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魔女と邪龍の化物証明  作者: 中島とととき
過去編 虚飾の火
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第六話 焚べよ燃やせよ


 寝台から這い出すこともできない俺の姿を、フルクエは穏やかに見下ろしていた。慈しみすら感じるその視線が、ひたすらに悍ましくて仕方がなかった。


「貴殿に武力は求めていない。貴殿はただ、今まで通り戦って、今まで通り傷ついて、それを繰り返してくれればいいんだ。なるべく人の耳目を集める姿であれば、なお良いな。例えば、そう、今の貴殿のように」

「……はは、お前、俺を見世物にするつもりなんだ」

「貴殿は少し物の見方が偏っているよ。私はただ、貴殿の雄姿を人々に示してほしいだけだ」


 喉から勝手に音が零れた。喘鳴に似た笑い声であった。

 俺の無様を衆目に晒すことを希望と呼ぶのか、この女は。


「相応の待遇を約束するよ。私と同等の権限を与えるし、必要なものは全てこちらで用意する。……そうだ。中街に住居を用意しようか。ここよりずっと広いところだ。貴殿が望むなら、テレジア教で実施されているいずれの教育課程だって、」

「いらない。何を積まれたって、隊長なんてやらない」


 明るく話し続けるフルクエの言葉を、俺は無理矢理断ち切った。至極当然の結論のはずなのに、フルクエは明白な戸惑いを見せた。なんでわからないかな。まさかお前、俺に酷いこと言ってる自覚、無いの?


「もういいだろ。帰れよ。帰ってよ、ねぇ、出ていけ。早く。今すぐに」

「……考え直してはくれまいか。私には貴殿の力添えが必要なんだ。貴殿を隊長にすることが、メルキルエトの人々の不安を払うもっとも迅速で確実な方法だ。……少なくとも、私はそう信じている」

「うるさい。そんなの、俺の知ったことじゃない。嫌だって言ってるんだ、わからない?」

「…………わからない。断られるなんて、思っていなかった」


 フルクエは錆跳通りで親とはぐれた幼児みたいな調子で首を横に振った。急に足元が崩れたかのような頼りなさと狼狽が、彼女の表情にありありと現れていた。

 呆れた。本当に理解できないんだな。俺も、お前が理解できないけど。


「貴殿が今までしてきたことと、何が違うというんだ。ただ立場が変わるだけで、貴殿のすることは変わらない。……隊長という肩書を重荷に感じているのなら、私がサポートするよ。それでも、駄目か?」

「駄目に決まってるだろ。なぁ、お前、俺がこんな怪我を負ってる理由が、人々の希望になるためだって本気で思ってる?」

「……では、貴殿は、なんのために戦っているんだ」


 フルクエの弱弱しい言葉を笑い飛ばしてやるつもりだった。わざわざ聞かなきゃわからないんだって嘲ってやるつもりだった。

 でも、できなかった。気づいてしまった。

 起き上がれないほどの怪我を負ってまで戦い続けるのは何のためか。……その答えは、俺自身も知らない。わからない。考えたこともない。

 なんのため、だったっけ。


「……そんなの、お金のために決まってる」


 答えに窮したことを悟らせたくなくて、俺は咄嗟にそんな出鱈目を口にした。欲にまみれた回答を掲げて、人々のためだなんて妄言が入り込む余地を可能な限り潰しておきたかった。

 これが答えじゃないことは俺だってわかってる。でも、少なくとも、フルクエの言う綺麗事よりはまだ真実に近いはずだ。


「金? まさか。そんなはずはない。貴殿は報酬のほとんどを、治療や、その間の生活費に充てているだろう。金を稼ぎたいだけなら、もっと他の、」

「どうだっていいだろ。勝手に俺の心情を量るな」

「……では、金を用意すれば、貴殿は隊長を引き受けてくれるのか。貴殿の首を縦に動かすためだったら、私財を投げうっても構わない」


 俺の犠牲にどれほどの価値を見出したらその考えに至れるんだよ。

 始末に負えないことに、この女は俺に対してずっと真摯な態度をとり続けていた。親身に懺悔を受け止める聖職者のような、あくまで俺の事を案じているのだと、そういう態度を崩しやしないのだ。……たぶん、彼女は純粋に、そう考えているから。


 テレジア教の一信徒として、この身を全て人類へと捧げるのが私に課せられた使命だ。

 熱で朦朧とした頭の中に、ふと先ほどのフルクエの台詞が蘇った。ああ、なるほど。俺も供物にするつもりなんだ、その徹底的なまでの善意でもって。

 俺の体を焚べた“希望の篝火”とやらは、さぞかし立派に燃え上がることだろうよ。


 ぐらりと波に似た頭痛があって、俺は寝台の上で強く手を握りしめた。傷だらけの醜い手。簡素な寝間着ではどうしたって隠すことができない。


 痛みに押し黙った俺の姿に、フルクエはほとほと困り果てた様子で視線を下げた。聞き分けの無い子どもを前にしているかのような仕草だ。俺を悪者に仕立て上げるのが上手いね。間違っているのは、お前のくせに。


