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魔女と邪龍の化物証明  作者: 中島とととき
魔女と邪龍の化物証明
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第三十五話 いらない


「ヨシュアさん、いけますか」

「すまない。まだ陽が落ち切っていない」

「わかりました。ごめんなさい、ちょっと私、限界なんで、後はお願いします。……グラウスさんを、守り抜いてください」

「わかった」


 従者が頷いたのを見た魔女は、安心したのか、それきり意識を失った。彼女の血は未だに流れ続けている。治るって、本当に? こんなにも血が出ているのに?


「従者殿、このままじゃ魔女殿が死んじゃう」

「死なない。あんたは自分ことだけを考えていてくれ。リリエリとの約束を、果たしたい」


 音が聞こえて、従者をほんの少しだけ外れた地面が跳ね飛んだ。守るって、どうやって? ラードーンの外皮ですらも貫く水弾に対し、俺達に何ができるというのだろう。


 滑る掌が魔女の傷の深さを俺に突き付けていた。少しの揺れでも彼女の容態を悪化させてしまいそうで、俺は身じろぎもできずに、炎の方向を見据える従者の背中を見ていた。先ほど失われたはずの彼の右腕が、蠢き、揺らぎ、再生を始めている。

 治るから大丈夫だと魔女は言っていた。きっと魔女の腹の傷も、あのように治っていくのだろう。魔女だから。化物だから。人間じゃないから。


 ……それならどうして、血が止まっていないんだ?


「どうしよう、血が、魔女殿の血が止まらない」


 取り乱し上擦る声に、従者が困ったように振り返った。視線が魔女の足元から腹、頭部を辿り、下敷きにされている俺の顔で止まる。違う、彼が見ているのは俺の顔ではない。


 ざりざりと耳障りな合図が聞こえて、従者はまた炎の、その中に佇む魔術兵器へと向き直った。

 右腕を振るった、のだと思う。従者の動きを俺が認識する前に、破裂音を伴ってばたばたと大粒の飛沫が散った。眇めた視界の中で、治りつつあったはずの従者の右腕の先が、抉り取られたかのように消えているのを見た。


「なっ、」

「防げそうだ。夜になるまでの間だけ、我慢してほしい」


 防げる? あの攻撃を?

 よくよく見れば降り落ちた飛沫の大半には色がなく、大部分は水で構成されていることが窺えた。魔術兵器によって生み出された水弾の成れの果て、なのだろうが。散った液体は透明ばかりじゃない。そこに混ざりこむ赤色を、俺は無視することができない。


「でも、それ、無傷じゃないだろ。ねぇ」

「すぐに治る」 


 言葉の通り、二の腕辺りで途切れていた従者の右腕は、この会話の内にも黒い霧を滲ませながらゆっくりと骨や筋を伸ばし始めている。


 失った部位を、命を完全に再生する術を人類は持たない。魔法や紋章魔術は、万能の奇跡ではないからだ。では彼のそれは奇跡か? 俺にはとても、そんな綺麗な言葉で包んでもいいものには見えなかった。生命の道理に真っ向から逆らう、呪いじみた再生能力。厄災たる邪龍を所以とする、不死の力。


 情報としては知っていた。たった今、心の底から理解した。魔女は死なない。従者も死なない。お伽噺の中の邪龍さながらに、幾度も、幾度も、幾度だって蘇る。


 だったらいいか。なんて、思えるわけがないだろ。


 緩慢に再生する自らの断面を見つめる従者の表情を、俺は見た。いつだってろくに感情を出さなかったその顔が、不快そうに歪んでいたことに気づいてしまった、から。


「なんでそこまでするの。痛くないわけじゃないんだろ。……魔女殿と、約束したから?」

「そうだ。それと、」


 音が聞こえた。左側、やや離れた位置の全てが吹き飛んだ。飛び散る石片で頬を切りながらそれを一瞥した従者は、すぐに視線を別の場所へと移した。次の攻撃に備えてがりがりと石搭を回す魔術兵器にではなく、血を流したまま意識を飛ばしている魔女にでもなく、……俺の方へと。


