第二話 夏忌鳥
夏忌鳥は湿地帯に浮巣を構える夜行性の魔物である。
渡り鳥と同じ性質を持つこの魔物は、夏を前にして北上することが知られている。そしてこの湿地帯から真っすぐ北に進んだところにあるのが、我らが愛すべき都市であるメルキルエトというわけだ。
移動のついでにメルキルエトを襲われたら堪らない。彼らが移動を始める前のこの時期に、彼らとその巣を残らず駆除すること。それが鳥落としの目的であった。
鳥落としの手順は既に殆ど確立されている。
夏忌鳥が深い眠りについている真っ昼間を狙って巣に毒を撒き、成鳥が死んだのを確認してから巣にある卵を割り砕く。実に人間らしい狡猾で確実な方法だ。
上手にやれば戦闘を起こさず夏忌鳥を全滅させる事が出来るが、……結局毎年何らかの都合で夏忌鳥と戦う羽目になるんだよな。たぶん、今年もそうなる。問題はその相手が何体なのか、ってところなんだけど。
不確定な未来ばかりを考えていても仕方がないか。俺は目下の状況――メンバーに向けて作戦の最終確認を行っているリーダーへと意識の焦点を戻した。
夏忌鳥の巣が報告されている区域はもう目と鼻の先である。湿地帯全域に生えている巨大な樹々の地上に突き出た根と根の間を簡易的な安全地帯として、俺達は最後の共有を行っていた。
事前に実施された調査によると、今年の夏忌鳥の巣の数は例年通り五つ。夏忌鳥の警戒心を煽らぬように、全ての巣を同時に襲う算段のようだ。俺達は十一人で来ているから、二、三人に分かれる感じかな。じゃあ二人組作って、みたいな? はは、なんかちょっと若人っぽい。
「オレ、グラウスさんと行きます」
リーダーの話を遮る形で、俺の隣にいた人物が唐突に手を挙げた。ジャスターであった。
円形に集った鳥落とし隊の視線が一様に俺たちへと突き刺さる。嫌な視線だった。人目は嫌いだ。必死に仮面で覆い隠しているアレやコレやを咎められているような、そんな気持ちになる。
元凶たるジャスターはそんな視線に欠片も怯む様子を見せず、もう一度「グラウスさんと行きます」と屹然と言い放った。うーん、怖い物知らずな振る舞い。俺には少し眩しすぎるかも。
話を中断させられたリーダーは目を眇めて若干の不服を表情に滲ませたが、「ならお前達二人でペアを組め」とだけ言って元の話へと軌道を戻した。俺の意見は聞かないんだ。尊重されるとは端から思っちゃいないけども。
じわりと流れた剣呑な空気なんてどこ吹く風、隣のジャスターは「よろしく、グラウスさん」なんて呑気に俺に笑いかけている。まぁ、別に、構わないんだけどさ。
「うん、よろしくね」
生きて帰れたらいいよね、お互いに。
■ □ ■
「作戦、大丈夫?」
「もちろん。合図があったら毒を巣に巻いて、ちょっと待ってから首を刎ねりゃあいいんですよね」
「大体そうだね。注意事項は聞いていた?」
「なんか配られた薬を飲んでおけってのと、万が一戦闘になった際は火を使わないこと。……なんで火が駄目なんでしたっけ」
「この湿地帯、可燃性のガスが溜まっているところがあるから。周りの味方への配慮だよ」
纏わりつく泥を静かに跳ねのけながら、俺達は湿地の中を進んだ。各組は既に散開していて、この周辺の人間は俺とジャスターの二人だけだ。
先ほどよりも鳥獣の臭いが強く漂っているなかで、幾分声量は落としているとはいえそれでも話すことをやめられないのは、俺のどうしようもない精神性とジャスターの未熟とによるものである。