「……私は、それでも貴殿を隊長に据えなければならない。より良い方法がすぐ目の前にあるのに、努力もせずに諦めてしまっては、愛すべき人々に顔向けができない」

「俺もその人々の中に入れてくれないかな」

「テレジア教として与えられるものは全て示した。それでも足りぬというのなら、……」


 フルクエは不意に言葉を切った。思案に耽る彼女の口元を、色のない指先がゆっくりとなぞっていく。

 不穏で不吉な沈黙だ。沈黙は嫌いだ。何でも良いから話し続けないといけない。それなのに、俺の頭は何一つとしてまともに働いてくれない。

 いっそ叫び声でも上げてやろうか。そんな馬鹿な考えが浮かんだ瞬間。静かな、しかし硬い芯を含む声が俺の耳に届いた。


「……残るは、私自身か」


 ぎ、と古い寝台が軋んだ。足元から、フルクエが、俺の寝台に乗り上げている。


 予想だにしなかった行動に、俺はただ目の前で起こっている事象をありのままに受け止めることしか出来なかった。

 近寄るな。俺に触れるな。せめてそう拒絶できていれば、いや、していたところで俺にはこの女を止められやしなかっただろうが。


 寝台上部の飾り板に張り付くようにして、俺はフルクエから距離をとった。とろうとした。実際には俺の体はほとんど動いていなくて、ただいたずらに痛みを生むだけの行為となった。


 フルクエの手が俺の体に触れる。毛布に隠された俺の、右足に、


「――――ッ!?」


 ぐ、と体重をかけながら置かれたその手が俺の傷口を強かに圧迫する。金属片を無理矢理捩じ込まれるような痛みがあって、次いでぶわりと汗が吹き出した。


 最悪だ、この女、俺が酷い怪我をしているのを知っていて、分かっていて!


「その手、やめろ、」

「グラウス。私には使命がある。責務があるんだ。人々の安寧を成すために、妥協するわけにはいかない」

「どかせよ、なぁ、フルクエ」

「なんだってするよ。貴殿が私を受け入れてくれるまで」

「は、はは、脅しも?」

「最終的には、それが必要になるかもな」


 最終的には? 今のお前の行為は、脅しじゃないとでも?

 ぎしりとフルクエの体重がかかる。線の細い彼女の体躯ですら、今の俺には劇毒だ。じわりと滲み出た血が毛布に染み出して彼女の白い手に色をつけた。頭がぐらぐらする。熱と、怒りと、痛みと、恐怖に。


「なぁグラウス。この傷、治したくはないか?」

「早く、離れろ」

「貴殿も知っての通り、魔法は万能でも無尽蔵でもない。癒術院において治癒魔法の使用が認可されるのは、生命に関わる甚大な事例のみ」

「痛い、よ」

「それ以外の怪我の治療は自助努力が求められる。今の貴殿のように、不完全な紋章魔術を使って長く苦しみながらゆっくりと治すわけだが」

「痛い、痛い、痛い、」

「私なら治してやれるぞ。今すぐに」


 ぼんやりと滲む意識の中にフルクエの言葉が差し込まれていく。彼女の平坦な言葉が、焼け付く脳味噌の中で一際冷たく感じられた。

 治す? 魔法? ああ、この女は魔法が使えるのか。魔法使いは性格が破綻している奴が多いって噂は本当なんだな。脳内に浮かぶそんな軽口が、脆く崩れ落ちそうな俺の意識を辛うじて繋ぎとめている。


「癒術院に関わる者は治癒魔法の使用に強い制限がかけられている。必要な時に必要な者のために使えるように。一人でも多くの命を救うための、当然のルールだ」

「知、ってるよ」

「だが、私は貴殿のためにその禁を破ってもいい。貴殿はただ頷くだけでいいんだ。そうすれば、」

「……治りが早いか遅いか、だけの違い、でしょ。お前の手なんか、借りたくない。絶対に」


 息も絶え絶えになりながら、それでも俺は口を開いた。解釈の余地の一つも残さず、この女に拒否を突きつけたかった。

 そうか、と小さく呟いたフルクエの手が、俺の足の上から離れていく。僅かに赤く染まったその手の行先は、投げ出したままの俺の左手で、


「……ッ!」


 俺は咄嗟に彼女の手を弾いた。グローブも何も身に着けていない俺の手のひらは、古傷だらけで見るに堪えない。ましてや他人に触らせるなんて、やめろ、見るな、触れるな。お願いだから、俺に、


「治してやろうか」

 

 フルクエは、弾かれて宙に浮かんだ白い手を、ふらりと俺に差し出した。


「その傷跡を、治してやろうか」


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