「謝らなければいけないことがある。……俺は、グラウスを守るべきか決めかねていて、動けなかったんだ」

「……それが正常だよ。絶対」


 そうか、とだけ従者が言った。ほんの少し笑ったように見えたのは、俺の希望的観測だ。瞬きの後にはもう、彼は炎の奥の魔術兵器を見据えていた。


 従者の右腕は既に手首付近まで再生している。魔女の回復を信じ、俺は出来る限り穏やかに上体を起こした。倒れたままの魔女の傷跡に、向き合うために。


 魔術兵器の攻撃が腹を掠めたのだろう、魔女の体は緩やかな弧によって削れていた。この程度で済んでいるのは紛れもなく幸いであった。血は既に止まっているようだが、従者の腕よりも明らかに治りが遅い。彼の傷は見て取れるほどの速度で再生していた。だが魔女の傷は、服や血で見えにくいことを差し引いても、治りつつあるようにはとても見えない。

 その身に封じている邪龍の割合の違いか、あるいは全く別の要因か。


 俺はウエストポーチの中から手巾を取り出した。特殊な糸で意匠を縫い込んだ、治癒の紋章魔術だ。擦り傷や切り傷といった軽度の怪我を想定しているこれが、魔女の治療にどれほど役に立つのか。そもそも魔物には効かない可能性だってある。それでも何もしないではいられなくて、俺はその布を祈るようにして魔女の腹へと押し当てた。

 治れ、治れよ。治れったら!


 破砕音と共に極至近距離で水飛沫が散る。鉄の臭いをまとった水が思い切り目の中に入り込んで、慌てて襟首を手繰って拭い取った。その時、何かが俺の胸元で揺れた。

 咄嗟に握りしめたその手の内。首に下げられた木製の魔物除けの、硬い感触。


「こ、れ……」


 魔物除けの存在を指摘する魔女の表情が、不意に思い起こされた。あれはネシュの森で出会った時のこと。質の良い強力な物だと、魔女は言っていたっけ。つまりそれだけ、彼女達への害を為す。


 先程の従者の視線、彼が見ていたのは俺の顔じゃなかった。彼はきっと、俺の吊り下げたこの魔物除けを見ていた。


 これのせい、なのか?


「ねぇ従者殿。魔女殿の傷の治りが遅いのは、従者殿がずっと夜を待っているのは、魔物除けのせいなの?」


 聞こえているだろうに、従者は何も言わず、ただほんの少しだけ俺に顔を向けた。先ほども見た、どこか困ったような、迷いのある表情。言いあぐねている。重大な何かを。

 隠すんだったらもっとうまくやってくれよ。そんなの、答えを言っているようなものじゃないか。


「気づいてたんだろ、魔女もお前も。なんで言わなかった。これは、この状況はお前のせいだって、なんで」


 大袈裟な音と共に、従者のすぐ前方の地面が抉れた。人間を何人だって埋められそうなほどの大穴を、だけど従者は見向きもしない。ただ俺を見て、それから眠り続ける魔女を映して、何かを思い起こすかのように目を閉じて、


「……あんたがそれを、大切にしていたから」


 ……それだけ?

 たったそれだけの理由で、この魔物除けを受け入れていたの?


 ネシュの森でも、都市メルキルエトでも。彼らの前では肌身離さず持っていた。俺にとってのお守りだった。例えそれが身を守れるほどの物ではなかったとしても、向けられた殺意に抗えるほどの代物ではなかったとしても、手放すことができなかった。


 標だったんだ。人間と魔物の境を示す、揺らぐことのない標。


 なんだ。じゃあもう、要らないな。


 俺は自らの魔物除けに、強かにナイフを突き立てた。

 人間なんかよりずっと愚かなこの化物達に。人間なんかよりずっと優しいこの化物達に、境界なんていらない。


「従者殿、俺にできることはなんだってやる。あんた達が困っているなら、全部全部何とかする。俺の事なんて顧みなくていいから、まとめて腐らせちゃってもいいから、だから、」


 最後まで言い切らせてはくれなかった。いつの間にか治り切っていた従者の右手が、俺の腰に下がったままの直剣を取り上げる。ぶちぶちと乱雑に革ベルトを引き千切りながら、従者は無造作に長剣を振りかぶった。


「その行動だけで、十分だ」


 人外の膂力によって流星のごとく放たれた剣が、炎の奥、焼かれてなおも動き続ける石塔に駆ける。瞬き程の時間の後、石組みの砕ける大きな音が明るい夜空の下に響く。


 それきり、石の擦れる音は無く。

 絶えず燃え盛る炎の中で、亡霊じみた魔術兵器は、完全にその役目を終えたのだった。



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