死体
「死体です」
カイがそう言ったあと、誰もすぐには口を開かなかった。
焚き火の爆ぜる音だけが、山道の夜気に小さく響いた。
レオンは立ち上がった。
「案内してください」
「こっちです。そんなに遠くないです」
カイが灯りを持つ。
ガレスも煙草を地面へ落としかけ、それを見てシルヴァレシエルへ目を向けた。エルフは何も言わなかったが、ガレスは一度だけ眉を上げ、吸い殻を携帯灰入れへ押し込んだ。
「律儀になったな」
「他人の家ではな」
「ここはまだ山道です」
「お前たちは森と山の境界を細かく分けすぎなんだよ」
シルヴァレシエルは答えなかった。
五人で木々の間へ入った。
斜面はかなり急だった。湿った土の上に枯葉が薄く積もっている。少し下ったところでカイが止まり、灯りを低くした。
「ここです」
男が倒れていた。
背は低い。
だが人間の子供ではない。肩幅が広く、腕も太い。編み込まれた暗褐色の髭が胸元まで伸びていた。
ドワーフだった。
横向きに倒れた身体の背中から、黒いものが突き出している。
レオンはしゃがんだ。
「触らないでください」
「分かってます」
既に手を伸ばしかけていたカイが引っ込めた。
ガレスも隣へ屈み込む。
「死んでから、どれくらいだ」
ミリアが身体へ近づき、手袋をつけた。
「気温を考えると……半日から一日くらいだと思います。もう少し短いかもしれません」
「腐敗は?」
「ほとんど始まっていません。ただ、それだけでは判断できません」
レオンは杖を抜いた。
ごく弱い探査魔術を死体へ流す。
皮膚。
筋肉。
骨。
内臓。
そして魔力経路。
そこで手が止まった。
「……変ですね」
ガレスが顔を上げる。
「何がだ」
「死因が分かりません」
「背中にそれが刺さっているだろ」
「見れば分かります」
レオンは黒い金属片へ杖先を向けた。
「ですが、この程度の傷では即死しません。刃も深く入っていない」
金属片は指二本ほどの幅しかない。
薄い板を細長く切ったような形だった。
ただし表面には、髪の毛ほど細い溝が無数に刻まれている。
カイが見つけたというのも納得できた。
王立魔導技術局の試作部品にも、似たような細線があった。
レオンは懐から布包みを取り出す。
「レオン」
ミリアがすぐに声をかけた。
「比較するだけです」
「接続しないよね」
「しませんよ」
「昨日まで、それを『確認するだけ』って言ってたよね」
「昨日ではありません」
「そこじゃない」
ガレスが鼻で笑った。
レオンは無視して、エルフから借りている古代金属片を布越しに持った。
六百二十一年前。
グラド・バルグンというドワーフが作った器の一部。
並べてみる。
似ている。
だが――。
「違いますね」
カイが覗き込む。
「そうなんですか?」
「ええ。古代片は溝が深い。枝分かれも規則的です。こちらはもっと細かい。それに加工方法も違います」
「じゃあ、関係がない?」
「そこまでは言っていません」
レオンは金属片を戻した。
「似ています。しかし、似ているというだけです」
六百年前の器。
王立魔導技術局の試作品。
魔族兵の黒い腕輪。
そして今、ドワーフ領へ入る直前で見つかった死体。
並べれば、一つの線へ繋ぎたくなる。
だからこそ、繋いではいけない。
少なくとも、まだ。
「まず死体です」
レオンは再び探査へ戻った。
今度は魔力経路だけを見る。
通常、死者の魔力は時間とともに散る。
経路そのものも、肉体の死とともに意味を失っていく。
だがこの男の身体には妙な痕跡が残っていた。
「ミリア」
「なに?」
「ここを見てください」
レオンは首の付け根へ指を当てた。
「魔力経路が切れています」
「刺し傷のせい?」
「いえ」
一本ではない。
二本。
三本。
さらに深部。
「ほぼ全部です」
ガレスの表情が変わった。
「全部?」
「正確には、主要経路の大半です。同じ時刻に損傷しています」
カイが死体を見た。
「そんなことが起きるんですか?」
「普通は起きません」
レオンは答えた。
魔術の暴発。
極端な魔力枯渇。
毒。
いくつか可能性を浮かべたが、どれもしっくりこない。
何より奇妙なのは、損傷の方向だった。
「内側から破裂したような傷ではありません」
「では、外から?」
