを考えていた。


黒い管を潰した。


外側の経路を切った。


中央を壊してはいない。


「たぶん」


その時。


奥から音がした。


ガン。


全員が振り返る。


この部屋には、もう一つ扉がある。


半分開いている。


その向こう。


人の声。


「開けろ!」


男の声。


「誰か!」


ボルグの顔が変わる。


「ハーゲン!」


扉へ走る。


レオンたちも続く。


扉を開ける。


その先は小さな空間だった。


中央に椅子。


そこに、一人のドワーフが縛られている。


年齢は五十前後。


汚れてはいるが、豪華な服。


太い髭。


ハーゲン・バルグン。


生きている。


「主任!」


「ハーゲン!」


ボルグが近づく。


「誰にやられた!」


「知らん!」


「どういうことだ!」


「後ろから殴られた! 目が覚めたらここだ!」


レオンは周囲を見る。


黒い板はない。


魔力経路も。


少なくとも見える範囲では異常なし。


「ユリウスは?」


ハーゲンが聞く。


「上にいる」


「生きてるのか?」


「生きてる」


ハーゲンが息を吐く。


本気で安心したように見えた。


レオンはそこを見る。


少なくとも、ユリウスと敵対しているようには見えない。


「あなたが止め方を知ってる?」


レオンが聞く。


ハーゲンはレオンを見る。


「誰だ」


「レオン・アルヴェインです」


「……王国の?」


「その反応、今日何回目ですかね」


「何でお前がここにいる」


「俺も知りたいです」


ガレスが縄を切る。


ハーゲンが立ち上がった。


「時間がない」


「何が?」


「下の装置だ」


レオンが眉を寄せる。


「まだ動いてる?」


「ああ」


「じゃあ止めないと」


「止める」


ハーゲンは金属板を見る。


「そのために来た」


一歩進む。


その時。


レオンは違和感を覚えた。


ハーゲンの右手。


袖。


そこから、ほんの少しだけ黒いものが見えた。


「待って」


レオンが止める。


ハーゲンが振り返る。


「何だ」


「右腕を見せてください」


一瞬。


ほんの一瞬だけ。


ハーゲンの表情が止まった。


ガレスが剣へ手をやる。


カイも構える。


「何がある?」


レオンはハーゲンを見る。


「分かりません」


「またそれか」


「でも確認します」


ハーゲンは黙った。


そして。


ゆっくり袖をまくった。


腕には。


黒い板が刺さっていた。


だが。


ユリウスや死体のものとは違う。


もっと小さい。


そして何より。


その周囲の皮膚から、細い黒い線が何本も伸びていた。


レオンの顔から表情が消える。


ハーゲンが低く言った。


「……これを抜く方法も、グラドは残してるか?」

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