第七話 だからお前が嫌いだ
「その傷跡を、治してやろうか」
目の前の白い手から目を話すことができない。
紋章魔術による治療は完全じゃない。あまりにも深かったり、時間が経ってしまった傷には効果が薄くなったりもする。
幾度となく怪我をしてその度に紋章魔術での治療を繰り返した俺の体は、消えない傷跡に満ちている。ずっとずっと前から変わらない、変われない俺の醜態。
……この傷跡を。フルクエなら、治せると?
「無理だよ。だってこの傷、もう時間が経ちすぎてて」
「私なら可能だ。若輩の私が祭司長としてあれる理由、と言えば、少しは信じる気になるだろうか」
「信じ、られない。見てよ、この甲の傷は断ち切られたのを無理矢理接いだところで、その隣は酸で溶けた跡で、指だって欠けて、やめろ。見るな、だから、」
「治せるよ」
フルクエの目元は緩やかな弧を描いている。彼女の端的な言葉には、だからこそ強い真実味が籠められているように感じられた。縋りたくなるほどに。
耳元で心臓が鳴っていた。血を噴き出して死んでしまうんじゃないかって、そう心配になるくらいに煩くて、そう心配になるくらいに、俺は、期待してしまっている。
黙ってしまった俺を見据えて、フルクエが静かに笑っていた。さらりと流れる彼女の銀髪がこの部屋の中で一等光り輝いている。私こそが救いなのだと驕る傲慢な彼女の手のひら。救済を騙る残酷な聖職者。
滑稽でならない。この瞬間、彼女は確かに俺の希望となったのだ。
「…………俺の顔も、治せるの」
フルクエの口の端が上がった。
「……その傷跡は、いつのものだ?」
「二十年、くらい前」
「どんな傷だ?」
「言いたくない」
「貴殿がその仮面を外してくれるのなら、言わなくても構わないよ」
「……火傷痕」
「もう少し詳しく聞きたいな」
思い出したいわけでもないのに、俺の頭は勝手にかつての出来事を思い出す。胃を直接かき混ぜられているみたいな不快感が体の中に募っていく。
なぁ、おまえ、それを聞いてどうするの。本当に必要なことなのか。ただ俺を暴き立てたいだけじゃないのか。
俺にはわからない。それでも、目の前に差し出された甘言を、俺は振り払うことができない。
噎せる程の苦痛の中で、フルクエが俺を呼ぶ声が聞こえた。沈黙を咎められている。そうに違いない。話さなければならない。
「……煮えた、油を」
「油を?」
「俺の、顔が、気に食わないと、……母が」
「そうか」
それだけ言って、フルクエは俺に乗り上げていた体を起こした。憐憫も同情もない声色は、先程の詰問が純粋な情報収集だったことを雄弁に物語っている。そうでなければ俺はこの場で舌を噛み切っていたかもしれない。
「もういいでしょ。治せるの。ねぇ、俺の顔、治せるの? 証明してよ。早く、頼むから! なぁ!」
「もう治っているよ」
それきり、すべて全ての用は済んだとばかりに、フルクエは俺の横たわる寝台を降りた。ぎしぎしと鳴る音は木組みの歪む音だろうか、俺の体が上げた悲鳴だろうか。区別がつかない。フルクエの言葉の真偽だって、俺には。
「……嘘を吐くな」
「嘘じゃないとも。仮面を外してみるといい」
促されども、俺は仮面を外す気にはなれなかった。代わりに仮面をほんの少しだけずらして、出来た隙間にそろりと指を差し入れた。
……慣れ親しんだ醜い覆いが見つからない。ざらざらと不快なあの感触に触れることができない。
指先だけでは信じられなくて、俺は両の手のひらを使って何度も目元を確かめた。そうこうしているうちに、ずれきった仮面がぽとりと落ちて、毛布の上で柔らかい音を立てる。雷鳥の空いた瞳が俺を見ている。
「フル、クエ」
この部屋は俺を映す物の一切を排している。だからわからない。フルクエの目に映る俺はどうなっている? 本当に、本当に、俺の顔が治っている?
何を読み取ったのか、フルクエは合点がいったかのように一つ頷いて、胸元に下がっているタリスマンを俺に差し出した。
知らない金属で出来た、白く輝くタリスマン。昇る太陽の意匠が形どる曲面の上に、見知らぬ男が映りこんでいる。傷のない顔を持つ男だ。
男はじっと俺のことを見つめて、俺と同じように目を細めて、俺と同じように口の端を歪めるのだ。
「他の部位は、そうだな。貴殿が希望の篝火たりえる活躍をする度に治してやろう。次は左腕がいいか? それとも右足か? 貴殿の返答次第で、」
「やる」
フルクエの顔に小さな驚きが浮かんだ。どうして驚くんだろうな。こうなるように仕向けたのは、お前だろうに。
「なんでもやる。隊長でも見世物でも、お前の奴隷になるんでもいい。だから、お願い」
俺の体を治して。
声と言うにはか細く呼吸というには不規則な俺の言葉を、フルクエは嬉しそうに拾い上げた。
「もちろんだ、グラウス。いや、グラウス隊長」
空を掻くように浮いた俺の左手をフルクエの手が掴みとる。余計な力のこもっていない軽やかな握手は、それなのに、俺の目からは手枷に見えた。
これでもう後戻りは出来ない。これから増え続ける後悔を思って、俺は笑った。この傷跡さえ消せるのであれば、どんな苦痛だって些細なものに感じられた。
「貴殿ならきっと分かってくれると信じていたよ」
馬鹿みたいだ。これからもっと傷つくのに、そういう約束をしたというのに。彼女の言う"希望の篝火"が指すものを、俺はこの上なく理解しているというのに。
それでもこの傷跡を治せることが、俺は嬉しくてならなかったんだ。




