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魔女と邪龍の化物証明  作者: 中島とととき
魔女と邪龍の化物証明
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第三十三話 既知の熱


 徐々に太陽の光を失っていく森の中、遠くの空には代わりとばかりに炎の明るさが現れ始めていた。予定通り夜の境には目的地にたどり着くことができるだろう。


 時折降り落ちる葉っぱの音すらも聞こえてきそうな――これは比喩で、俺の耳にはそんなロマンチックな音を拾う性能はないんだけど、そんな気がするまでに平穏な森であった。邪龍とそれを従える魔女がこの森を闊歩しているなんて、誰に言っても信じやしない。知っているのはこの世でたった一人だけ。その事実がこの上なく心地よかった。


 知りたかった答えを得て、それきり俺は自発的に話し続けることをやめた。やめることができた。唐突に開けた無言の時間を、魔女と従者が気まぐれに埋めていくのを聞きながら、俺はもうじき終わりを迎えるこの旅の結末についてを考えた。もう少しで俺の願いが叶えられる。その先のことは、まだ何も決めていない。


 全部が終われば、魔女達はまたバルタラ山に戻るのだろうか。俺はまたメルキルエトの中で、人間に交ざりながら生きていくことになるのだろうか。


 日が落ちるほどに炎の輝きが際立っていく。森を抜ける風には僅かに熱が乗っている。終着点は目と鼻の先であった。


■ □ ■


 ラードーンの炎に近づくにつれ、ネシュの森は徐々にその様相を変化させた。

 炎はまだ見えてもいないというのに、肺を内側から焼いてしまいそうなほどの熱さが辺りに溢れかえっていた。自然環境ではあり得ない熱を与えられた植物達は、あるものは枯れ、あるものは歪み、それでもかつては森であった意地を示すかのように辛うじて形だけは残している。


 絶えず燃え続ける炎。延焼すらしない、不変の火。


 葉という葉を落として枯死した木々の向こうに、目を焼くほどに明るく輝く光がちらつく。首筋を伝う汗の忌々しさと、思い出されるかつての記憶。懐かしい熱さだった。お前さえいなければ、俺がここまで道を踏み外すことも無かっただろう。


「案内はもういらないよね。相変わらず、元気いっぱい燃えてるみたいだ」


 二、三歩ほど先を歩いていた従者が俺の言葉に足を止めた。声をかけなければどこまでも進んでいたのかもしれない。荷台に座っている魔女の方は、少し暑そうな様子で額の汗を拭っている。


「陽が落ちきるまではまだ時間があるけど。ここからは、どうするの」

「夜を待ちます。グラウスさんはどうしますか? お帰りになりますか?」

「最後まで付き合うよ。俺はラードーンの炎が消えるところを見に来たんだ」


 そうでないと報酬を渡せないでしょと続けると、そうですねと魔女は納得した風に頷いた。そうして、ひょいと荷台から飛び降りて褪せた色合いに変わり果てた柔らかな草の上に着地した。細腕に幾重にも畳まれた帆布を抱えている。


 何事だろうと魔女の様子を見ていると、魔女は従者に帆布の一辺を手渡して、協力して荷台を覆うように布をかけた。荷車はそのまま一際大きな木の影へ。信じられないことだが、一瞬だけ従者が一人で荷車を持ち上げたような、……流石にその所業は、見なかったことにしよっかな。


「荷車、もういいの?」

「ここから先には持って行けそうにないですから。デリケートなものも積んでいるんです」


 だからってこんなところに置いていく? 布をかけたところで、荷物が沢山つまった荷車だってことは誰の目にも明らかなのに。

 従者の存在が魔物を寄せ付けないってのは聞いている。でも、それは鈍感な人間相手には何の意味もなさないものだ。こんなところを彷徨く人間は正気じゃないが、正気じゃない人間なんていくらだっているんだよ。


