第五話 希望の火
「貴殿に篝火隊の隊長を任せたいんだ」
「……篝火隊?」
初めて聞く単語だった。聖篝火教会と縁深いなにか、であることは推測できたが、それ以上はわからない。俺、テレジア教には興味が無いから、専門用語を使われても困るよ。
「ああ、知らないことを恥じる必要はない。篝火隊というのは、この度テレジア教にて擁することとなった魔物殲滅部隊の名称でね。実を言うと、まだ正式には存在しないんだ」
「へぇ。そう」
「篝火隊の目的は魔物の殲滅と人類の発展。国やギルドといった枠組みの外側から人類に寄与できるような、そんな組織にしたいと思っている」
「壮大だね。それで?」
「貴殿を隊長に据えたいんだ。やってくれるだろう?」
「嫌だよ。帰って」
にべもなくそう言ってやると、フルクエは心底驚いたかのように、大きく目を開いてまじまじと俺の顔を見た。見るな。早く立ち去れってば。なにをそんなに驚くことがあるんだよ。
「……なぜ?」
「なぜもなにもないよ。逆に、どうして俺が引き受けると思ったのかな。責任なんて一欠片も抱えたくない。人の上に立つなんて、想像するだけで吐きそうだ」
「人類に奉仕するための、この上ない提案だと言うのに?」
フルクエの発する音の意味がよくわからなかったのは、熱のせいだと思った。今の俺相手に複雑なレトリックを使うのはやめてほしいな。俺は彼女の言葉の裏を理解すべく、三回ほど頭の中で復唱し、……ねぇ、まさかそれ、本気で言ってる?
「私はいつだって本気だとも。テレジア教の一信徒として、この身を全て人類へと捧げるのが私に課せられた使命だ。そしてその使命を果たすためには、グラウス。貴殿の協力が必要なんだ」
フルクエの様子を見るに、彼女の発言は冗談でもおためごかしでもなさそうだった。この女、よもや本当に本心で言っているのか? その綺麗事を、心の底から?
「……素晴らしいご高説をどうも。何を言われても俺の答えは変わらないよ」
「本当に興味がないのか? 貴殿の存在を人々の益とする、最適な方法なんだぞ」
先程まで落ち着いていたフルクエの語調が僅かに揺れた。白銀じみた印象を与える女が見せる、予期せぬ出来事に思わず心を乱すようなごく普通の人間性が、この場においてはこの上なく奇妙なものに感じられた。
ああ、この女は根本的に理解ができないんだ、俺が断っている理由を。
人間に生まれたから人間に貢献する。それが当然のことだと、彼女は真剣にそう信じているんだ。そしてその理屈を、俺にまで押し付けようとしている。
崇高で、傲慢で、独りよがりな博愛。本当に気持ち悪い。
「そもそも、俺を隊長にしてどうするのさ。見てよこの怪我。祭司長殿も知っての通り、俺、別に強い冒険者じゃないよ。俺より適任がいるでしょ、何人だって」
「そう自分を蔑むな。確かに武力のみを見るなら、貴殿より優れた者はいるだろう。だが、人々の希望を背負って立つ役割に、貴殿ほどふさわしい者はいない」
「…………正気?」
もちろんだ、とフルクエは言った。先ほどから感じている吐き気は、単なる体調不良からくるものではないだろう。
人々の希望を背負って立つ? 俺が? 馬鹿らしい。不似合いにもほどがあるだろ。記憶の限り、そんな思考を抱いたことは、ただの一度だってないというのに。
フルクエの胸元で揺れるタリスマンが、きらりと俺の目に光を反した。陽が高くなったのか、窓から差し込む光が一層と強くなっている。俺の薄暗い部屋の中で、招かれざるこの客人だけが、陽光と共に明るく輝いていた。
不本意ながら、綺麗だと思った。神職に就いている者の持つ受容に似た美しさ。高潔を人の形にしたようなフルクエの存在が、この狭い部屋をまるで教会のように作り替えている。
舞っている埃すらも煌めいて見えた。古びて欠けた椅子だってアンティークに見えた。
場違いだ。たぶん、俺の方が。
「泥食みの駆除。シエガの一次掃討戦。鳥落とし。どれも大規模で、危険で、冒険者の倦厭する仕事だ。しかし我らの安寧に必要な仕事でもある」
「そうだね。金払い、とても良かったし」
「そんな仕事を、貴殿は誰よりも積極的に請け負う。どれほど大怪我を負おうとも、例え死の淵を覗き込んだとしても。身体さえ治れば、また似たような依頼を受ける。何事もなかったかのように」
「……それが、なに」
「希望だよ。幾度死を身近にしても挫けることなく、人類のために戦う貴殿の姿。傷つきながらも、ひたむきに愚直に剣をとる貴殿の背に、人々は明るい未来を見出す。それこそが、貴殿こそが希望の篝火」
フルクエが椅子から立ち上がり、一歩だけ俺に近づく。俺は咄嗟に身を捩り、可能な限り後ずさった。どこにも行き場の無い寝台の上、それでもどうしても逃げ出したかった、この場所から。
彼女は確かに俺を見ているのに、どうしてか俺には全く別のものを見ているように思えた。彼女の言う"グラウス"とは本当に俺のことなのだろうか。フルクエの掲げる虚像と本来の俺とが隔てている距離は、そっくりそのまま恐怖の値に等しい。
希望だとか未来だとか、俺にとってはただの騙し文句に過ぎないそれを、この女はまっとうな言葉として口にする。違う生き物みたいだった。層が一つズレた先で、薄布を隔てた向こう側で、フルクエが笑っている。
「同じことをしてほしいんだ、グラウス。篝火隊の隊長として、人々に示してくれないか」
フルクエが、俺のことを見ている。
「傷つき、もがき、それでも戦い続ける貴殿の姿を」