「それとも違います」
杖先を黒い金属片へ近づける。
わずかに魔力を流した。
溝の一部だけが反応した。
細い光が一瞬走り、消える。
「先生」
「大丈夫です。起動するほど流していません」
金属片の溝は、傷口へ向かって終わっていない。
逆だった。
死体の内部から、外へ向かう形になっている。
「……これ」
レオンは呟いた。
「刃物ではありません」
「何だ?」
「分かりません」
そう答えたあと、自分で少しだけ引っかかった。
だが続きを言う。
「ただし、人を刺すための形ではない。少なくとも主目的は別です」
杖を引いた。
「魔力を通すための部品に見えます」
ミリアが死体を見下ろす。
「この人の魔力を?」
「可能性はあります」
「吸ったの?」
「それもまだ分かりません」
魔力はほとんど残っていない。
だが死者なのだから当然でもある。
枯渇させられた証拠にはならない。
「ただ――」
レオンは黒い板を見た。
「何かと繋ぐために、これを身体へ差した可能性はあります」
森が静かだった。
風が木々を揺らす。
シルヴァレシエルが、初めて死体のそばへ寄った。
「その者は、ここで死んでいません」
全員が彼を見る。
「分かるのですか?」
「土が違います」
シルヴァレシエルは死体の靴底を指した。
黒い泥が付着している。
「この斜面の土には、これほど鉄が含まれていません」
次に数歩離れ、落ち葉を見た。
「二人が運んでいます」
カイが灯りを向ける。
レオンにはほとんど分からなかった。
だが言われてみれば、落ち葉が不自然に押し潰されている場所がある。
「ここで降ろした?」
「落とした、の方が近いでしょう」
「方向は?」
「北東です」
シルヴァレシエルが山を見上げた。
ドワーフ領。
彼らがこれから向かう方向だった。
ガレスが舌打ちした。
「派手に歓迎してくれるな」
「まだドワーフがやったとも限りません」
「分かっている」
レオンは死体の衣服を調べた。
厚い作業着。
腰には小型の測定具がいくつも付いている。
槌ではない。
ノミでもない。
目盛りの刻まれた鋼尺、折り畳み式の測角器、細い探針。
胸元には金属製の札。
文字が打刻されていた。
レオンは読む。
「北東鉱務監査局」
その下に番号。
さらに職名。
「設備検査官……?」
「役人か?」
「おそらく」
名前も刻まれている。
レオンが読もうとした、その時だった。
シルヴァレシエルが顔を上げた。
「来ます」
ガレスが立つ。
カイも即座に腰の魔導器へ手をやった。
「何人ですか」
「六」
「人間?」
「違います」
間もなく、山道の向こうから灯りが現れた。
白い魔術光ではない。
金属製の筒に収められた橙色の灯りだった。
六人の小柄な影が下りてくる。
全員がドワーフ。
ただし斧も槌も持っていなかった。
短銃身のクロスボウ。
折り畳まれた金属盾。
腰には同じ形の工具箱。
先頭の男がレオンたちを認めると、即座に手を上げた。
五人が散開する。
訓練されている。
「動くな」
低い声だった。
共通語も流暢だった。
「ここは山岳連邦の管理区域だ。身分と目的を申告しろ」
レオンは杖を下げた。
「人間王国から来ました。事情があって――」
男の目が死体へ落ちる。
言葉が止まった。
「……バルド?」
隊列の後ろで、一人が息を呑んだ。
先頭の男が険しい顔のまま近づく。
「お前たちが殺したのか」
「違います」
「では、なぜここにいる」
「こちらの兵士が発見しました」
カイがわずかに手を上げた。
「自分です」
「触ったか」
「いいえ」
「死体には?」
「治癒師と魔術師が調べました」
先頭の男の視線がレオンへ移る。
「何を見つけた」
質問が妙だった。
誰が殺したのか、ではない。
何を見つけた。
レオンは一瞬だけ迷った。
それから死体の背中を指した。
「黒い金属片です」
男の顔から、明らかに血の気が引いた。
後ろにいたドワーフたちも動きを止める。
ガレスがそれを見逃さなかった。
「知っているのか?」
男は答えなかった。
死体へ近づき、膝をつく。
黒い板を確認する。
長い沈黙のあと、低く吐き出した。
「……またか」
レオンの目が細くなる。
「また?」
男は顔を上げた。
「今月に入って、これで三人目だ」