「盗られちゃうかもよ」

「大丈夫ですよ。もう夜ですし、こんなところに人は来ません。それに、他人の積み荷に手を出すほど切羽詰まっているのであれば」


 続きの言葉は無かったが、魔女の主張は十二分に伝わった。一昨日荷車を盗られて新調したばかりのくせに、この魔女殿はやっぱ言うことが違うね。


「……グラウスさん。どうして笑っているんですか」

「感銘を受けているんだ。素敵な考え方だなって」

「ヨシュアさん、これ、私、馬鹿にされていますよね」

「……されていると思う」


 えい、と魔女は握りしめた拳で俺の背中を叩いた。驚くほどに弱かった。従者の馬鹿力の分と帳尻を合わせているのか? 龍の魔女などという癖に、こっちの身体能力はいつまで経っても少女の枠を出る気配がない。


「そんなことより、まだ先に進む気? もう結構暑いけど」

「炎が消えるところを見に来たんじゃないんですか? もっと近くで見たくないですか」

「見たい」


 近くで見たいよ。当たり前だろ。


 ね、と魔女が裏の無さそうな顔で笑う。嫌になるくらい暑いけれど、我慢できないほどではない。まだ進める。じゃあ進もう。限界まで、ついていかせて。

 是非を窺う気持ちで、俺は黙ったまま突っ立っている従者に目を向けた。涼しい顔をしてはいるが、暑いという感覚はあるらしく、彼もまた額に汗を滲ませている。何も言わないってことは文句は無いんだろう。俺より熱に弱いってこともあるまい。


「行けるところまで行きましょうか」


 俺達三人は横に並んで、メルキルエトの中街を歩く様な気軽さで進んだ。風が吹くたびに舞い上がる熱が、炎の近さを教えてくれる。この時間、太陽の光なんてほとんど届いていないはずなのに、不便を感じないほどに明るい空だった。


「俺の左腕の火傷ね、あの炎のせいなんだ。忘れられない。あの時俺は最前線にいて、だから誰よりも近くであれを見た。……あの日の光景が、寝ても覚めても、ずっと瞼の裏に焼きついてる」


 話す度に喉の中を熱した空気が通っていく。こんな場所ではどうしても喉が渇いてしまって、飲み水を求めた手が無意識に自身の腰元へと伸びた。だけど目的のものは見つからない。ああそうだ、飲み水を入れた鞄は魔女の荷車に乗せていたんだった。この失態は酷いな。それほどまでに彼女達に気を許してしまっている。


 身に着けているのは報酬の顔料と、雷鳥の半仮面。いくつかの簡易な紋章魔術にナイフと長剣が一本ずつ。それと首から下げた魔物除け。心許ないが……思い返せば、ラードーンにちょっかいをかけた時も、この程度の装備だったっけ。


「流石にそろそろ融けてしまいそうだよ。従者殿の準備は、どんな感じ? もういけそう?」

「今はまだ。もっと夜が深くなれば」

「また邪龍の姿になるの?」

「そうだ。その際は、少し離れていてほしい」


 言われずともと思いながらも、俺は素直に頷いた。


 もう少しだ。様子のおかしい木々の群れは、今ではもう炎の揺らめきを隠しきれていない。その鮮烈な光の奥に時折見える影があった。あの日のままの魔術兵器が炎の中で解放と終焉を待っている。


 様々な物を呑み込み壊し、今もなお明々と燃えるラードーンの炎。それがとうとう消えてなくなる。俺の目の前で。人ならざるものの力によって。


「待ち遠しいな」


 風に合わせて揺らめく空の明るさが、昼夜の境を曖昧にしていた。暑くとも、額から落ちた汗が目に入って沁みるような痛みを生んでも、俺は引き返す気にはならなかった。

 耳をすませば轟々と燃え盛る空気のうねりが木々の向こうから聞こえている。ぱちりと何かが爆ぜた。それから、重い物を引き摺り動かすような、低い音。聞き覚えのある音。


 ぱん、と弾ける音が続いた。隣を歩いていた従者の右腕が、千切れて宙を舞っている。



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