第三十四話 起動
「……え?」
自分から出て行った間抜けな声をどこか遠くに聞きながら、俺は目の前を飛んでいく従者の腕をじっと見ていた。長く節くれだった右腕の端から飛び散った赤い液体が、空中に弧を描いている。邪龍の血も赤いんだ、なんて奇妙に冷静な感想を抱いた。呆けていた、と言い換えてもいい。
「何をしているんですか!」
首根っこに強い力が加わって、俺は半ば倒れるようにして大樹の裏に引きずり込まれた。血相を変えた魔女が俺のことを押し倒している。小さな手のひらで必死に俺を地面に押し付けながら、魔女が叫んだ。
「ヨシュアさん!」
「無事だ。炎の方向から攻撃を受けた。……でも、生物の気配はない」
従者の声は離れていた。彼も彼で反対方向の木の影に退避していて、失った右腕を庇うように蹲っている。
地面に這いつくばりながら、俺は件の衝撃が生じた方向――ラードーンの炎に佇む影を見据えた。前方、辛うじて形を残していた木々は上半分が真っすぐに削り取られている。おかげでさっきよりもずっとずっとよくその姿が見えた。
生物の気配なんて感じられるはずがないよ。だってこれは、
「魔女殿、離して! 俺はここから出ないと、ねぇ、離せってば!」
「離せません! 出て行ってどうするつもりですか!? 隠れていないと、グラウスさんが攻撃されたら、」
「俺が隠れてたら駄目なんだ! だってこれは、この攻撃は、魔術兵器の」
ざりざりと石組みをずらすような音が聞こえた。その直後、従者が潜んでいる数本隣の木々の群れがまとめて千々に吹き飛んだ。相変わらず雑な精度だ。こんなんじゃ実用化なんて到底無理だよ。でも、今だけはそれが、ありがたい。
しがみついていた魔女の手を振り払い、俺は大樹の陰から飛び出した。二度の攻撃によって、俺達と炎の間に隔たっていた木々は既に大きく失われている。次の攻撃は俺に当たるかもしれない。いいや、俺が当たらないといけない。そうでなければ、
「俺が隠れていたら、信じてもらえないだろうが!」
「グラウス、さん?」
「落ち着いて聞いてね。これはラードーンを倒した魔術兵器の攻撃だ。俺はとっくに機能を停止したと思ってて、本当に、これは罠じゃなくて、」
ざり、と音が聞こえた。今度は俺の真横を強い風が吹き抜けて、少し離れた地面を深々と抉り取った。周囲の魔力を水に変換し、高速で射出する魔術兵器。炎の中にあるというのに、その威力は全く衰えていない。
当たり所が悪ければ即死だ。それでも俺はここから退けない。何が起きているのかわからない。あの時死んだ魔術兵器が、どうして動き始めている? 俺のせいじゃない。二人に誤解されたくない。
こんなこと、俺は望んでいない。
「違う、違うんだ。お願いだから二人は急いでここから離れて。あれは膨大な魔力に、たぶん従者殿に狙いを定めていて、十分に離れれば攻撃を停止する。そう設計されているはずだ」
「じゃあグラウスさんも逃げてください!」
「駄目だよ。ここで俺が逃げたら、あんたらを罠にかけるつもりがなかったって証明できなくなる。こんなことになるなんて思ってなかった。嘘じゃないんだ。信じてよ。信じて、なぁ」
「信じます! だから早く、貴方も」
「嘘を吐くな!」
そんな言葉、信じられるかよ。
今まで散々嘘を吐いて生きてきたっていうのに、あんたらにだって何度も嘘を吐いているというのに。今更俺が、信じてもらえるはずがないだろうが。
ばんと硬いものが砕ける音が聞こえた。魔女の方にばかり気をとられていて、背後に全く注意を払っていなかった俺は、倒れ込んできた木に強かに背中を打ち据えられてその場に倒れた。
痛い、痛い。でも足りない。
水分を失っているためか、見た目よりずっと軽い木の幹を払うようにして、俺は再び立ち上がった。地を踏みしめた左足に響く様な痛みがある。砕けた木くずを吸い込んだ喉が焼けるようだ。だからなに? この程度では信頼に足りない。
「見、ての通り、一発一発の間に少し時間が空く。発射前に、石を擦るみたいな音がする。幸い精度が酷く荒いから、祈りながらとにかく真っすぐ走って逃げれば、」
「貴方も逃げるんですよ! 疑ってませんから、ねぇ、」
「できないって言ってるだろ! 俺はまだ、あんたらのことだって、信じられない。あんたらにすら信じてもらえなかったら、一体誰が俺を」
音が聞こえた。それを知覚すると同時に体に強い衝撃が走った。魔術兵器の攻撃が、ようやく俺に当たったのだと思った。
ああ、これでようやく信頼を示せたと、そのはずだったのに。
「……魔女、殿?」
気がつくと木の裏に隠れていたはずの魔女が俺の上に覆いかぶさっている。状況から判断するに、横合いから飛び出して俺を突き飛ばしたらしい。どうして。なんのために?
「いい、ですか」
魔女は俺の上から動かず、呻くような声をあげた。
「人間は、死んだら帰ってこれません。……私達とは、違うんです」
「何を、言ってるの」
「信じるとか信じないとか、今はどうでもいいです。貴方は逃げてください。互いに生き延びた後、好きなだけ問答しましょう。……だって貴方は、人間なんですから」
噎せ返るような暑さの中、もっとずっと熱いものが俺の体に伝わっていた。恐る恐る伸ばした指の先に濡れた感触がある。倒れているから、目には見えない。でも、辿った指の先、魔女の脇腹があるはずの場所が、
「魔女殿、これ、」
「あは、は。治りますよ、ご心配なく。龍の魔女なので。……それより早く、逃げてくださいよ」
「……ごめん。実はさっきので、足が折れてて」
荒い石くれを擦りつけるような音が聞こえた。動くことができなくて、俺はただひたすらに魔女に攻撃が当たらないことを祈った。祈りの甲斐ではないだろうが、的外れな方向から木々の吹き飛ぶ音がする。
いつの間にか、倒れ込んだ俺達を庇うように、従者が前に立っていた。




