第八話 虚像
あれから。
心身ともに強い不調をきたした俺は、三日間ほど寝室の外に出られずにいた。だからこれは後に知った話なのだが、篝火隊の隊長としてのグラウスの名前は、翌日にはメルキルエト中に知れ渡っていたらしい。
書面を交わしたわけでもない。それらしい儀礼を介してもいない。それなのに、たった一日の間に、グラウス隊長などという正気を疑うような虚像がこの世に生じてしまったというわけだ。寝て起きたら太陽が西から昇っていたかのような気分だったよ。
一週間ほど経った頃、鳥落としの怪我も治りきらないうちに、俺はフルクエの手によって表舞台に引き摺り出されて正式に篝火隊隊長の座を拝命した。
用意されていた上等な服を着て人々の視線の前で笑顔を作ること。それが俺に課された最初の仕事であった。
こうして俺はフルクエの望みどおりに、篝火隊のグラウス隊長となったわけである。
とはいえ、俺の生活が劇的に変わったわけではなかった。
テレジア教所属の篝火隊などという仰々しい名前を冠しているからには、毎日毎日博愛の言葉を人質にやれ祈りだのやれ救いだのといった偽善活動を強いられるとばかり思っていたんだけど。実際のところ篝火隊というのは、有事が発生した際に都度召集される、臨時の部隊という立ち位置であった。
冒険者の自由意志に任せていては対応が遅れるような事態が生じた際に、テレジア教として迅速に対応するために集められた部隊。要するに、メルキルエトが平和の中にある間は、篝火隊としての仕事はさして存在しなかったのである。
召集がかかった時だって、俺に特別な仕事が与えられた訳ではなかった。
篝火隊は俺を含めて十三名で構成された小さな部隊だ。本来ならば彼らの上官として、それなりの管理業務に携わる必要があったのだろうが。フルクエは、端からそんな役割を俺に期待してはいなかったらしい。
人員の調整、作戦の立案、斥候、物資の管理、武器や防具の調達に至るまで。机上でできる仕事は、副隊長を兼任するフルクエとその補佐役が全てを担った。
俺の役目は単純だ。フルクエの指示に従うままに戦いに出て、適度に傷ついて帰ってくる。それだけ。
これで隊長だって言うんだぜ。笑える。
俺はずっと一人でやってきたから、人を動かすような仕事は出来ないし、したいとも思えない。それでも、形式的には隊長の立場にあるにも関わらず、ただひたすらに見世物としての役割を諾々とこなし続ける自分のことが、酷く惨めでならなかった。
そんな仕事を、ここ二年余りで俺は七回ほど行った。それなのに俺の四肢の古傷は治りきっていない。俺の左腕は未だ醜いままで、つまりフルクエはまだ三回しか治癒の魔法を使ってくれていないんだけど、なんでだと思う?
約束の条件を満たしていないから、だって。"希望の篝火たりえる活躍をする度に"古傷を治すってのが約束だから、そうじゃない場合は治さない。
要はもっと怪我して帰ってこいってことだ。
本気であの女を殺してやろうと思ったし、実際二度ほど実行した。結果はお察しのとおりだ。衝動的に行動するもんじゃないね。……仮に俺が万全の体調だったとしても、たぶん無理だっただろうけど。
おまけに、最悪なことに、フルクエは俺のことを欠片も怒りやしなかったんだ。
「貴殿が私を殺すという事象の価値が私個人の価値を上回ったその時は、喜んで貴殿に殺されようとも。我らが希望たるグラウス隊長が腐敗した祭司長を正す。そんなストーリーを用意しないといけないな」
本当に気持ち悪い女。
でもそれ以上に、そんなフルクエに――彼女の持つ治癒の力にこれほどまでに固執している俺が一番気持ち悪い。
こんな扱いを受けてなお、未だに俺は篝火隊のグラウス隊長を演じ続けている。
■ □ ■
「ここのところ張り切っているな。グラウス隊長」
「……これはこれは祭司長殿。わざわざ訓練場までお越しになるとは、いかがしましたか」
「ちょっとした共有事項があるだけだ。そう身構える必要はないよ」
夜。聖篝火教会裏、訓練場にて。
篝火隊隊長、ひいてはテレジア教徒となったことで、俺は様々な物事の教育機会を得ることが出来た。一般教養、魔法、それから戦闘訓練、など。
率直に言って俺の実力は平凡だ。篝火隊の中では中の中、もしかしたら中の下、いやそれ以下かもしれない。
そんな状態でのうのうと隊長の座に甘んじていられるほど俺の面の仮面は厚くない。それに、不可抗力とはいえ、折角得た教育機会なのだから可能な限り使い倒したいとも思う。だから自分の体が無事な期間は、積極的にテレジア教の戦闘訓練に参加することにしている。
周囲から隊長などと呼ばれているくせに、訓練の場では教えを請う側なんだよ、俺。無様でしょ。
それなのに、篝火隊の隊員からは未だにそこそこの敬意をもって隊長として取り扱われているのだから、居心地が悪いったらないよ。
今日だって、訓練に付き合わせていた俺の部下は、少なくとも表面上は俺を慕っているような素振りを見せていたけれど。裏ではどんなこと言われてるんだろうな。
訓練によって乱れた衣服をさっと整えた部下が、フルクエに対して背筋を正して一礼する。そうして「今日はここまでにさせてください」と言って、礼儀正しく、しかし素早く訓練場を後にした。俺に用事があるとか言ってるフルクエへの配慮かな。出来た部下だね。俺には勿体ないよ。
彼が出ていってしまったから、この広い訓練場の中にいるのは俺とフルクエの二人きり。
俺は舌打ちと共に訓練用の木剣を投げ捨てた。
「で、何? 用事があるならさっさとして」
「相変わらず見事な切り替えだ。その仮面も外してしまって良いんじゃないか?」
俺はもう一度舌を打った。グラウス隊長の虚像に仮面を被せていたい気持ちは、俺とフルクエで一致している。にも関わらずこの物言い。性格の悪い女だ。
例えこの下に隠すべきものがなくなったって、簡単に外せるわけじゃないんだよ。お前には分からないだろうけど。
「早く用件を言え」
「仕事だよ、グラウス隊長」
フルクエはにこりと穏やかに笑った。いつもと同じ、辞書から引っ張り出してきたかのような普遍的な笑顔だった。
「ラードーンと呼ばれる魔物が、メルキルエトに接近している」




