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魔女と邪龍の化物証明  作者: 中島とととき
魔女と邪龍の化物証明
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第三十七話 夜の終わり


 月明りに目が慣れ始めるほどの時間の後、俺達はネシュの森の大地へと降り立った。体感としては一瞬の出来事だったが、ラードーンの炎がぐしゃぐしゃに潰える様子を心に刻みつけるには、十分過ぎる時間であった。


 本件最大の功労者たる邪龍は、俺と魔女とが背から降りた丁度そのタイミングで、腐り落ちる果実みたいにべしゃりと巨体を地に沈めた。振りまかれた黒い霧と、液状に崩れた翼竜の肉体。不明瞭な輪郭と夜本来の暗さによって、夜目の効かない俺の身からは、今や大きな塊が微かに蠢いているようにしか見えなかった。


 魔女が落ち着き払っているので、非常事態ってわけではないのだろうが、正直言って不気味だ。厄災級の存在と言えども、あれほどの事を成すのは流石に容易ではないらしい。人類にとっては朗報かもね。


「グラウスさんはこの後どうされますか? もうメルキルエトに帰られます?」

「足の調子さえ良ければ、そうしても良かったんだけど」


 俺はこれ見よがしに治癒の紋章魔術を巻き付けた左足を魔女の方へと差し向けた。俺はろくに魔法を使えない極普通の人間なんで、折れた足を数分で治すような芸当はできない。歩けるようになるまで、数時間はかかるんじゃないかな。痛みを度外視したとしても。


 魔物除けも長剣も無くなっちゃったし、足もこんなだし、ここで二人に置いていかれたら俺はあっさり死んじゃうよ。そんなことを、さも同情を引く様な調子で魔女に伝えた。……嘘ではないけど、ズルい言い方だ。単純に俺が、彼女達との時間を引き延ばしていたいだけ。


「もちろん、夜が明けるまでは一緒にいますよ。ヨシュアさんもお疲れでしょうし」


 つい先ほどまでは汗の滲むような暑さに満ちていたはずなのに、熱源が消えた今では、打って変わって身の竦むような寒さがネシュの森を席捲していた。

 「だから焚火を点けましょう」という魔女の思考回路自体は、よく理解できるよ。魔物の跋扈する夜の森のど真ん中で焚火なんて、通常の神経を持った人間ではまずやらない禁忌ってだけ。まあ、この魔女は全く普通じゃないから、少し目を離した間に堂々と焚火の準備が進められているわけなんだけども。


 邪龍を使役する魔女らしい、力を誇示するに似た豪胆な振る舞い。人間なんかの真似をするよりそっちの方がずっと良い生き方だって俺は思うよ。


「火の準備くらいは俺にさせてよ。丁度火口になりそうな物も持ってるんだ」

「……それ、魔物除けですよね」

「元はね。もう必要ないから」


 とっくに効力を失っていることは、魔女だってわかっているだろうに。

 首元に下がっている乾いた木片をナイフで削り、不格好な魔法で火を点けて、なんとか焚火を大きく育てあげた辺りで後方からかさりと小さな足音が聞こえた。人間の形を取り戻した従者が、揺れる明かりの端に立っていた。


「ヨシュアさん、お疲れ様でした」


 従者は何も言わずに頷いて、どこか胡乱な足取りで火を挟んだ向かい側に座る魔女の近くに腰を下ろした。疲れているのかもしれない。なんにせよ、彼は人の姿で魔女の元に戻ってきた。これをもって、俺の依頼は、完全に片が付いたのだ。


 ラードーンの炎は消えた。俺の目の前で、望んだ形で、望んだ方法をもって。


「従者殿が無事に戻ってこれて良かったよ。これで全部、終わったんだね」

「そうですね。ラードーンの炎が無くなって、これでグラウスさんの妹も……」

「妹?」

「ええ、ご病気の…………あの、まさか」


 ああ、そうだ。そんな話になってたっけね。


「ごめん。あれ、嘘」

「……待ってください。どこから、どこからが嘘ですか」

「病気の妹なんていないよ。というか、そもそも俺に妹はいない。メルキルエトとクグエクの交易路の話も、俺は聞いたことがないな」


 絶句。という言葉をそのまま表情に落とし込んだら、きっと今の魔女の顔になるだろう。焚火のおかげで彼女の表情の変化をとても良く見ることができた。魔女はまるで言葉が出てこないのか、二、三回無言で口を開閉し、酷い頭痛を耐え忍ぶかの如く固く目を瞑って、


「全部嘘じゃないですか! なんでそんな嘘を吐いたんですか!」

「どうしても邪龍の力で炎を消してもらいたかったんだ。だから、なるべく同情を誘えるようにって」

「これが嘘なら、じゃあ貴方はなんのために、」


 言葉を途中で区切った魔女は、何かに思い当たったのか、渋々、嫌そうに、外れてくれと言わんばかりにぎゅっと眉間に皺を寄せた。答え合わせがお望みかな。もちろんいいよ、俺はもう、あんたらに不要な隠し事をするつもりはない。