幸いにして、日頃の行いか、あるいは過剰に質にこだわった俺の魔物除けのおかげか。俺達はしつこい魔物に足止めされることもなく、割り当てられた夏忌鳥の巣の元に辿り着いた。
夏忌鳥は湿地、特に泥濘の深いエリアの木陰に浮巣を作る習性を持つ。日の高いうちは巣の中で眠り、日の沈み切ってから活発に活動を始めるのだ。
魔物っていうのは大概そういう性質を持つものなんだけど、この夏忌鳥はそれが一際顕著である。なぜなら、とても強いから。魔物としての特性が強いから昼に動けず、他の生物に脅かされないからこうして深く愚鈍に眠っていられる。
折角強く生まれたっていうのに、それゆえの弱点を人間に突かれて殺されちゃうんだもんな。魔物って本当に哀れな生き物。同情する気は、これっぽっちもないけど。
周囲に気を配りながら、俺はやや離れたところからそっと浮巣の中を覗き込んだ。
泥に塗れた枝葉で構成された大きな浮巣の中、牛を二回りほど大きくした黒い羽毛の塊が微動だにせず丸くなっている。それが一匹、二匹、……結構いるな。眠っているとはいえ、あの一匹一匹がA級冒険者級の相手だと思うと、ぞっとするような光景だ。
「出して、合図」
「わかりました」
ジャスターは素直に頷いて、配布された一枚の紋章魔術符を空に掲げた。真昼の太陽にも負けない光が、空に昇ってぱちぱちと数度瞬いて消える。現地に到着したことを互いに知らせるための合図。
全員の準備が整い次第リーダーが赤い光を掲げる手筈になっている。俺達はただ、それを静かに待つだけだ。
夏忌鳥を殺すための毒粉を包んだ油紙をいつでも開けるようにしながら、俺は空と浮巣、それからジャスターを順番に見た。ジャスターは如何にも手持無沙汰そうな様子で、夏忌鳥の首を落とすためのダガーをくるりくるりと手元で回している。
「その毒って人間は大丈夫なヤツなんですか」
「駄目だよ。もらった拮抗薬を飲んでないと死ぬから、気をつけてね」
うへぇ、とジャスターは嫌そうな顔を作った。彼が薬を飲むところは俺も見ていたから、この毒でやられることはないだろうけど、それはそれとして気分は良くないよな。
ちなみに俺は配られた拮抗薬を飲んでいない。他人からもらった薬なんて死んでも飲みたくないから、毎年拮抗薬は自分で持ってくるようにしている。なんなら今から撒く毒だって俺の持ちこんだやつである。配られたものが本物である確証なんて、どこにもないし。
当然、ジャスターには内緒だ。おんなじ成分のはずだから、心配しないでね。
「グラウスさん、合図、光りましたよ」
「ありがとう。じゃあ、始めるね」
空に瞬く赤い光を視界の端に入れながら、俺は油紙包みを開き弾いた。分かりやすく紫色に色づけられた粉末が夏忌鳥の巣を中心に、俺達を巻き込みながら風下へと漂っていく。
変化は直ぐに訪れた。ぴくりと黒い塊が動いて、ずるりと首が天に向かって伸ばされる。鷲のそれに似た錆びた鉄色の嘴がかちかちと威嚇するような音を鳴らした次の瞬間、夏忌鳥はけたたましい鳴き声を上げた。
巣の極近傍、格好の獲物である俺達には目も向けず、ただただ苦しそうな声をあげてのたうち回る怪鳥が四匹。この喧しい鳴き声だってすぐに断末魔に変わる。
「あっけないっすね」
「だったらいいけどね」
闇雲に暴れまわる夏忌鳥に巻き込まれないように、俺達はそっと浮巣を離れた。この時間は毎年こんな調子で、毎回耳がイカれてしまいそうに煩い。いつもと一緒だ。作戦も、巣の数も、夏忌鳥の様子だって。
だから俺は気づけなかった。気づくのが遅れてしまった。
ばさりとはためく翼の音。俺達の頭上に影が落ちてきた、その理由に。