 怒られてもいいし、嫌われてもいい。それでもいいと思うことができる程度には、俺はあんたらを受け入れた。だから教えるよ、本当のこと。


「もう一度見たかったんだ。俺のことを焼いた炎みたいな、人間にはどうしようもないほどの暴力が、何もかもを壊していく光景を」


 魔女は何も言わなかった。俺の迂遠な言葉の続きを、何か納得できるような捕捉の存在を、切に待ち望んでいるかのようだった。

 燃える火の中で焚き木が爆ぜる。風が火の粉を飛ばして散らす。俺は持ち込んでいた水筒を煽った。従者の方は先ほどからずっと無言で俺と魔女とを交互に見ている。


「……それだけですか?」

「それだけ」

「辛い経験とか、トラウマとか、そういう人間的なアレではなく?」

「そういうバックボーン、あったほうがいい? ちょっと待ってね、今すぐ考えるから」

「いえ、結構です。……しかし、あの、それではまるで貴方が、」


 言葉を切った魔女は、続きの代わりに魂の抜けたような溜息を吐いた。そうして傍らに座る従者に向かって、


「ヨシュアさん、私はもしかして、叶えてはいけない類の願いを叶えてしまったんでしょうか」

「……わからない。でも、人的被害はなかった」

「うーん。……じゃあ、まぁ、いっか!」


 魔女の小さな問いかけに、従者が静かに首を振る。ほんの少しだけ悩んだ魔女の逡巡が、それでもすぐに笑顔に変わる。


 俺はこの人外二人のやり取りを見守りながら、どうか今日の素晴らしい夜がずっと引き伸ばされますようにと、そんな馬鹿げた願いを真剣に祈っていた。


■ □ ■


 明けない夜はない。


 もはや陳腐な言葉だけれど、ちゃんと現実を見ろと言う意味では、俺にとってのこの上なく苦い薬だ。


 俺は夜通し魔女と従者の二人と言葉を交わした。極めてどうでもいい雑談から、今までずっと押し込めていた自己の一部の開示まで。長い夜の中には誰も何も言わないような時間だってあったけれど、それでもどこかに行ったり眠ったりすることもなく、俺達三人は小さな火に照らされた空間を共有し続けた。


 もしかしたら彼女達も夜の終わりを惜しんでくれたのかもしれない。日の出と共に訪れる、俺達の縁の区切りを思って。

 疎らな樹冠から差し込んだ朝日を、魔女は眩しそうに眺めた。


「朝ですね、グラウスさん。……足の調子はどうですか?」

「とても良いよ。歩くのにはなんら支障はないだろうね」

「良かった。ではメルキルエトまで戻れますね、お一人で」


 陽光のせいか怠そうに動く従者が荷車に荷物を詰め込んでいく。俺達のいた夜の痕跡の全てが無くなっていく。あとはただ、それぞれの場所に帰るだけだ。


「二人はこれからどうするの」

「この辺りの壁外を観光しながら、ゆっくりバルタラ山に帰ります。魔力をぱーっと吐き出せたおかげで、ヨシュアさんもしばらく人の姿でしょうし」

「名所があれば、教えて欲しい。それか、美味しい食べ物とか」

「それはちょっと難しいな。俺、そういうのを壁外に求めたことがないから」


 壁外は散歩をするための場所じゃないんだよ。と、こいつらに伝える意味はないな。人間として振る舞いたがっているくせに、二人とも根幹を間違えている。このまま変わらずにいてほしいね。


 荷台の隙間に魔女が座って、荷車の持ち手に従者が手をかける。そんな光景を俺は幾度となく見てきた。でももうあの隣に俺の場所はない。

 荷台の上で魔女は深々と頭を下げた。胸の前に置かれた彼女の掌の中には、俺が渡したアルセダ顔料三番がしっかりと握りしめられていた。


「さようなら、グラウスさん。色々としてやられたような気もしますが、貴方との旅路は、とても楽しかったですよ」

「メルキルエトのことも、忘れない。ありがとう」

「……こちらこそ、ありがとうね」


 じゃあね、と手を降る俺を見届けて、荷車がゆっくりと軋みを上げる。ああ行っちゃうんだって、そう思ったのと同時に俺は声を張り上げていた。遠ざかる彼らに向かって、衝動のままに。


「俺はね、魔女殿のことも従者殿のことも、今でも化物だって思ってる」


 振り向いた魔女が俺を見て、困ったように笑う。従者は足を止めることはせず、静かに俺に目を向けただけ。ほら、そうやって俺みたいな奴のことも当たり前のように受け入れるから、人間らしく見えないんだ。


 ああ、だからこそ俺は、どうしようもなくこの存在に惹かれてやまない。


「でも、人間よりずっと好きだよ」



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